王女で聖女な私の転生記

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「ひえーっ、急げ急げぇ~っ!」  今日は週に3回の塾の日だ。  でも直前までゲームをしてたから、いつもより10分くらい遅れてしまった。  だから私は、小走りで塾に向かう道を急いでいた。  信号待ちをする時間も勿体なく感じられて、信号が変わりそうになったらもう少し早く走って。 「あっ、ヤバイ! もう赤になっちゃう……!」  ──だから気づけなかった。  青信号が点滅していた横断歩道に、赤信号だった道路から1台の車が来てたことに。 「……えっ?」  ものすごい速さで走る車からブレーキ音が聞こえるも、抵抗は虚しく車は私の体へと突っ込んだ。  人通りの多い信号だったから、すぐに救急車が来たのは音で分かった。  でも、薄れる意識の中から分かったのはそこまでだった。  ──だからこそ、分からない。  なぜ、私はあのときのことを今こうして思い出しているのだろうか。  それに私の心の声とは裏腹に、実際は声だけを出してただ泣いている。泣き止みたいのに、なぜだか顔が、体が、言うことを聞いてくれない。  どこからか私をあやす声が聞こえてきた。すると、自然と私の泣き声も止まっていった。  意識が戻ってから私は、眩しいと思いながらも初めて目を開いた。 (──え? なっ、何これ……!?)  豪華な調度品に囲まれ、3人もの人から微笑ましいものでも見るかのような目で見つめられている。 「お、おんぎゃあ……!」  おかしいということを主張しようとしたが、口から出るのはこんな言葉で。 (お、おんぎゃあ……!? そ、そ、それじゃあ、まるで…………)  私が心の中で呟いた言葉を繋ぐように、私を抱えていた婦人──らしき人が声をかけてきた。 「あらまあ……可愛い赤ちゃんだこと!」 「立派に育つといいんだがな」 「へえ、結構可愛いじゃん。お母さんに似てるんじゃない?」  次いで婦人の夫らしき人、それからその息子らしき人が私に話しかける。私は返事をすることも叶わないが。 (や、やっぱり私、赤ちゃんになってるってこと──!?)  それからしばらく、私は婦人、その夫、息子らしき人にあやされ続けたのだった。 △▽△▽△  それから早くも16年が経ち、私はこの世界で立派に成長していた。  名前は『マリリアン・フィジア』と命名された。お母様が考えてくださった名前だ。  親しい間柄の人からは『マリー』と呼ばれた。鮮やかなピンク色の髪の毛に、王族の特徴だという珍しい虹色に輝く瞳を持っている。  私はあのとき死んでから、この世界へ“転生”してしまった。  ここはいわゆる『ファンタジー』の世界で、貴族や魔法、なんと魔物までもが存在する世界。そんな中、私はなんとフィジア王国の王族に生まれたのだった。  家族は私を含め、現在5人いる。  母と、父、それから長男であり王太子のアース、私が生まれたときは知り合いのパーティーに出ていたらしくいなかったのだが次男のキース、私──マリリアン、三男のノースだ。  王族としての政務がある父や母、アースと話す機会は少ないが、特にすれ違いもないので幸せな方だと思う。  ──それに、どうやら私には聖女としての力もあるのだそうだ。  この力はとても希少らしく、この力を使うと国の魔物が国民を襲う気持ちやらなんやらを鎮めることが出来ると聞いた。  そのことが分かってからというものの、私はロムファミオ神殿へと住み移ることとなっていた。  神殿の跡継ぎになるというハーネス・ロムファミオとの縁談話も上がっていた。聖女として招き入れられた女性には、神殿の跡継ぎと婚約することが多いためだ。  彼は輝く青色の髪の毛に黄緑色のような瞳を持つ、整った顔立ちをしている。前世の世界の言葉で言う……確か、イケメンとかそんな感じの。  だから私はこの話に乗り気だった。彼との仲も良好なので、おそらく彼も私との婚約を望んでいることだろう。  そんなことを考えていると起きたのか、ハーネス様が自身の寝室からでてきていた。 「あら、ハーネス様! おはようございます」 「あぁ……おはよう、マリー。……そうだ、今日は僕の予定が少ないから、それが片付いたら一緒に王都へ行きたいんだけど」 「っ、ぜひ! わたくしがハーネス様のお誘いを断る理由などありませんから!」 「そうか、ありがとう」  ふたり揃って、心から嬉しそうな笑みを浮かべた。  朝起きてきたハーネス様に挨拶をする。これは、私が神殿に移り住んでからの習慣になっていた。 (それにしても、どのあたりまで出掛けるつもりなのかしら。カフェとか? うーん……ハーネス様とならどこでも嬉しいわね)  午後に想いを伏せながらも、聖女としての唯一の役割である祈りをすませると、あっという間にその時間へとなっていた。 「さてと……、マリーはどこに行きたいとかあるかな? あれば付き合うよ」 「まあ、ハーネス様とご一緒させてもらえたのにわたくしの要望を聞いてもらうなんてありえません! そうですね……強いて言えば、わたくしの行きたいところはハーネス様の行きたいところですわ」 「そうか……じゃあ、今は昼時だしひとまずカフェにでも行こうか」 「はいっ!」  そういい歩き出すハーネスに遅れないように、私は早足で追いかけた。  私が恐る恐るハーネス様の手を取ると、ハーネス様が手を握り返してくれた。  私はそれだけで嬉しくなってしまい、少しだけハーネス様に寄り添って歩く。さりげなく歩調を合わせてくれるのも嬉しい。  そうして歩いて十数分ほどが経つと、ハーネスはひとつの建物の前で立ち止まった。 「ここだよ。このカフェは王都でいちばん美味しいと話題らしくて」 「とても豪華ですわ……! でも、この距離なら馬車の方が──」 「これはね、お忍びなんだよ。今頃、神殿では僕の秘書官が慌てていることだろうね」  口元に人差し指を添え、ウィンクをしてみせるハーネス様。茶目っ気があるなんて私を殺す気なのだろうか。 「では、今日は自由に出掛けられるのですね!」 「そうだよ。っていうことだから、見つからないうちに楽しんじゃおう」  そんなふうにして、私は約4時間もの間ハーネス様と王都を出歩いた。  そして。 「そろそろ見つかってしまうかな……」 「この時間が終わってしまうなんて寂しいですわ」  フィジア王国の王都にある湖畔に設置されたふたりがけのベンチに座りながら、そんなことをこぼしていた。 「でも、マリーと過ごせて僕は幸せだったよ」  こちらを見て微笑むハーネス様。私もハーネス様に微笑み返して、同じ気持ちだということを告げる。 「ええ、わたくしも……ハーネス様と同じ気持ちですわ」  そう言うと、ハーネス様はズボンのポケットからあるものを取り出した。 「それは、あのアクセサリーショップで売っていた──?」 「──あのね、マリー。僕は、君のことがどうしようもなく好きみたいだ。その……だからどうか、この婚約指輪を受け取って欲しい」  頬と耳を真っ赤にしながら差し出された彼の手には、綺麗に輝くクンツァイトが埋め込まれた指輪があった。 「せっかくだから、君の髪の毛と同じ色の宝石が埋め込まれたものにしたんだ。綺麗なピンク色だろう?」 「……ええ。嬉しいですわ、ハーネス様。喜んで、婚約をお受けいたします」  こうして、私は晴れてハーネス様と婚約することが出来たのだ。 △▽△▽△  それなのに……。  私を大広間へと呼び出したのに、目の前にいるハーネス様の態度はどう考えても今までの私に取っていたものではない。  ハーネス様はこちらを指差して何かを叫んでいる。その腕にはなぜか、別の令嬢らしき子がしがみついていた。 「マリー! 君の聖女としての力は、本当はこちらの公爵令嬢であるソフィアの力だったそうだね。彼女を脅して聖女のフリをしていたのはもう分かっていることなんだ。そんなことをする人が王族な訳もない。よって、僕は君を国外へ追放する! 一生を以て、その罪を償うといい」  突然の言葉に、私は固まってしまった。  私が偽物の聖女? しかも、ソフィアさんの力を使って聖女のフリをしていた? 「な、何を仰っているのでしょうか? わたくしは、正真正銘の聖女ですわ。もう1年もこの国に忠誠を捧げ続けて──」 「物分かりが悪いな。その力は全てソフィアのものだと、本人から聞いたと言っている」  その隣ではタイミングを見計らったかのように、ソフィアさんが頬に手を当てながらもハーネス様の腕にしがみつく。  断固として譲らないハーネス様に、私も負けじと言い返す。 「わ、わたくしは……わたくしこそが本物で……っハーネス様っ! きっと、その子こそが偽物なのですわ!」 「まだしらばっくれるのか。お前はもう必要ないんだ。さっさと僕の前から消えてくれ」  ……必要ない、と。今、ハーネス様はそう言ったのだろうか。しかも消えて、とも。 「──……どれだけ言ってもわたくしの言葉は信じていただけないのですね。だったらわたくしは出ていきますわ。この国がどうなろうとわたくしの知ったことではありませんから、もう帰ってくることはないと思ってくださいませっ!」  後半はほとんど自暴自棄というか拗ねたようになってしまったが。  悪役に仕立て上げられたなら悪役らしく、ビシッ! とふたりを指差すと踵を返して、私は大広間を後にした。 △▽△ 「……っ、どうして……どうしてなんですの、ハーネス様……」  そして廊下を歩きながら。  私は、我慢していた声を吐き出した。声と共に、嗚咽すらも上げてしまいそうだ。 「わたくし、心からハーネス様のことをお慕いしていただけでしたのに……っ、この国のことを想って、毎日毎日お祈りしていましたのに……っ、うぅ……」  嗚咽が漏れかけたとき、咄嗟に手で口を覆った。腐っても王女、こんなところで泣いているのはさすがにまずいだろう。 (カッコつけて思わず出てきてしまったけれど、これからどうしようかしら……? うーん、まずは王宮に……いえ、婚約破棄はハーネス様の独断ではないだろうから、王宮に伝わっていて門前払いされるに決まってるわ。だとしたら……)  自室まで戻ってくると部屋の扉を開き、迷わずにとあるタンスの前へと行く。  タンスの棚を引くと、その中には貯金されたお金が丁寧にしまわれていた。 (聖女は外に出ることが滅多にないから、貯蓄額ならある……これなら、隣国に渡れるかしら?)  そう。この国にもう当てがないのなら、隣国に渡ってしまえばいいのだ。 (行き先は……テルジオ帝国にしましょう。最近は旅人の受け入れが活性化して、人気の観光地になっているらしいから……)  着々と隣国へ旅立つ準備をする。旅行のような経験はないが、幸い王女としての知識があるので心配はないだろう。  必要最低限のものを詰め込むと、さっそく私は神殿を出た。  ロムファミオ神殿。いい思い出だけにはならなかったが、楽しい時を過ごしたのは確かだ。 「さようなら、ロムファミオ神殿。ハーネス様……」  溢れそうになった涙を堪え、前を向いて歩き出す。  王都の地理を思い出しながら歩いていると、なんとか港に着くことが出来たようだ。  受け付けに行くとひとりの女性が立っていた。彼女が受け付けをしてくれるのだろう。 「すみません、わたく……私、隣国のテルジオ帝国に行きたいんですけれど」 「テルジオ帝国ですね。パスポートはお持ちですか?」 「ぱ、パスポート?」  すっかり忘れていた。鞄を探さずともそんなものはないだろう。 「わ、忘れてました……今作ることって出来ますか?」  そのようなことを言う人が多いのだろう、彼女は慣れた様子で案内を続ける。 「はい、お名前を教えていただければ交友関係にある隣国くらいなら渡れますので」  私はその言葉に安心して胸を撫で下ろした。 (でも、どうしよう……? マリリアン・フィジアって名乗ったら私が王女だって確実にバレるし……)  少し考えてから前を向くと私ははっきりと言い放った。 「私、メアリと申します!」 「姓はありませんか?」 「はい、平民なので……お家ではパン屋さんをやっているんですけど」 (これならお金をたくさん持ってることもおかしくないもの!)  私の思惑通りに事は進み、無事に私は船の甲板に立つことができていた。  観光に向かうと思われる人の数は予想よりも多かった。 「すごいわ……船はこんな風なのね。潮風が涼しくて気持ちいい……」  今は初夏だ。海に海水浴をしている人も多い。  潮風を堪能しているといつの間にか出航の時間になっていた。  ボーッ! と大きな音と共に船が動き出す。しかしそれも、海面が揺れる様子や海水浴客、空を見ているうちに、隣国テルジオ帝国に着いていた。 △▽△▽△  私がテルジオ帝国に降り立ってから、まず探したのは宿屋だ。  寝泊まりするところがないと野宿をするしかなくなるし、今のうちに取っておいたほうがいいだろうから。 (お金は宿屋の代金くらいはまだ残ってるわ……けど底をつく前に仕事を見つけたほうが良さそうね)  所持金に余裕を持っておきたいと思った私は、先に今日働けそうなバイトを探すことにした。  小さな街を歩いているうちに仕事の募集や紹介などが張り出された看板をみつけると、私の足は自然と止まった。 (せっかくだからここで見つけたいわ……! とにかく今日1日だけで稼げる仕事を見つけないと。まあ、あるかどうか分からないけど……)  そう思いながらたくさんの求人募集を目で追っていると、あるひとつの内容が目に留まった。 (臨時メイド募集中……? わあ、臨時なのにすごく給料がいい! メイドとしての所作が出来るかは分からないけど、やってみたい……!)  私はこの臨時メイドという仕事?をすることにした。  行き先はこの辺りでいちばん大きい建物らしい。ここは帝国の地方なのでその建物がこの辺りの街全体を整備しているのだろうか。  一応オーディションらしきものはあるらしいが、礼が整っていて顔色が伺えるようであればいいだろうと思われる。 (本当にこの建物は大きいのね……! 全貌が全然見えない……)  それだけで私は気圧されそうになったが、お金を稼ぐためだ、と奮起させながら私は建物の中へと入っていく。  意外にも、オーディションを受けようとする人は少なかった。2、3人ほどだ。  実はブラックだったりするのだろうか、と不安を抱えていたが、そんなことはなかった。 「──オーディションでは、茶の入れ方と出し方、礼の最低限のマナーがあるかどうかを見させていただきます。合格者はひとりです」  オーディション内容を聞いた私は、心のなかで安堵した。これくらいなら私でも出来そうだからだ。 「──次、メアリさん。どうぞ」  そしてついに、私の順番が回ってきた。  用意されていたティーカップに茶葉を入れ、その中にお湯を注いでいく。  テーブルのあるところへ向かうと、人形の目の前へそっと置き、一歩下がってから一礼。  初めてのことでいささか緊張はしたが、ぎこちない動きにはならなかったことに安心する。  残りの人のオーディションも終わり、しばらく──30分ほど待つと、私のもとには“合格”の知らせが届いていた。 (や、やったわ……!)  すると、案内役だろうか。屈強な鎧を来た兵士が私のもとへとやってきた。 「メアリ嬢だな。こちらへ」  無愛想な彼に着いていくとそこはまるで、私の住んでいた王宮と同じくらいの広さをした大広間にたどり着いた。  そこで私を待つ人物がいるそうだ。  しばらく立つと、とある人物が私の前へやってきた。 「……っ!?」  それはまさかのテルジオ帝国第2皇子、ルイ・ベランヌ・テルジオだった。  そして、他国とはいえ皇族がフィジア王国の王族の特徴を知らないはずもなく。 「だっ、第2皇子殿下にお初にお目にかかります……わ、わたしはメアリと申します──」 「うん、そこまででいいよ。……うん? 君のその瞳はもしかして虹色かい?」  ギクッ、と音が出てしまいそうなほど私は震えた。  いくら皇子といえど、そんなスピードで気がつくとは。 「……っき、気のせいでは、ないでしょうか……」 「そうかい? まあ、それはともかくとして……君にはね、次の来賓の予定があるから、そのときにメイドとして出てほしいんだ。それまでは、この環境に慣れてもらうために僕の身の回りのこともしてもらう」 「……えっ!? わ、私が、ですか!?」  最初の件はともかく、普通そういった仕事はメイドには回ってこないはずだ。  だから私が驚くことは想定内だった様子で、ルイ殿下は答えてくれた。 「そう。今は少し、メイドの数が少なくて……僕にはあまり身の回りの世話をしてくれる人はいないし、ちょうどいいと思って。そうそう、来賓のときはさっきのオーディションと同じようなことをするだけでいいんだ。……引き受けてくれるかい?」  優しい笑みを浮かべて聞いてくるルイ殿下。  でも私には、どうしても悩む点があるのだ。 (そんなことを引き受けたら絶っっ対に私が王族だってバレるじゃないのー!)  そう。フィジア王国の王族の目は、とても目立つ。なんせ虹色なのだから。 (で、でも……)  ちら、とルイ殿下の方を見遣る。彼はただ私を見つめていたようだ。  私の視線に気がついたのか、ルイ殿下が再度話しかけてきた。 「君ほどマナーがなっていればなんとかなる。心配はいらない。……だからどうか、引き受けて欲しいんだ」 「う、……」  確かに皇子に支えている人物がいなければ、その人は舐められてしまうことだろう。かといってマナーがなっていなければ、国が舐められる可能性もあるのだ。  それを理解したからこそ。 「お、お引き受け……させていただきます」 (い、言ってしまったー!!!)  パニックになる私の心とは裏腹に、ルイ殿下は嬉しそうな笑みを浮かべた。 「ありがとう! じゃあ、まずは僕の執務室へ来てもらえるかな? 僕の基本的な執務を教えてあげよう」 「は、はい……」  そうして私は、ルイ殿下に一時的に支えることとなったのだった。 △▽△  ルイ殿下の斜め後ろをついていくと、いつの間にか殿下の執務室へと着いていた。 「さて……とりあえず入ってくれ」 「し、失礼します……」  ドアを開けて中へと入っていくルイ殿下に続く。  そして殿下はドアを閉めると、 「君は、マリリアン・フィジア……フィジア王国の唯一の王女だね?」  いきなり私へそんな言葉を掛けた。 「! ……わ、私はメアリです。そんな、マリリアン王女と間違えられるなんて……」 「いいや、君の瞳は間違いなく虹色だ。このような瞳を持つのは、フィジアの王族以外あり得ない」 「……、」  先程とはうってかわって強い語気で言われた私は、思わず黙り込んでしまった。  そんな私を見かねてか、ルイ殿下は優しめの口調で話し出した。 「……あぁ、別に僕は君のことを疑っているわけじゃないんだ。ただ、なぜ君がこんなことになっているのかを知りたくてね。……教えてくれるかい?」  無意識のうちに俯かせていた顔を下から覗き込み、私の目を見てそんなことを言うルイ殿下に。  ──私は、全てのことを吐き出したくなってしまった。 △▽△ 「……なるほど、フィジアではそんなことが起きていたのか」  私が今までの経緯を全て話し終えると、ルイ殿下はそれだけを言った。 「君はすごいね」 「……え?」 「慕っていた人から婚約破棄を受けて、それでもこうして頑張っているんだから」 「っ」  お世辞などではなく、心から言ってもらえているということは、殿下の話し方から分かる。  だから、私は今まで我慢してきたことは無駄ではなかったと思えた。  こんこん、と扉をノックする音が、静かな部屋にやけに大きく響いた。 「──あぁ、ごめん。何か知らせが来たようだ。席を外しても大丈夫かい?」 「……はい、どうぞ」  私の返事を聞き、彼は扉の向こうへと消えていく。  ──しかし、慌てた様子ですぐに私のもとへ戻ってくるとこう言った。 「今、フィジア王国が魔物の襲撃で混乱しているそうだ。それに伴って近頃予定されていた来賓は延期になると……」 「……そんな、」  私はショックで、思わず声がつっかえてしまった。  追い出されたといえど私はフィジア王国の王族なのだから、母国が襲撃されたとなれば当然だ。 「ソフィアという人には聖女としての力などなかったんだろうね。どうやって神殿の跡継ぎなんかに取り入ったかは分からないが……」 「……ルイ殿下」  険しい顔で呟いていたルイ殿下に、私は失礼を承知で声をかけた。 「ここから私が祈りを捧げれば、……フィジアに届くでしょうか?」  私のやろうと思っていることを感じ取ったのだろうか。  ルイ殿下は私の目を見つめると、深く頷いて言った。 「君の魔力なら、ここからでも届くだろう。でも、いいのかい?」  いいのか。それはおそらく、母国とはいえ追放された国に慈悲をかけることを言っているのだろう。  そう思った私は、迷いなく頷いた。 「はい。だって、私──わたくしは、フィジア王国の王族ですから」  それからの対応は早かった。  ルイ殿下に頼んで人払いをしてもらった応接室で祈りを捧げる。  それも10分ほどで終わらせるとルイ殿下から、フィジア王国への襲撃は収まったとフィジアの使者からの伝言が届いた。 △▽△▽△  少しの間とはいえ魔物の襲撃があったフィジア王国の混乱が鎮まるまで、かなりの時間がかかった。 「──本当にここに残るのかい? 今の君なら、国を救ったとして聖女──いや、王女以上の生活が出来るはずだろう?」  私の目を見てそう言ったのはもちろんルイ殿下だ。  あれからルイ殿下とはたくさんの話をして、今では気軽に話せるほどになっていた。 「いいえ、わたくしはここに残りますわ。わたくしは、他の誰でもない殿下の元で過ごす方が幸せなんですもの」  私はルイ殿下の問いかけに即答した。 「王女としてのわたくしでも、聖女としてのわたくしでもない、マリリアンとしてのわたくしを選んでくださった殿下のもとにいたいと思うのは……我が儘なんでしょうか?」 「……マリー、君は我が儘だね」  茶化すようにそう言って笑う殿下に、私は微笑み返した。 「──そうだ、いきなりで申し訳ないけどフィジア王国の混乱が鎮まったから、改めて3日後、こちらに訪れたいと使者から伝言があったそうだ。その場にはマリーも同席するよう言われている。……どうする? 君には無理強いをしたくないんだ」  眉を下げて、殿下は私に問うた。  こんなときにも優しい殿下に、……私は迷わずに首を横に振った。 「フィジア王国からのお願いなんでしょう? それに、横に殿下もいらっしゃれば……わたくしに苦痛なんてものはありませんもの、同席させていただきますわ」 「そう、ありがとう。でも無理はしないこと。いいね?」 「はいっ」  念押しする殿下に、私は笑みを浮かべて頷いた。  それから殿下と少し話をしたのち、今日はもうそれぞれの部屋で寝ることにした。 △▽△▽△ 「わああっ、素敵ですマリリアン様ー!」  あれから早くも3日が経った。  今、私はやってきた侍女たちによって着替えを終わらせたところだ。 「ありがとう。わたくしがこうして着飾るのは久しぶりになるのね……」  私がそう呟いたとたん、ノックの音と共に部屋の扉が開いた。  声をかけながら入ってきたのはルイ殿下だった。 「マリー、おはよう。準備は出来てるみたいだけど、もう応接間へ向かってもいいかい?」 「…………はい、大丈夫ですわ」  笑顔で答えたが、少しだけ返事が送れてしまった。  私は密かに、可愛いと言ってもらえるか……期待していたのだ。  私の手を取り扉の方へと歩き出すルイ殿下。  少しだけ悲しい気持ちを必死に抑えながら部屋の入り口まで行く。  すると。 「──可愛い、似合ってるよ。マリー」  扉を閉める瞬間、殿下は私の耳元でそんなことを囁いた。 「……っ!?」  心の準備が出来ていなかった私は、一瞬全体の動きが止まってしまった。  そんな私に殿下は微笑みかけると、上機嫌な様子で歩き出す。  一方、私は── (今、可愛いって言われた……? それに似合ってる、とも……)  にやけてしまいそうな頬を、もう片方の手で必死に抑える。  ルイ殿下が言うタイミングがあまりにも不意打ちすぎて、心臓が破裂してしまいそうだった。  しばらく歩いていると、ふと殿下が立ち止まった。  目の前には扉がある。もちろん、応接間のものだ。 「──……マリー。この先には既にフィジアの王と王妃、王太子がいるそうだ。……もう、入ってもいいかな?」  私はただ黙って頷いた。  それを見ると、殿下はゆっくりと応接間の扉を開いく。  次第に見えてくる部屋を観察していた私は、みっつの姿を目に捉えた。  その瞬間に、ガタッ! と大きな音を立てて椅子から立ち上がった人物がいた。 「……っマリー!」 「………………お父、様?」  私の名前を叫んだのは、確かにお父様──フィジアの王だった。  よく見ると、目の下に隈が出来ている。それほど私のことが不安だったのだろうか。  ……でも私の表情は晴れなかった。 (………………どう、して。どうして、そんな風にわたくしの名前を呼ぶの。……だって、) 「わたくしのこと、探しに来て下さらなかったのに」  気づけば、そんな声が漏れていた。  咄嗟に私は手で口を抑えた。それから深く俯く。  私のお父様はフィジア王国を背負う人物だ。そんな人が、自分のために動くことがないのはもちろん分かっている。 「皆が忙しいのは分かってるけど……っ使者を使えば探しに来れたはずでしょう……? どうしてわたくしを放置していたの? 寂しかったのに……なんとか隣国まで来たけど、わたくしはずっと心細かったのに!」  今まで我慢してきた言葉が、せきをきったように溢れだす。  肩を小刻みに震わせながら、私は涙を流した。  そんな私を、皆はただ静かに見つめて待っていた。長く感じられたが、実際は十数秒ほどだったのだろう。  私が少し落ち着いたのを見ると、誰かが私の肩に優しく手を置いた。  反射的に顔を上げると、手を置いた人物と目があった。 「……ルイ殿下は、お父様達から……フィジアの人からわたくしについて、なにか教えられていたんですか?」  ルイ殿下は、静かに頷いた。 「君のことは、フィジアの王宮から密かに出ていた使者がつけていたと聞いたよ。君が臨時メイドの仕事をすると決めたとき、使者は僕に報告をくれたんだ」 「……もともと、知っていらっしゃったんですね」  裏切られたような気がして、私はまた俯いた。ルイ殿下が優しかったのは全て、王国から頼まれたからだったと思えたから。  そんな私に気づいたのか、ルイ殿下は真剣な面持ちで話し始めた。 「……マリー。確かに最初は君の言う通り、フィジアから頼まれたからだったよ。その事で君が悲しい思いをしているのは、申し訳ないと思っている」 「……っ、ルイ殿下のせいではありませんわっ」 「……君は、優しいね」  気づけば、ルイ殿下が先ほどの私のように俯いていた。  慌てたように返した私の言葉を聞くと、ルイ殿下は少しだけ顔を上げた。 「でもね、マリー。今は違うんだ。君のことが……ただ大切で、愛おしくて……」 「ル、ルイ殿下っ?」 「──君のことが好きなんだ」  短くそう言うと、ルイ殿下は私に抱きついてきた。  それが照れ隠しだったなんてことは、私には分かるはずもなく。 「マリー。僕の好意を、君は喜んで受け取ってくれるかな……?」  いつも自信たっぷりに話す殿下からは想像できない、震えた声音で聞かれてしまった私は。  顔が熱くなるのを感じながらも、きっぱりと答えた。 「そんなもの、わたくしが無下に出来るわけありませんわ」  私の言葉を聞いたルイ殿下は私から体を離すと、私が少しだけ名残惜しく感じたのも束の間。  殿下は自身のポケットに入っていた、小さな入れ物を取り出して、私の前に差し出した。 「こんなところで渡すのはどうかと思ったけど……早く、渡しておきたくて」 「まさか……婚約指輪?」  おずおずと問うた私の言葉に、しかし殿下は首を横にふった。 「これは結婚指輪だよ。婚約は簡単に破棄されてしまうだろう? 僕はそんなことはしないけど……もう、君をそんな形で悲しませたくないから」  その言葉を聞いた私は、躊躇いながらも左手を差し出す。  私の手を宝物を触るように取った殿下は、そっ……と私の左手の薬指に、指輪を嵌めた。 「大切にしますわ、ルイ殿下」  そう言うと私は、渡されたばかりの婚約指輪を眺め──そして気づいた。 「……この宝石は、まさか虹色?」  殿下は無言で頷いた。 「君の虹色の瞳は唯一無二だ。せっかくだから……レインボームーンストーンというものを使ってみたんだ」  じわ、と。  私の瞳に、涙が浮かんだ。 「う、嬉しい……わたくしなんかには、身に余る光栄で──」 「そんなことないよ。君は十分素敵だから」  そんな言葉を掛けられたら、私の涙は止まるはずもなくて。  ルイ殿下に支えられながら、落ち着くまで私はしばらく泣いていた。  なお、訪れていたフィジア王国の王、王妃、王太子は5分後、気まずそうに帰っていったらしい。 △▽△▽△  後日。  私はルイ殿下と共に、結婚式をすることとなった。  参列者は私とルイ殿下のご両親のみだった。そのそうそうたる顔ぶれに、神官は冷や汗まみれになっていたという。  その事を思い出し、くすっ、と思わず笑みをこぼすと、横にいたルイ殿下がこちらを見遣った。  今は夕暮れの時間帯だ。結婚式のあとに普段着へと着替えた私達は、テルジオ帝国の外れにある湖畔へと来ていた。 「ルイ殿下」 「どうかしたかい?」 「……わたくし、少し思い出したことがありますの」  ルイ殿下から視線を外し、目の前の湖を見つめながら続ける。 「昔、ここでお会いしたことがありましたよね。わたくしがお兄様……第2王子のキースと共にここへピクニックに来たときに」 「……あぁ、そんなこともあったね」  私の言おうとしていることに気がついたのだろう。  どこか遠くを見るような目で、ルイ殿下も湖を見つめていた。 「あのとき、殿下がわたくしに約束してくださったこと、覚えていますか?」 「もちろん。──『僕が君のことを幸せにしてあげられたらいいのに』、だろう?」  私はそっと頷きつつ、湖から視線を外した。赤くなった顔が、恥ずかしくて見せられないから。 「……殿下は、ずっと覚えててくださったのですか?」 「そうだよ。まあ、君が聖女として神殿に移り住んだときは、無理かと思ったけどね」 「でも、今こうして約束を果たしている殿下はすごいですわ」  私は今それで幸せだということを伝えたつもりだったが、殿下は自嘲気味に言葉を返した。 「いや、まだだ……。君が幸せで弾けてしまいそうなくらい、僕は幸せにしてあげたい」 「でん──」  殿下、と言おうとした私の唇を、何かが塞いだ。  しかしそれはすぐに、私の唇から離れていく。  そして私は気づいた。 (今……殿下は私に、キスを……?)  顔に熱が集まっていくのが分かる。 「……マリーは、恥ずかしがり屋で可愛いね」 「……っ殿下」  次は頬に、髪の毛に、殿下の唇が落ちる。  私はそれだけでも恥ずかしくて、気がついたら目をつぶっていた。 「……今日はこれくらいにしておくか」  名残惜しそうに呟いた殿下は、言葉通り私から離れていく。  それが寂しかったなんて、私は言えるはずもなかった。 「…………僕から離れないで、一生……いや、来世でも一緒にいてくれるかい?」  唐突に投げられた質問に、私はもちろんのこと即答した。 「そんな不安がらないでください。わたくしは、殿下のもとをずっと離れませんもの」 「そうか」  私がそう言うと、殿下はまた私に抱きついた。今度は優しく。  殿下の香りに、腕に、ずっと包まれていたくて──私はそっと、殿下にもたれかかったのだった。
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