着任

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酒場の隣にある、宿屋を営む建物の奥──。 そこが、春香の住まいでもあり、こうして、仲間と密談する場所でもあった。 部屋は、人が数人入っただけで、息が詰まりそうなほど、狭苦しい。 壁には、琴が立て掛けられ、小箪笥と葛籠(つづら)が、ぎっしり置かれている。春香の、本業、高官達の酒席で楽技を披露し華を添える、妓生の職に使う衣装を仕舞う為だ。 「春香、どうやら、都に動きがあったようだ。密使が入り混んできたようだぞ……」 黄良は、手下から、余所者、それも都訛りの男に、村の入り口で出会ったと、報告を受けたのだと告げた。 「黄良、まさか、あたし達のことが?」 「それは、わからん。まずは、あの、学徒、の所を見るべきだ」 「だね、監視が入るとなると、まずは、あの悪徳長官の所だ。何が、南原府使だよ」 「春香よ、学徒には、都に後ろ楯がいるんだろう?」 「ああ、だから、やりたい放題。今までも、監査は入った。けどね、皆、その後ろ楯とやらの息がかかった輩ばかり、結局、不正無し。で、終わっちまう」 「……今度も……」 「ただね、黄良。酒場で見ただろ?近頃、田舎両班(いなかきぞく)が、大手降って、出歩きすぎてる。そろそろ、あたしらも、決めなきゃいけない時期が来てるんだよ」 「春香、お前」 危ない橋を渡る時が来たのだと、黄良の顔は曇る。しかし、それも、用心棒としての仕事だと、黄良は、思い直した。 ──その頃、夢龍は、パンジャと、共に、村外れ、あと数里で街へ入るという場所にある、小さな楼閣に来ていた。 「たまにな、父上が、息抜きを兼ねて遠乗りをした。この場所がお気に入りだったのだよ」 「言われて見れば、風光明媚な場所でございますなぁ。おや、あそこには、小さな池が、それも、図ったように、菖蒲ですか、あの、群生する葉は……。時期になれば、紫色の花を咲かせることでしょう」 「パンジャ、お前、なかなか、詩人だな。ああ、節句になれば、村人達は、こぞって、沐浴していたよ」 「そうでしょ、そうでしょうとも、菖蒲は、邪気払いになると言われてますから、更に、その場所で、節句の沐浴をすれば、魔除け効果は、倍になりますなぁ」 節句の時期に池で、沐浴すると、魔除けになると言われている。そして、菖蒲の葉を擦り付け、穢れを落とし、無病息災を願うのが、庶民の間の習慣だった。 「ああ、春の、南原は、過ごし安い。色々と、祭りも、あってな」 「へえーこりやぁ、また、良い時に、来たもんだ。坊っちゃん、少しばかり長いして、祭りとやらを、楽しみましょうや」 「ついでに、沐浴もして、都の穢れを落として帰るか」 そりゃーいいや!と、パンジャは、大喜びだった。祭り、と、名がつけば、普段は飲めない酒も、下僕という奴婢の位のパンジャへも、振る舞われるからだ。 従者の、喜び具合に、夢龍は、思わず笑った。 そして、池の脇にそびえる様に植わる大木に、目を移す。 「ああ、まだ……あるのだな」 「坊っちゃん?」 主人の、どこか遠くを望むような、しかし、昔を懐かしむにしては、寂しげな様子に、パンジャは声をかける。
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