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『動物丸』
それは、僕が新しい部署に着任するや否や一方的に付けられたあだ名だった。
つくづく雑なあだ名だと思う。
その名付け親は狭霧主任。
我が中堅金属部品メーカーの品質管理部門の主と称せられ、博学多才たることや冷血無比たること、そして独特のボキャブラリーや歪な対人関係能力で名高い「才媛」様だ。
ついでに言うと、そこそこ美人なことでもそれなりに有名だ。
その年齢は三十一歳、僕より六つ歳上だ。
すらりとした体付きで、その背丈は170センチより少し高い程度。
身長167センチの僕がやや見上げ気味になるんだから、この見立てに間違いは無い。
大抵の場合、黒のパンツスタイルに白のワイシャツといった感じの出で立ちで、そのすらりとした体付きをより際立たせているようにも見える。
もっとも、それはお洒落などと言うよりも機能性優先ってところなんだろう。
仕事の時、その上から白衣を着たりもすることもあるから、いかにも女子って感じのフワフワした服装だったりしたら差し障りがあるんだと思う。
肩より少し長い程度のストレートの髪はしっとりとした黒色で、色白な顔といい感じの対比を見せている。
長い睫毛に縁取られた切れ長の目は本来は涼しげなんだろうけど、漂うキツめの雰囲気のためか、険のある印象を与えてしまってるようだ。
鼻は高過ぎず低過ぎずって感じで、その鼻筋はスッと通っている。
その唇は、話さない時には「へ」の字に固く閉じられていて、この人って不機嫌なのかな?って印象を抱かさせられてしまう。
「高偏差値な大学の理系学部を卒業したクールで美人な若手技術者」とだけ聞けば、お近づきになりたい人ってそれなりにいるんだろうけど、それが狭霧主任ともなると、設計部門の若手技術者達から怖れられてる工場部門のコワモテな職人のオジサンたちですら敬遠してしまうそうだ。
この部署に来る前から狭霧主任に関する色んな噂を耳にしてはいたけれども、そして、異動に先立った面接の時に、部長からはちょっと癖のある人だとは聞かされてはいたけれど、それは他人が興味本位にはやし立てる類のものなんじゃないかなと当時の僕は思っていた。
だから、先入観無く接しようと思いつつ、今回の人事異動で狭霧主任の支配下にあるこの部署へと配属されて来たんだけど、着任の挨拶をするや否や、歓迎の言葉代わりに彼女の口から発せられた第一声が、
「よし、今日から君は『動物丸』だ。」という、名付けの宣言だったという訳だ。
「どうぶつまる」っていきなり言われても、僕にはそれが一体何のことだかサッパリ分からなかった。
思わず頭を上げ、そして
「ど、どうぶつまる?」と、まさにオウム返しと言わんばかりに言葉を返した僕に対し、狭霧主任は
「そう、『動物』。
ミーアキャットとかウォンバットとかカピパラとかの『動物』」と、哀れみや蔑みが同居しているかのような冷ややかな眼差しを浴びせながらそう言葉を返した。
その時、狭霧主任は、僕の呑み込みの悪さに腹立たしい思いを抱いてたに違いない。
「あぁ、成程。その「どうぶつ」なんですね。」と、
僕は間の抜けた言葉を返しながら、
『「どうぶつ」って、「動物」しかないよな。』と、内心にて追っかけ気味に後悔をする。
幸い、狭霧主任は、僕が口にした間抜けな返事を追及することはなく、
「じゃあ、よろしく、『動物丸』!」と突き放したような口ぶりで言い残し、その右手を振りながら自分のデスクへと戻って行った。
呆然とその場に取り残される僕。
こういう時って、普通ならばもうちょっと何か言葉があるものじゃないんだろうか。
例えば…
慣れない仕事だと思うけど頑張ってね!みたいな励ましの言葉とか。
あるいは…
うちの部署の業務内容って相当に専門的だから、ちゃんと勉強しないとヤバイぞ!みたいなハッパをかけるような言葉とか。
出だしからの圧倒的な裏切られ具合に呆気に取られ、唖然と立ち尽くしていた僕を、入社が三期上のこれまた女性である伊吹先輩が係員たちの席へと引っ張っていく。
何なんだ、このちょっとしたドナドナな気分は?
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