乗れない、自転車

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「行ってきまーす!」  元気な声とドアが閉まる音。  宿題やったの、なんて聞く暇もありゃしない。  ガチャガチャと自転車を出す音を聞きながら、洗い終わった野菜を一旦ザルに置いて手を拭く。居間のテーブルに乱雑に投げ出されたプリントと連絡帳。四年間、毎日言い続けて、これだけは帰ってすぐ出していくようになった。ママ友の話を聞くと、それだけでもよしとすべきなのかもしれない。  連絡帳に特記事項なし。プリントは保険だよりと……授業参観のお知らせ。 「またあるのかあ」  つぶやいて、ため息をつく。  一人で家にいる毎日に倦怠を感じないわけではない。ママ友と会って子供や旦那の愚痴をこぼすのはそれなりに楽しかったりする。だが。 「遠いんだよなあ」  もっと近い学校もあるのだが、学区外。幼稚園の友達が多く行くこともあって、大人しく学区内に通う選択をした。子供は楽しそうに通っているし、朝が早いのだって気にはならない。 だが、行事や参観日が辛い。自分の足では三十分ほどもかかるし、起伏だってある。歩いて十分のスーパーにすら車で行く最近の自分にとっては、「ちょっとした運動」の域を超えている。  その上、近所のママ友は皆自転車で行くという。 「乗れたらいいんだけどねえ」  小3まで補助輪付きの自転車に乗っていた。そのことが徐々に恥ずかしくなってきたものの、練習しても練習しても乗れるようにならず、そのうち自転車自体乗るのをやめてしまった。中学生くらいまでは密かなコンプレックスだったし、高校でも自転車通学をする友人たちの身軽さに憧れたことはあったが、大学、就職とすすむうちに自転車に乗るような機会自体激減し、いつしか乗れないということすら忘れかけていたのだ。  なのに、今になってこんなことになるなんて。  もうちょっと頑張っておけばよかったのかな、と思わないでもない。当時、親や友人は、口々に「すぐ足ついちゃうから乗れるようにならないんだよ」と言った。だが怖いものは怖いし、反射的に足で体を支えるのを止める方法なんて、自分にもわからなかった。頑張ってはいたのだ。できるようにならなかったからと言って頑張ってなかったことにされるのは話が違う、と思ってしまう。  スマホが鳴って、我に返る。ぼんやりプリントを眺めたまま、ずいぶん時間が経っていたようだ。外は暗くなり始めている。明かりをつけてカーテンを閉めてからスマホの画面を確認すると、夫から連絡メッセージが届いていた。帰宅時間の連絡だ。それほどしないうちに息子も帰ってくるだろう。  台所に戻り、夕飯の支度を再開する。  マメで優しい夫、わんぱくだが明るく元気な息子。ちょっと遠くまで歩かなきゃならないことくらい、文句を言ったらバチが当たる。  そう、幸せなんだ。いつもさっさと足をついてきた結果だとしても。  ゴトン、と大きな音を立てて、かぼちゃが二つに割れる。
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