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香奈さんは毎日、仕事帰りに新作のコンビニスイーツを買っていた。綺麗なシルエットのショートボブに上品なイヤリングがよく似合っていた。商品を渡す時、いつも「ありがとうございます」と丁寧にお礼を言い、会釈して去っていく。当時、俺は慣れないレジ操作にもたつくことも多くて、横暴な客に絡まれがちだったから、そんな彼女の人柄にいつのまにか惹かれていた。
「それから、レジ越しに少しずつ話すようになって、連絡先とか交換して、やっと、今度ご飯でも行きましょうってことになったんだ」
「店員さんとお客さんの恋だったのですか……!」
睡魔は俺と香奈さんの馴れ初めを、年相応の女子みたいな反応で聞いていた。
「……まあ、こんな眠れないほど緊張してんのなんて俺くらいだと思うし、たぶん向こうは俺のこと友達としか思ってくれてないだろうけどな。明日のランチだって、デートだと思ってんの俺だけだよ、きっと」
「そんなことないのです! でも、斉藤さんも仕事ができない時期はあったのですね……! 意外です」
「そりゃ、あるよ。……でも、香奈さんに『若いのに慣れない仕事でも放り出さず、きちんとこなそうとしているのに好感を持ちました』って言われたんだ」
「慣れない仕事でも放り出さず……」
睡魔が感心したように俺の言葉を反芻する。
「ああ。なかなか結果に結びつかなくても、こっちの頑張りを見ててくれる人はいるんだなって思った」
「私にもいるんでしょうか、そんな人が」
「ああ、きっといるよ。お前もがんばってれば、報われるときが来る」
「そう、ですよね……!」
さっきまで落ち込んで淀んでいた睡魔の目に光が戻ってきた。恋バナと激励が効いたようだ。
「励ましていただいて、ありがとうございます……! わざわざ、馴れ初めまで聴かせてもらっちゃって……」
「いや、なんかいいよもう」
「そうだ! 馴れ初めを聞かせていただいたお礼に、私の話もするのです」
「そうか? じゃあ聞くけど」
俺はベッドに寝転んで頬杖をつき、話を聞く体勢に入る。
「まずこの話をするのには、予備知識が必要なので説明しますね。睡魔というのは、悪魔の一種なのです。と言っても、睡魔は人間を眠りに誘うだけで害を与えたりはしません。生まれた時は皆、ただの悪魔なのですが、メメロネ学園に入学すると睡魔と病魔の二つのクラスに分けられるのです」
「うん」
「病魔のクラス名称はクレオクタディクラスと言って、睡魔のクラスはミセトロンガンクラスと言うのです。でも、クレオクタディクラスは、マナミエティクラスと名称が変更されることが検討されていまして、なぜかというと、学校長のヒポポティナ・バーナ様がクレオクタディクラスは魔を浄化する効果のあるバナビエラ草を連想させるということで……」
「うん……」
ぼんやりと相槌をうちながら、俺は、何かこの感覚どこかで味わったことがあるな、と懐かしく思った。何だろう、この、感覚。
「……ということで、ヒポポティナ・バーナ様がクレオクタディクラスをマナミエティクラスへ名称を変更する旨を発表しまして。その時期、私はナヤラハ期と呼ばれている学年次に該当していたので、ミセトロンガンクラスかマナミエティクラスに進むかを決めないといけなかったのです。悪事を働きたいという野望がある悪魔はマナミエティクラスを選んで、べつにそんな悪いことしたくないっていう悪魔はミセトロンガンクラスを選ぶことが多くて、私はもちろんミセトロンガンクラスを選んだのですが、初等部の頃から仲良しだったリンちゃんとキヌちゃんがマナミエティクラスに行くって言い出して。私もびっくりしたんですが、マナミエティクラスを選択するには、ロロニエ試験というものを受験しなければいけなくてですね……」
しばらく睡魔の語りが続いて、俺はこの懐かしい感覚の正体を思い出した。
高校の時の、難解な授業をきいていて眠たくなるあの感じとよく似ていたのだ。
睡魔は、病魔と睡魔の棲み分けについて詳細に語り出しており、わけのわからないカタカナ語を聞いていると瞼がどんどん重くなってくる。そのうち相槌を打つことも放棄してしまい、俺はとうとう目を閉じた。
「……それで、キヌちゃんがーー。……あれ? 斉藤さん? 聞いてます? おーい?」
睡魔がそう尋ねてくるころには、俺は完全に眠りに落ちていた。
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