十一

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十一

 六月のある日の夕方、中国人クラブについて相談しようと、ショウはW書店のT社長を再び訪ねていた。 「ハダさんから何か情報は入ってませんか?」 「ああ、ハダ君、最近来てないね、彼もアダルトとは言え、大きなメーカーの常務だからね、結構、忙しくしてるみたいだよ、海外出張も多いみたいだし」 「そうですか、海外に?」 「うん、今は台湾によく行ってるな、向こうでも日本のAVは人気らしい」 「ところでT社長、実は先日、歌舞伎町の飲み屋のバーテンから、中国人の集まりそうな場所を教えてもらったんです」  T社長が眉をひそめた。 「どこ?」 「一つは風林会館近くの中華料理店で、もう一つが、その近くにある中国人クラブです。中華料理店の方は先日一人で行ってみましたが、何も得られませんでした」 「だろうな、中華料理店は『福粋楼』、中国人クラブは『F』、だろ?」 「クラブの名前は『F』と言うんですか?」 「たぶんな、その筋では有名だからな、でも、俺は止めた方がいいと思うぞ」 「どうしてですか?」 「あそこは日本人は入れないだろうな、噂では、盗品の密売と薬物パーティーの温床だってな、もっぱらの噂だ。でも、日本人は入れない、無理して入って、内部のことがバレたら、殺されるぞ」  ショウが溜息をついた。 「T社長が言うんだったら、その通りでしょうね、中華料理店の方は極普通の店でしたけど、何か特別なんでしょうか?」 「あそこもな、裏では、闇銀行の窓口だって噂だ」 「闇銀行、ですか?」 「そう、歌舞伎町にはな、密入国などで入って、銀行に口座を作れない奴らが大勢いる。でも奴らは中国の家族に金を送金しなければならないし、犯罪で得た汚れた金を日本のダミー会社から支払いと称して送金し、マネー洗浄する奴らもいる。いわゆるマネーロンダリングってやつだ。そのための地下銀行やダミー会社が歌舞伎町には腐るほどある」 「そうだったんですね、全くわかりませんでした。美味い炒飯だけ食って帰って来ちゃいましたよ」  T社長が大笑いした。 「お前みたいな素人が一人で行って、何か掴めるようなことは一つも無いよ、炒飯美味かったか?」  ショウが苦笑した。 「中国人クラブには連れて行けないが、その近くのキャバクラならよく知ってる、たまにその筋の奴らも来てるから、これから行ってみるか?」  ショウは頷いて、T社長に頭を下げた。  夜の歌舞伎町は、平日と言えども大勢の客で溢れている。条例で禁止されたはずの客引きの姿も絶えない。奴らは上手に取り締まりをかわしながら、姿を変え、形を変え、生き延びている。法律を守るかどうかなど、関係ない。この街で生きて行くために、自分たちがその置かれた環境に、如何に適応できるかである。昆虫に例えれば、奴らの餌になる虫もまた同様、引っ掛かるべくして、煌びやかな誘惑に引っかかる。T社長とショウは、歌舞伎町花形通りを区役所通りに向けて歩いた。そして風林会館に行く手前、ラーメン屋が密集する雑居ビルの三階にある店に入った。そこは日本人が経営するキャバクラで『ライムスター』という店だった。T社長は行き慣れているらしく、すいすいと中に入って行く。店内に入ると、客席までの通路がステージの花道のようにライトアップされ、光のトンネルを抜けるような感覚に、ショウは思わず目を細めた。しかし、客席のソファに通されると、思ったより騒がしくもなく、暗いトーンで落ち着いていた。すぐに店のホステスがT社長とショウの隣についた。女は同年代に見えた。 「初めまして、ジュンコです」  名刺を差し出されたので、ショウは表情を変えずに受け取り、ガラスのテーブルの端に丁寧に置いた。 「お若いですよね、こう言ってはお客様に失礼かもしれませんが、ここだけの話、少し嬉しいわ」 「ん? どうして?」 「だって、若いお客様は珍しいんですもの」  ジュンコは微笑み、ショウの耳元に唇を寄せた。 「最近は、皆、オジさまばかりだから」  ジュンコの香水の香りが心地良く脳を刺激した。優しい、石鹸のような匂い。気がつくとジュンコの手が、ショウの膝に置かれていた。ショウは香水の匂いがあまり好きではなかったが、ジュンコの香水の香りに対しては、むしろ好感を持った。 「いい香りですね、何て言う香水ですか?」  ジュンコは意外な表情をした。 「クロエだけど」  ジュンコがクスッとした。 「彼女にプレゼント、ですか?」  ショウが苦笑した。 「高価な香水は嫌いです、セレブ感出してるのも苦手、これは頂き物です」 「へえ、お客さんから?」  ジュンコが頷いた。 「ところで、さっきの話、本当に若い人は来ないの?」  ジュンコはまたクスッと小さく笑い、指で輪を作った。 「最近の若い人って、コレ持ってないから」  ショウは苦笑したが、考えてみればショウの友人たちを含め、金に余裕がある奴の顔を思い浮かべることができなかった。T社長を見ると、馴染みのホステスだろうか、やけに親しげに話し込んでいて、ショウのことなど気にしている様子はない。 「君も若いようだけど、年齢聞いても平気?」 「ウチのスタッフは全員若いぴちぴちの女の子ばかりですからね、ちなみに私は二十一、一応、まだ大学生」 「え? 大学生だったんだ、バイト?」 「ええ、そうよ、時給いいのよ、この店」 「そうだったんだ、俺は早生まれの二十四だから、二つ上だね。」 「そうなんだ、落ち着いて見えるから、もう少しお兄さんかと思ったわ、私にも二つ上の兄がいるから、何となく嬉しい」  ショウは、自分にも二つ歳下の弟がいると言いかけて止めた。 「どこの大学?」  ジュンコはこの時、初めて少し恥ずかしそうに、あどけない少女の表情を見せた。 「一応、東大」 「え? 東大なの? 驚いた、そんな雰囲気無かったと言ったら失礼になるけど、意外だよ、びっくりした」 「でしょ、お客さんにはそう言われるの、これでも私、大学でフランス文学を専攻しているのよ、今、卒論で忙しいんだけど、生活もあるしね、気晴らしも兼ねて、週に三日くらい、お水をやってる」 「就職先は決まってるんだろう?」 「そうね、一応ね、大手から内定は貰ってますけどね」  ショウが微笑んだ。 「お客様、お名前は?」 「タザキです。タサキじゃなくて、タザキ、濁ります」  ジュンコはその言い方が面白かったのか、急に笑い出した。 「村上春樹さんの小説『タサキツクル』とは違うのね」  以前、読んだのを思い出した。 「そうだね、彼はタサキ、僕はタザキ、濁ってる方が僕」 「わかったわ、でも、偶然ね、以前いらしたお客様で、タザキさんと同じこと言ってたお客様がいたわよ、私のお客さんじゃないんだけど、大学の先輩だったんで、何となく覚えているわ、半年くらい前にタザキさんって方がいらして、その方も濁る方だと言って、皆に話していたわ、それにね、今、お客さんの顔見てて思い出したんだけど、タザキさんって、そのお客さんに雰囲気似てる」  ジュンコがショウの顔を覗き込んだ。 「うん、そっくり」  ショウは頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。次の言葉が見つからず、口を開けたまま、ジュンコの顔を見つめていた。次第に顔が熱くなり、一瞬、眩暈がした。 「もう一度、詳しく話してくれないか!」  ジュンコがキョトンとした。 「え、ええ、いいけど、どうかしたの? タザキさん」 「そのお客さんって、本当にタザキという人だった? サエキ、じゃなく?」  ジュンコが頷いた。 「あまり詳しく知らないけど、大学の一年先輩だったんで覚えてるわ、確か理系で分子生物学か何かだったと聞いたけど」 「一年先輩?」 「そう、確か、そう聞いたけど」  ショウは頭を巡らした。タザキという客が弟であれば、通常ならジュンコと同じ学年のはずである。人違いか? しかし、こんな偶然があるだろうか? 「で、その人の連絡先とか聞いてない?」  ジュンコが表情を曇らせた。 「知らないわ、知ってても、お客様の個人情報をお教えすることはできない決まりになってるから」 「そう、だよね、でも、この店に一度来たことは確かなんだね」  ジュンコが首を傾げた。 「その方が、どうかしたんですか?」  ショウは一瞬、躊躇って下を向いた。 「弟かもしれないんだ」 「弟さん?」 「そう、子供の頃に生き別れた弟を探してるんだ、てっきりサエキという名前でいると思っていたが」  ジュンコが顔を紅くした。 「その弟さんって人も、お兄さんを探しているからタザキって、名乗ってるんじゃないんですか? 私、そう思います」  ショウが頷いた。 「君の名刺、貰っていくよ、また連絡してもいいかい?」 「いいですよ、できれば同伴で、また店に来てくれるなら喜んで連絡お待ちしてます」 「ああ、わかった必ず連絡する、だから、またそのタザキって客が来たら、俺のこと伝えておいてくれないかな? 携帯の番号教えるから」  ジュンコが頷いた。
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