星を見つけて抱きしめるよ

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じゆう。 ジユウ。 自由。 なんという素晴らしい響き。 何という整った字面。 この世で最も尊ばれるもの、最優先されるもの。 全ての生きとし生けるものに与えられた権限。 私はそれを行使する。 今日から私は自由。 遂に遂にやってやった。 ファンクラブの更新期限が遂に過ぎた。 遂に遂にペン卒に成功した。 長かった。 これで毎日の日課である各種ランキングサイトでの投票。 各種検索サイトでの推しの名前の検索、ユーチューブでのフォーカス動画の再生、ウィキペディアの閲覧をしなくていいんだ。 自由万歳。 特にランキングサイトなんて、お弁当を作ってあげたいアイドルだの、一緒にお団子を食べたいアイドルだの、登下校したいアイドルだの謎ばっかり。 あれのどこが押しのキャリアにプラスになるんだ。 まあ毎日投票してたけど。 ああ、あと記事にいいねしにいくことも、称賛コメントしに行くこともしなくていい。 でも一番嬉しいのは通報作業をしなくていいこと、これに尽きる。 どれだけ気持ち悪いスクショが貯まりにたまったか。 しかも中々凍結されなくて結局未だにのさばってるし。 思い出すだけで身震いする。 記憶から消し去りたいけど恐らくこの先何年も定期的に思い出すんだろうな、寒気がするわ。 あんな糞ゴミファンダムに推しを置き去りにしたかと思うと心が痛いけど、もう限界。 あんな界隈にもういたくない。 本当は推しにもいてほしくないし、何だったら引退してくれてもいいとすら思っていた。 事務所との契約が切れたら自由になれる、そこまでは待とうと思ったけど去年の契約延長に気持ちの糸が切れてしまった。 推しのことは今も好き、大好き。 この世の何よりも愛しているし、世界一幸せになって欲しい。 その気持ちに嘘はないけど、もう駄目だなって思った。 何より自分の人生を生きたいと思ってしまった。 推しに思考、身体、全てを支配されている生活が嫌になった。 一人になりたかった。 そして遂にそれが叶う日が来た。 今日から私は自由。 これからは何処にだって行ける。 まず年間五千四百円のファンクラブ代が浮く。 これはまあ、一か月に換算すると大した額じゃないからどうでもいい。 雑誌代、これも大した額じゃないからどうでもいい。 各種音楽配信サイトでのダウンロード、これも一曲二百五十五円だからどうでもいい。 DVDも何度も見ることを考えたら一万円はそんなに高くはない、フォトブックついてるし、うん。 コンサートグッズ代、チケット代、交通費、ホテル代、衣装代。 これが一番かかったのかな。 でもコンサート以外県外に出ることないし、会社以外どこも行かないからお洋服を新調するのはツアーの時だけだった。 新しい靴を買って、バッグを買って、服を買う。 それ以外はいつもお姉ちゃんと妹の着なくなった服を着て過ごした。 会社には毎日夜ご飯のおかずを少し残してもらって、朝、ご飯と卵焼きを焼いてそれを詰めたお弁当と水筒を持参して、外食はしないようにしていた。 旅行も行ってないし、映画も映画館でもう八年見ていない。 この八年本当に彼に全てを預け費やした。 私は三十になっていた。 もうこれからは自由だから、何だってできる。 取りあえず朝起きてすぐネット工作はしなくていい。 休みなんていつまでも寝てたらいい。 これからはもっと自分を大事にして甘やかそう。 好きなところに行って好きな音楽を聞こう。 推し以外の検索数を上げたくなくて、ネットで他グルを検索しないようにしてたけど、それも止めよう。 ユーチューブも見たいものを見よう。 もう再生回数なんて気にしなくていい。 もうファンじゃないんだから。 英語を勉強するとかもいいかもしれない。 美術館に行くとか、スポーツジムとか、あ、ネトフリ入ろう。 ドラマ見て、映画見て、健康的で適度な距離を保った趣味を見つけよう。 全身全霊を傾け過ぎた。 若かったってのもあるんだろう。 遅かったけどあの日々は青春だった。 その中心に美しい男がいた。 もう永遠に取り戻せない。 でももう自由だ。 しかし休みの日というのは世界の皆さんは何をしているのだろう。 いつものネット工作と通報作業をしないと何をしていいのかわからない。 しかも三連休。 お昼まで寝ようかと思ったが、眠れない。 スマホで取りあえずニュースを見てみたけど特に何も起きていない。 ツイッタートレンドを見てみたけどスポーツとソシャゲの関連ワードばかりで何が何やらわからない。 そうか、ゲームをするってのもいいかもしれない。 あ、駄目だ。 もう支配されないって決めたじゃない。 ソシャゲなんて絶対にダメ。 無限課金地獄が待っている。 私の性格なら絶対にそうだ。 推しを一番にしたい。 その気持ちだけで八年間突っ走って来た。 でもポキリと折れてしまった。 八年も経てば全て習慣になってしまっている。 スマホの使い道がわからない。 これ何に使うものだっけ? あ、連絡用か。 そうだ、離れている人との通信手段だ。   料理でもするか。 それこそ本格的な、食べられたらいいだろ的なものじゃなくって、こう、凝ったお洒落なやつ。 めんどくさいな、後片付けがメンドクサイ。 自宅でやるようなものじゃなく、外でやるのを探そう。 もう人間はこりごりだから、神社とかお寺巡りもいいかもしれない。 心が浄化されそう。 しかし、何をやっていいかわからないな。 取りあえずスマホを机に置いてまた布団に潜り込む。 これからのことを考える。 私は今日から自由。 そのことは間違いはない。 これをしなきゃという義務から解放され、特に何もすることはない。 縛られてないって何て素敵。 心にぽかんと穴が開いているのはわかる。 そこにいた美しい男を私は永久に失ったからだ。 自由とはなんという孤独なものか。 でもいい、もうどこにも繋がれていたくない。 鎖から解き放たれたい。 その代償に私は現時点でのすることを失った。 テレビを点ける。 土曜日なので今週のニュースの総まとめみたいなのをやっているが、もう既に知っていることばかりなので今更見てどうするの感が凄いのですぐに消した。 これからどうしよう。 会社と自宅の往復だけで人生を終えるのは嫌だ。 だからといってアイドルに執着していつまでも亡霊のように付き纏う人生も嫌だ。 何より自分の精神を他人に左右されるのがもうしんどい。 自分のことは自分で決めたいし、自分の管轄下に置いてコントロールしたい。 他人に一喜一憂するだけの生涯なんて。 そうだ、これは搾取からの脱退。 ATMからの脱却。 そうだ、立ち上がらねば。 もう八年信仰した。 いつどんな時だって私はお金を出し渋ったりなんかしなかった。 これだけは胸を張って言える。 グッズもDVDもCDも売り飛ばすのはこの八年間を無かったことにしてしまうみたいで恐ろしいから思い出として全部取っておこう。 ペンライトとか絶対に役に立つはずだし。 そもそもそれらを処分すると部屋から何も無くなってしまう。 単純に寂しい。 あ、スマホケースどうしよう。 でもあれはいいか、一般の人が見ても何も気づかれないデザインだし、そもそも人のスマホケース気になる人いる? 私は気にしない、以上。 そんなことよりやること探さないと。 趣味、趣味プリーズ!! しかしこうしてみると自分は推し以外をいかに切り捨て排除して生きて来たか。 人が変わるのに、嫌、人が人格を作るのに時間などそうかからないのだ。 推しを知る前の私に私はもう戻れない。 だからと言って推しとは心中できない。 もう疲れ切ってしまった。 糞事務所、糞ファンダム、推しのいる狭い世界の全て。 推しがそれに耐えているなら私もそうすべき? 無理、もうわかってしまった。 人生は賭けられない。 私と推し呉越同舟にすらなれない。 去るべき、ここが潮時。 望む姿でいなくなった時推しを誹謗中傷するような元ファンにだけはなりたくないと思っていた。 未練がましく年下のアイドルを叩くような人間にだけはなり下がっちゃいけないと、その時はきっぱりと潔く誰にも言わずペン卒。 そう心がけてきた。 それはできた。 ただすることを永久に失ってしまった。 生涯の糧を失ったと言ってもいい。 最早これは根源的な答え合わせだ。 私がこの先何のためにどう生きたらいいかという。 推しを失うとはそういうことなのだ。 おかしいな。 自由になったはずだった。 もう何にもしなくていい。 アンチとネットで戦わなくていい。 醜いものを目にしない生活になる。 他者の不幸を望まない人生になるはずだった。 なのに、今とても悲しい。 誰もいない。 下に降りれば両親と妹がいるはずなのにこんなにも寒い、もう春なのに。 誰でもいい、誰でもいいから私に何かさせて。 もうずっと眠っていようかな。 起きてさえいなければもう何も考えなくていいんだし。 でもそんなに寝れないんだよね、三十だもの。 滑稽だ。 みっともなさすぎる。 いざ何でもしていいってなると何もしたいことなんかなかったって気づくんだあから。 何か見つけよう。 推し以外の何か。 本当に心から欲するものを見つけて、それに注力しよう。 駄目だ。 それだと今までと何も変わらない。 どの世界にも汚いものは溢れていて、だから掃き溜めに鶴なんて言葉が出来たわけで、私はその鶴を八年間ひたすら崇めていた、誰に強制されたわけでもない、自分の意思で。 理想的なペン卒なんて有り得なかったんだなと今知る。 よく、ペン卒した人間が私が今まで費やしたお金と時間を返してよと書いてたけど、あれにはいつもうんざりしたし、何度も曝し、反論した。 「お前は誰かに強制されて脅されてファンになったんか? お金と時間を費やしたのは自分の意思だろ。 とっくに成人済みの人間が自分じゃ何にも決められん、くるくるパーですっていてるようなもんだろ、さっさと去れ。 お前みたいなファン一人減ったところで推しには何の影響もないわ。 暇人が」 何という特大のブーメラン。 何でも自分の行いは自分に帰ってくるんだなぁ。 これから先どんな世界に行こうとも気を付けよう。 もう移動する世界などないけど。 そう、もう誰のファンにもなりたくない。 あんなの一生に一度でいい。 高校も大学も決して無理せず自分が行ける範囲の所でしか頑張れなかった。 中学も高校もバスケ部で万年補欠だった。 私には明確に頑張ったという思い出がなかった。 だから推しにどうしようもなく固執した。 それは初めての歪み切った成功体験だった。 それがなくなった今、もう一日だって経っていないのにこんなにも苦しい。 だって昨日までネット工作、否、支援してたもん。 今日が最後だからって昨日ど真剣に通報したもん。 二時間もしたよ。 もういいよ。 もういいんだよ。 自由。 それはこの世で最も高潔で何よりも尊重されるべきもの。 私はそれを手に入れたはずだった。 でも一緒に世界の芯を失った。 何処に行けばいいのか、何をすればいいのか、何ができるのか。 答えはまだ見つからない。 微睡の先にもあるのかはわからない。 いつかあの時決断して良かったと思う日が来るのだろうか。 この世でただ一人愛した人を忘れて暮らす、それが私の望みだろうか。 でもあの地獄には戻りたくない。 他人のことで患うのはもう嫌だ。 自分のためだけに生きていたい。 私は既に愛を知っている。 それは他者にしか向けられないと知っている。 今それを失うと言うことは、残りの人生にそれは存在しないということになる。 残りの五十年以上の歳月に。 動物でも飼おうか。 世話するのが面倒だ。 金魚ならいけるかな? すぐ死んでしまいそう。 そもそも推し以上に愛せるか、それが問題だ。 彼は私にとって全てだったのだ、この八年。 絵でも描くか。 残念ながらバカ画伯、絵心は皆無。 書道。 手が真っ黒になりそう。 パチンコ。 気が休まらなそう。 競馬。 これもない。 読書。 何を読んでいいのかわからない。 家庭菜園。 お母さんがもうやってる。 美容にお金をかけるとか? 自分が綺麗になってどうする。 自分で自分の顔なんか鏡でしか見れないのに。 こうしてみるとこの世にはすることなんて何もないんだな。 寝てろってか。 空っぽになった身体で生きて行けるのだろうか。 もう背骨を失っているのに。 これは壮大な実験である。 人は愛なき世界で生きていけるかという。 推しなき世界で人はどう生きるのか。 やっぱり最後まで底の底まで一緒に沈む方がずっと幸せに違いない。 全てに目をつぶっていられたらどれだけ幸福だったのか。 もう遅い。 既に始まってしまった。 今日から私は自由。 その見返りに私は何もないを手に入れた。 もう恐ろしい程後悔している。 私には推し以外何もなかったのだ。 もうどこまでもついていくべきだ。 事務所がどれほど害悪であろうとも、ファンダムがどれほど腐食し消耗しようとも、私には他にすることがないのだ。 拘泥なき世界。 それはとても静寂で、美しいんだろう。 でもどんなに醜悪でも、そこに一つの星を見出し輝きを抱きしめられるなら、そこにとことんこだわって、這いつくばればいい。 結局私にはこれしかなかった。 私は起き上がりスマホを手にし、ファンクラブサイトのよくある質問に触れる。 もう何度も見た。 恐らく一万回は見た。 そこにはこう書いてある。 「有効期限が過ぎてしまいますと、いかなる場合でもご継続手続きは行えません。新規ご入会をよろしくお願いします」 私は新規入会のページに飛ぶ。 メールアドレスを登録し、出かけるためにコンビニ決済を選択する。 出書ける用事がこれでできた。 推しはいつだって私に理由をくれる。 少し外の空気を吸ってこよう。 たまにはコンビニで贅沢な朝ごはんにしてみよう。 私は自由になれなかった。 でも私は知っている。 私にはあるんだ。 カチカチの骨格が。 根を張った蔓が。 そして私は自分の意思でこうしたのだから、最初から私はずっと自由だった。 この三十年間ずっと。 これほど清々しいことはないだろう。 今なら空だって飛べそう。 私はこれからもずっと彼にいてほしい。 私の人生にどんな形でも登場し続けてほしい。 それがどれほどの苦痛を齎すとしても。 だってどうしたって好きだもの。 これ以上の理由なんかどこにもないわ。 コンビニでお金を振り込み、カツサンドを見ると三百九十円もしたのでそうっと目を逸らした。 家に帰ったら梅干しでおにぎりでも握ろう。 おかずだって何かあるはず。 実家暮らし最高。 せめて日頃の感謝を込めて家族に甘いものでも買っていこうかと思ったけど、豆大福百四十円を見て家にココナッツサブレがあったなと言い聞かせ外に出た。 コンビニから手ぶらで帰る三十歳。 それもいい。 今日から節約、節約、そして。 今日から私は愛の人。 星を見つけた愛の人。
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