野菜と煙草と元カノと

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 僕は片手で手すりを持ち、片手で胸を抑えてやっと長い階段を上り切った。確かにいつもより息が上がる。当たり前だ、僕は余命半年を宣告された病人なのだから。地上に出るとまだ四月が始まったばかりなのに、初夏のような爽やかな風が吹いていた。そういえば今日の予想最高気温は二十三度。  いつの間にか呼吸は正常に戻って胸のわずかな痛みも消えていた。  僕はほっとして、地下鉄の階段の上に漫然と立ったまま両手を広げて深く深呼吸をした。悲しいかな命に期限を付けられて、生まれて初めて生きていることの素晴らしさが分かったような気がする。不覚にも込み上げてくる涙のせいか、見慣れたいつもの景色がキラキラと輝いて見える。今まで僕は何を見ていたのだろう、僕らの世界はこんなに美しい光に満ちていたのか。  冬の間に枝を短く剪定され、寒風に骨張った裸体を等間隔に晒していた街路樹の銀杏の木に、青い新芽が芽吹いている。(いいなぁ、何度も生まれ変われるって)──いやそもそも死んでなんかいない。  どうやら死を前にしてこそ見える景色があるようだ。優香、僕はやっと君を失った現実に直面している。この今の気持ちをシンプルに適確に言おうか。      I miss you.  会いたい    君の温もりが    恋しい  …………  ………… ん……                      なんだ    電話か?    え……誰だ?  ああ、しつこいなぁ  知らない番号は普通に無視に決まっているだろ。僕は今、知らない番号に出る余裕なんてないんだ。    「はい……もしもし」  
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