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俺は言われた通り、ベッドに横になる。
「……で、どうするんだ?」
「今から私が子守唄を歌います。斉藤さんはただ、それを聴いていてくれればそのうち自然と眠くなってくるのです」
へえ。睡魔の子守唄か。なかなか効きそうだ。
じゃあ頼む、と言って俺は瞼を閉ざした。
小さな声が、独特のメロディーで何かを口ずさんでいるのが聞こえ始める。そっと耳をすました。
「観自在菩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子……」
「おい待て、ちょっと待て」
ぎょっとして、俺は上半身を起こしてしまった。
「どうしたのです? ちゃんと子守唄歌ってるのに……。これは気持ちを落ち着ける作用があるもので……」
「子守唄じゃなくて読経じゃねえか! しかも般若心経! 葬式か!? 俺は死人じゃねえんだぞ!!」
「あ、あんまり感情を昂らせると脳がコーフンして余計に眠れなくなっちゃいますよ……っ」
正論を言われ、俺は睡魔をジト目で見つつも再びベッドに横になった。何となく嫌な予感がし、当惑している様子の睡魔に訊く。
「なあ、お前ってこの仕事ながいの?」
「……いえ、この春から始めたばっかりなので、人間でいうところの入社一年目です」
「まじかよ……」
藁をも掴む気持ちで利用したのに、こんな新人に当たるなんて……。でも、100円しか払ってないし、対価としては妥当なのかもしれないが……。
「わかった、マジで何でもいいから俺を眠らせろ!」
「こ、こっちだって頑張ってやってるのです!」
「頑張ってやってこれかよ……。とにかく、子守唄以外で頼む」
ため息をついて、俺は再びベッドに横になった。
「んーと、んーと、じゃあ、寝物語を聴かせてあげます」
「……今度はちゃんとやれよ。ちゃんと寝れそうなやつな」
「ええっと、【昔々、あるところに収穫間近のトマトたちがいました】」
勘弁してくれよ…………。
両手で顔を覆いたくなったが、いや、これから眠れる感じの流れに入るのかもしれないぞ、と自分に言い聞かせる。
「【『もうすぐ私たち出荷されちゃうんだね』、『育ててくれた農家さんに感謝しなくちゃ』、『収穫されたら、私、トマト缶になりたいんだあ』、『いいわね、私はスパゲッティーのソース』】」
お前、これ即興で作っただろ。
そうツッコみたいのを懸命にこらえる。
睡魔の語りは続いた。
「【収穫間近のトマトたちがそんなことを話していると、どこかからなにかが撒かれるような音がしました。『なに? この音?』、『肥料……じゃないわよね』。トマトたちは目を瞬いてお互いの顔を見合わせました】」
目も顔もついてねえだろうが、トマトには……。ていうか、何が撒かれてんだ……?
「【隣の家の農家が、なにかを撒きながら近づいてきます。やがて、トマトのうちの一人が気づいて叫びました。『あれは……除草剤よ!』、『嫌ああああぁぁー!!』】」
「イヤー!じゃねえんだよ!!」
ベッドから跳ね起きてしまった。
睡魔が目を瞬く。
「な、なんでだめなのですか……っ!?」
「マニアックすぎるんだよ、気になって目が冴えるわっ!」
「ええっ、もしかして私、作家の才能が……!?」
「お前は作家じゃなくて睡魔だろぉ!」
「そ、それもそうです……」
睡魔はがっくりと肩を落とした。5分はとうに過ぎていた。何が5分以内に眠らせる、だ。
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