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「渋谷天音です」
「は?」と監督が間の抜けた声を漏らす。まぁ、想定の範囲内だ。
「渋谷って、あの渋谷か? 練習も真面目にやらない、消去法レギュラーの、あの?」
「そうです」
「何を言ってるんだ。冗談も程々に」
「確かに、傍目には凡庸な1軍半の選手です。だけど俺にはわかります。華のあるグラブ捌き。不遜な態度。端正なルックス。ここ一番での集中力。そして何より、狙ってショートゴロを打てるほどの天才的バットコントロール……」
「狙ってショートゴロ? 本当に何を言ってるんだ、お前」
「あいつは本物です。今の球界で俺を超えられるのはあいつだけです」
監督は呆気に取られたようにしばらく口をパクパクしていたが、やがて絞り出すように言った。
「なれるのか? 本当に、あの渋谷が。お前のようなスーパースターに」
「なります」
力強く断言する。それは嘘でもはったりでもない、俺の本心だった。監督の目をぐっと見据え、覚悟が伝わるよう、ひたすら視線に祈りを込める。
沈黙を破ったのは監督だった。
「……試合中、勝敗がついたと判断した段階で即交代させる。極力無理なプレーはするな。左膝の状態が思わしくない日は必ず試合前に報告しろ。譲歩できるのはここまでだ」
「ありがとうございます!」
「それから……絶対今シーズン中に渋谷をスーパースターに育ててみせろ」
「……はいっ!」
俺は頭を深々と下げ、立ち去ってゆく監督の背を見送る。はずが、監督がふと立ち止まった。
「どうかされました?」
「……誰かに今の立ち話を聞かれたかもしれない」
「え?」
「今、慌てて走り去っていく足音がしたような……気のせいだといいんだが」
そう言い残して今度こそ監督は去っていった。俺は監督の不穏な言葉に幾何の不安を覚えつつも、帰宅するためロッカールームに戻ることにした。
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