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始業前のオフィスは仄かなざわめきで満たされていた。 キーボードを叩く軽やかでリズミカルな音、プリンターが紙を吐き出す耳障りで不規則な響き、そして控えめで丁寧な電話応対の声。 仕事が本格的に始まる前の暖機運転と言わんばかりの雰囲気の中で、オフィスの一角にある僕の部署だけは奇妙なまでの静けさに包まれていた。 部署の先輩達は、それぞれが黙々と仕事の準備へと取り掛かっている。 パソコンを立ち上げたり、スケジュール帳をチェックしてみたり、あるいはモゴモゴとドーナツを頬張ってみたり。 けれども僕には分かる。 先輩方は、仕事の準備に取り掛かる風を装いつつも、僕の様子を固唾(かたず)を呑みながら見守っているということを。 部署を覆う奇妙な静けさの真ん中にて、僕は緊張に身を固くして立ち(すく)んでいた。 それはまるで猫に(にら)まれたハムスターのように。 立ち(すく)む僕の前に仁王立っているのは、すらりとした体付きでそこそこな美貌を持つ長身の女性だった。 緊張を押し殺しつつ、僕はその女性へと挨拶の言葉を口にする。 「相模(さがみ)です。今日からよろしくお願いします!」 そして、軽く頭を下げる。 沈黙が流れる。 あれ、もしや僕って、この人の機嫌を損なうことでもやらかしちゃった? 怯えめいた気持ちを抱き始めた僕の頭上にて、まさにご宣託(せんたく)と言わんばかりの声が唐突に響き渡る。 「よし、今日から君は『動物丸(どうぶつまる)』だ!」 その声の調子は、まさに有無を言わさずといったものだった。
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