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録音が終わったらしい宏哉がヘッドフォンを取り、顔を上げる。
「あれ、帰ってたの」
私は黙って頷いた。能天気に笑う顔に、ベトベトのコロッケを投げつけてやりたくなる。
「今度の曲は良いと思うんだ」
伸びた髭を引っ張りながら、彼はぺたぺたとこちらに歩いてきた。キッチンに置かれたコロッケに手を伸ばす。
「ねえ、今日なんの日か知ってる?」
私はビールを一口飲んで、彼に問う。宏哉はきょとんとした顔で首を傾げた。
「コロッケの特売日?」
これでも真面目に答えているらしい。宏哉が私の誕生日を覚えていたことはない。わかっていたとは言え、目に涙が滲んだ。かっと熱いものが込み上げ、私はビールの缶を握りつぶす。金色の液体が、キッチンに飛び散った。驚いた顔で慌てる宏哉を、思い切り睨みつける。
「出て行って」
「え、いや、……え?」
飛び散った液体と私を交互に見ながら、宏哉はおどおどと答える。
「出て行って!」
私は叫んだ。怒りのままに缶を投げつける。からん、と情けない音を立てて潰れた缶は宏哉の横の壁に当たった。
「え、ぼくが悪い? 待って?」
戸惑う宏哉を玄関の方へ突き飛ばし、置かれていたギターも投げ飛ばした。パソコンのコードを無理矢理引き抜き、録音機材も玄関に投げる。
「待って、待って! 奈美、僕なんかした!?」
飛んでくるものを避けながら、涙目で宏哉は私に言う。何もしてないのよあんたは、と叫んで私は彼を外へ追い出した。
4月だから寒くもないし、暑くもない。路上でも生活できるでしょ。ドアを少しだけ開けて、それだけ言い放つ。思い切りドアを閉めようとした途端、手が挟み込まれた。
「待って、奈美」
涙目の宏哉がこちらを覗いている。私は唇を噛み締めた。もう待たない。待てない。
「これだけ聞いて、お願い。もう出て行くから」
私の剣幕に慄いたのか、観念したように俯いて、ドアの隙間から1枚のCDを差し出す。いらないわよ、とも言えず渋々受け取った。ばたん、と音を立ててドアが閉まる。
「ごめんね」
小さな声が、ドアの向こうで聞こえた。あの声で歌う歌が、好きだったんだよな。ふいにそんなことを思い出した。
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