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「離して!離して!この人攫い!」
瓜子姫の叫びも空しく、女は瓜子姫の手をつかんで、一目散に走って行く。
「人聞きの悪いこと言うんじゃないよ。まったく。私の用事が済んだら、すぐにかえしてやるから」
女は老夫婦が追ってこないことがわかると、歩みを止めた。そうして、瓜子姫の方を振り返った。気がつくと、辺りは瓜畑である。未明の暗さは、少しずつ大空に吸い込まれていく。
瓜子姫は、女をどんなひどい言葉で罵ってやろうかと考えたが、振り返った女と自分の顔があまりにも似ているので、少しの間言葉を失ってしまった。
「用件なら、玄関でも聞けたじゃありませんか」
瓜子姫がようやく言葉を発すると、女はにやりと笑った。でもそれは、鬼になろうと必死な可憐な女の微笑であった。
「君はね、鬼なんだよ。そして私が、瓜から生まれた瓜子姫」
「出鱈目言わないで!」
「おや、怒るということは何か思い当たる節があるのかい」
少女は黙って唇を噛んだ。
「私はあの夫婦に捨てられたんだ。私の歌のおかげで、あの夫婦は暮らせていたんだけどね、私が五つか六つの頃に私を捨てたんだよ」
「そんなの嘘よ!」
「おいおい、話は最後まで聞くもんだよ。私を捨てたのは、私の髪が突然白くなり出して、夫婦は私を鬼だと思ったからだろうね。まあ、無理もないさ。そのときちょうど、隣の人が鬼に食われてしまってたからね。しょうがない…しょうがないんだよ」
女の横顔はどこか寂しそうであった。
「でも、瓜子姫がいないと宝物がもらえない。そう思った夫婦は、きみを私の代わりにしたんだ。捨て子の君をね。まだ四つくらいの君に、夫婦が本当の親だって刷り込むことは造作も無かっただろう」
「なんで君が捨てられたのか知ってるかい。君はね、鬼のくせに人間にそっくりで、鬼たちから気味悪がられたんだ。君が鬼と人間の混血であることは、すぐにわかった。私は鬼として生きたから」
女は息つく暇も惜しいというように、話を続ける。
「捨てられた私はどうなったと思う?」
瓜子姫に、返事をする余裕などなかった。
「私も、君の代わりになったんだよ。私と君は、顔がそっくりだったから。私はね、森に捨てられて、そこで鬼に拾われた。鬼が子を捨てるのは大罪だからね。それを隠すために、私は鬼の振りをするよう教えられて、肌を毎日赤く塗って過ごした」
「そんなの貴方の想像でしょ…」
瓜子姫の声は、どんどん小さくなっていく。
「気づかなかったのかい。いいや、気づいていたんだろう。鬼は人間とは生きられないんだよ。どんなに隠しても、ぼろが出る。君の爪を見て御覧よ」
いつか、瓜子姫は老夫婦が話しているのを聞いたことがあった。
「じいさん、瓜子姫の爪見たかい」
「ああ。いつかわしらも喰われてしまうかもしれん。でも、今度はもう失敗するわけにはいけないんじゃ」
瓜子姫はその日から、必死で爪を切るようになった。深爪をして、爪を極力出さないように着物の裾を長くした。
「貴方は誰なの」
瓜子姫は下を向いたまま、女に話しかけた。
女はその答を持ち合わせていなかった。
本当の鬼なら、君を喰ってあげられたのに。
女はぼう然とそんなことを考えていた。
「おい!何してる」
瓜子姫は履き物を放りだして、瓜畑に入った。女が止めようとする間もなく、畑にあった鎌で首を切った。瓜の緑と、血の赤が妙に美しかった。瓜子姫は荒い息を二、三回繰り返して、すぐに息絶えた。
先ほどの騒ぎを聞きつけて、村人が瓜畑に集まってくる。
「ひっ、あんた、どうしたんだい」
女の心は、そこには無かった。
「こ、この鬼に攫われそうになって…これを振り回したら…」
「あれ、あんた、瓜子姫じゃないか。」
「…私に何か御用ですか?」
今更、老夫婦に復讐したいとは思わない。けれど、せっかくもらった瓜子姫の人生を捨てようとも思えない。鬼になりきれなかった女と、人間になりきれなかった瓜子姫を、誰が赦してくれるだろうか。
「私は、君に死んで欲しくて、教えたんじゃない。勿論、そうなるんじゃないかという期待はあった…でも、それ以上に、君に私という存在を知って欲しかった。君となら、復讐もできた。同じ哀しみを分け合えるのは、君だけだったのに」
首が三分の一ほど切れている瓜子姫の死体を目にすると、女は不思議と冷静になれた。
「さよなら、天邪鬼」
女が、鬼として生きた最期の言葉は、冬の風に、吸い込まれていった。
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