プロローグ

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ここは彼、坂崎 竜さんがオーナー兼トップスタイリストを務めるヘアサロン『C’est la vie(セラヴィー)』。 フランス語で『これが人生さ』という意味の店名は、かれこれ五年もここに通っている私からするととても彼らしい名前だなと思う。 ケープを着せた後、坂崎さんは私の背中の真ん中まであるカーキグレージュの髪を、(ウナジ)に手を添わせながらゆっくりと持ち上げた。そしてそのまま傾く椅子に合わせて私を後ろへと倒して行く。 顔にフェイスガーゼが被せられ、適温のシャワーで髪を濡らされた後、前髪の生え際に人肌よりやや高めの温度のとろっとしたオイルの感触。 あとはもう彼の指の動きに身を委ねていればいい。   「んん………」 いつものことながら長くて節だった指が与えてくれるその心地良い刺激は、私の疲れた身体にあっと言う間に染み渡り全身からふにゃりと力が抜けて行く。 「ミーコ。今月もよく頑張ったな」 「……ん」 優しく鼓膜を撫でるような、私を労うザラつきのない低めの声。 この時間とその言葉があるから頑張れるなんて、そんな本音を私がこの人に伝えられる日は、来るのだろうか。
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