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 スタジアムからの帰り道、映画学校の学生時代の友人で、同じく調布市内に住んでいるトオルと並んで歩いている時だった。試合終了と同時に一斉に駅へと向かう群衆とは別に、空いている地元の裏道を抜けた。 「どうする? どっかで飲んで行く?」 「どっちでもいい、駅前の居酒屋は全滅だろうな」 「なら、ウチ来る? すぐそこだから」  トオルが指差した。 「悪いな、今日はやめておく」  すると、通りの向こうから手を振って走ってくる女の姿が見えた。 「おい、そこの二人!」 「ショウ、あれ、ミウラユキナじゃないか?」 「ああ、ユキナだな」  ショウとユキナは学生時代の一時期、付き合っていたことがある。卒業と同時に自然に別れて、会うのは久しぶりだった。 「もしかしてよりを戻したのか?」 「まさか、付き合ってない、卒業以来、会うのは初めてだ」  ユキナは二人の傍まで来ると、満面の笑みを浮かべた。 「ショウ、久しぶりだな、元気だったか?」 「ああ、見た通りだ」 「お前、今、暇か? もし時間あるなら、再会記念に、今日これから飲みに行かない? お前のおごりで!」 「どうでもいいけど、久々に会って呼び捨てとはな、お前、昔と変わってないな」 「いいじゃねえかよ、今日は朝からムシャクシャしてんだ、どうせ暇で何もすること無いんだろ? いいだろ飲みに連れてけよ!」  偶然通りかかった通行人が、そのやり取りを見て口を開けている。 「可愛い顔に似合わず、酒豪とはねえ」  するとユキナがトオルの方に向き直った。 「あん? 今、何か言った?」  ショウが溜息をついた。 「わかったよユキナ、飲みに連れてくから」 「さすがショウ、そうこなくっちゃね」  ミウラユキナはショウと同じ映画学校の俳優科出身で、生まれも育ちも地元調布。学校を卒業して素人劇団に所属しながら、将来は女優になることを夢見ていた。ユキナは黙っていれば、テレビタレント顔負けの美人だが、人懐っこい性格が極端に出て、言葉が乱暴で荒っぽい。よく、口を開かなければオーディション受かるのに、と周りからは言われる。気が強く、さっぱりとして、あっけらかんとしたところが気に入って、ショウは学生時代に一年ほど彼女と付き合った。またユキナも周りにいる俳優かぶれした、ちょっとした好男子では満足しなかった。特に自信たっぷりに誘ってくる同年代の俳優の卵が嫌いで、生まれ育った田舎町ではモテたであろう優男をあっさり袖にするのが快感であった。学生時代、自分に全く興味を示そうとしないショウのことが逆に気になって、ユキナの方から告白した。ショウはそれを断った。ユキナにとっては振られた経験などなく、気付いたらショウのことしか考えられなくなっていた。 「そんで、どこ行く? この辺の店はどこも混んでんぞ」 「お前が嫌じゃなければ、新宿でも行くか?」 「おお、いいよ、で、そいつはどうすんの?」  二人がトオルを見た。 「いいよ、俺は、お邪魔はしませんよ!」 「トオル、一緒に行こうぜ、気にするな、なあ、ユキナ?」  ユキナが顔を紅くした。 「お、おう、お前も来いよ」  チッと口を鳴らした。 「気の利かない奴・・・・・・」    調布駅から新宿駅までは、京王線の特急電車で僅か十七分である。移動の間、ユキナは相変わらず一人でしゃべりっ放しだった。おかげで心配した移動中の気まずい雰囲気も無く、電車での移動を忘れるほどだった。新宿西口に出た。 「ショウ、どこか店知ってる?」 「お前、腹減ってるか?」 「ああ、少しな」 「じゃあ、西口のキリンでも行くか?」 「いいよ、飲めればどこでもOK!」  トオルも頷いた。店まで歩く途中、ユキナが以前はしていなかったピアスをしていることに気がついた。学校を卒業したのが二十歳だったから、あれから四年が経っている。四年前は美人なだけで、どこか子供っぽく、バタバタと騒がしい女だったが、ショウもユキナも互いに二十四歳となり、少しは大人っぽさを身につけたのかもしれない。ショウの視線に気付いた。 「おお、何だお前、アタシに気があんじゃねえのか?」  ショウが鼻を鳴らした。 「バカを言うな、そんな訳ねえだろ」  ユキナが笑いながらトオルの背中を叩く。 「だよな、冗談だよ!」 「痛てぇな、何で俺を叩くんだよ」 「いいだろ、叩きやすいんだよ、お前は昔から」 「全く、お前って、本当に昔と変わってねえよな」  新宿西口の三番街の外れの雑居ビルの二階に、学生の頃よく行った「キリン」がある。専門学校入学したての十八歳の頃から、年齢を二十歳と偽って、よく飲みに来た懐かしい店だ。ビールメーカーの直営だけあって、ビールは特に美味いが、食い物も気が利いていて味も良い。土曜の午後だったが、まだ時間が早いせいか、すんなりと三人入ることができた。 「懐かしいなここ、昔を思い出して照れちまうぜ!」 「ああ、そうだな、俺も久しぶりだ」  三人はグラスでビールを注文した。ユキナはビールが運ばれてくると、それを一気に飲み干し、すぐに追加を注文した。 「お前、相変わらず、酒好きだな」  ショウが苦笑する。 「まあな、劇団で毎日鍛えてンからな」 「劇団の連中って、凄く飲むんだろう?」 「ああ、演技鍛える前に酒鍛えられた奴多いかな、アタシは最初から強かったかンね」 「そうだったよな、新歓コンパでさ、先輩がユキナを酔わせて、うまいことやろうとしてさ、だけどユキナ、全く酔わなくて、逆にその先輩の方が酔って、ゲーゲーやり始めちゃって、あれ、みっともなかったな」  ショウがユキナを見た。 「お前は無関心だったかもしれないが、ユキナは上級生からも俺たち同級生からも人気があったんだぜ」 「そうだったのか?」  ユキナがビールと一緒に頼んだチョリソーを口に咥える。 「だぞ、この幸せ者が」  チョリソーを飲み込み、またビールを一口流し込みんだ。 「ところで、ショウは今、何やってんの?」  ショウが一瞬、額に皺を寄せた。 「この通り、何もしてない」 「お前の方がよく知ってるだろうけど、ショウの実家は金持ちだからな、羨ましいよ、俺なんて業界の夢破れて、今会社員やってんだから」 「アンタはさ、そうだろうけど、ショウならきっと大手に採用されると思ったんだけどなあ、で、将来は大物プロデューサーにでもなって、アタシを主演で使ってくれると思ってたんだけど」  ショウがビールをグッと飲み干した。 「あてが外れたな、俺を買いかぶり過ぎだ、俺にそんな力は無い」 「でも、みんな言ってたぞ、同級生の中で最も出世しそうなのが、ショウだって」 「みんな、見る目ないな」 「でもさ、ショウ、お前が金持ちで働かなくても暮らして行けることはわかってるけど、この先どうするつもり?」 「アタシも実家暮らしで好き勝手やって、偉そうなこと言えないけど、ショウには何か見つけて欲しいな。ショウが学校に入って来た時から、この人って全く業界に興味無いんじゃないかな? って思ってた。他のギラギラした奴らとはどこか違っていたから」  トオルが頷く。 「そう、どこか醒めてる感じだったよな、ショウって、将来の目標みたいなもの持ってないの?」  ショウは東京に来てからの自分の生活を思い返した。まず初めに母の旧姓である「サエキヨウコ」を頼りに母の実家を探した。勿論、興信所の力も借りたが、反応は悪く、やはり名前だけで追跡するのは困難だった。ショウが小学三年生の時に起きた、それも海外での事件の記録など殆んど無く、「タザキヨウコ」ですら、どこからも情報が得られなかった。弟のリュウは、母方の姓をそのまま名乗っていれば「サエキリュウ」であるはずだったが、こちらも名前だけでは如何ともし難く、「タザキリュウ」のままであることも考えられ、その両方の線が暗礁に乗り上げてしまった。それに海外で起きた中国マフィアの事件を調べるのも困難を極めた。あっと言う間に二年間の学生生活が過ぎ、就職することで時間が奪われることを嫌い、二十四歳になるまで仕事に就かなかった。目標? と呼べるようなものは無いが、目的はある。しかし、このことは誰にも話していないし、今後も話すつもりは無い。トオルたち周囲の人間から見れば、人生の目的を持たず、毎日を無駄に過ごしているように見えるのだろうが、それは仕方の無いことだった。 「そのうち、ちゃんと仕事探すよ」  口ではそう言っているが、瞳が嘘をついている。 「どうだかね、ところでショウ、あんた今、彼女いるの?」  不意を突かれて思わず、目を大きく見開いた。 「いるんだろ、どうせっ」  ユキナがトオルを睨む。 「いないよ」 「本当か、トオル!」 「た、たぶん、何で俺に聞くんだよ、ショウのプライベートはよく知らんけど」  ユキナがショウ見て目を逸らした。 「何だユキナ、お前、まだショウのことが好きなんだ」  顔を真っ赤にして、トオルの頭を平手で叩いた。 「ンな訳ねえだろ、バカかコイツは」  ショウがそれを見て微笑んだ。 「ところでユキナ、お前は卒業してからずっと、何してたんだ?」 「ん? アタシか? アタシはずっと女優目指して頑張ってたよ、なかなか芽が出ないけどね、大手劇団やドラマのオーディション受けながら、時々仲間の劇団の演劇出たり、アキバの地下アイドルやったりして、これでも結構大変なんだぞ」  トオルが目を丸くした。 「は? アキバの地下アイドル?」 「うっせぇーな、何か文句あんのかよ、これでもファン結構いるし、アキバ地下アイドルランキングは常に上位なんだぞ、コラ!」 「でもさ、アイドルって普通、十代とかじゃねえの?」 「うるせえ! 十代に見えりゃあ、歳なんて関係ねえんだよ」  ユキナがショウの目を見た。 「今度、アキバに見に来いよ、一番前で見せてやっからさ」 「わかった、今度な」 「約束だぞ、絶対観に来いよな」 「劇団って有名なとこ?」  ペロッと舌を出した。 「舞台女優になるのも結構狭き門なんだよ、毎年幾つかオーディション受けんだけど、中々難しい。アタシなんかまだ自宅だから、レッスン受けながらバイトして、何とかまだ夢追えてるけど、同級生たちは、この四年で相当減ったな、就職して、そのまま諦めた子もいるし、故郷に帰って結婚しちゃった子もいる。長く続けていれば、いつか何とかなる世界でもないかンね」 「俺も似たようなもんだよ、業界には就職できたけどさ、やっぱ小さなプロダクションじゃあ、給料安過ぎて暮らして行けないよ、あれじゃあ、だって朝から深夜まで働いて、月十五万円とかだぜ、コンビニのバイトの方が食えるっつの、夢なんてその時捨てた」 「何だトオル、お前、一度は業界に入ったんだ?」 「そりゃあ、一度はね、全くその気が無かったのはショウ、お前くらいじゃないか?」 「ああ、そうかもな、でも、俺も考えなかった訳じゃないんだぜ、学生の頃に皆で映画作りの真似事したのは、楽しかったしな」 「無理しなくていいよ、でも、今こうして四年経っても、調布に住んで、時たまサッカー観たり、酒飲んだりできるだけでも、俺たちは幸せな方なんじゃないか?」 「かもな」 「いいねえ、男の友情ってやつ」 「まあ、そう言うな」  そんな話をしているうちに、窓の外は暗くなり、新宿の街にネオンが瞬きだした。店内が急に混み始め、周りの騒がしさで、話す声が聞き取り難く感じていた頃だった。 「そろそろ、行くか?」 「だな、今日はこれくらいにしてやる!」  三人は席を立ち、ショウがカードで全て支払った。 「悪いな、いいのか?」 「気にするな、俺の稼いだ金じゃない」  クレジットカードを財布にしまった。トオルもユキナも、何故ショウがそんなに金を持っているのか不思議ではあったが、ショウの口から詳しい話を聞いたことが無かった。ユキナが昔、思い切って聞いた時も、ショウは笑って「ボンボンだから」と言葉を濁した。その後も家庭のことを聞く機会は無く、何となく、ショウのおごりで飲みに行くのが常態化してしまった。そのことでショウは嫌な思いをしていなかったし、むしろ金の使い道ができたことを喜んでいる節もあった。それに幾ら金に余裕があるといっても、一晩で数百万の金を使うようなバカな真似はしなかった。どちらかと言えば暮らしぶりは質素で、急に大金を掴んだ成り上がりを軽蔑してもいた。帰りも新宿からタクシーなど使わずに、三人で電車に乗った。調布駅で別れ際、 「迷惑じゃなかったら、また連絡してもいいか?」  ユキナが下を向いた。 「いいよ、携帯もマンションも昔のままだから」  顔を上げ、満面の笑みを湛えた。 「じゃあ、またな!」  くるりと背を向けた。酒に酔っていたのかもしれないが、ユキナの目が紅かったように見えた。
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