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第1章
「ヒメちゃん、ダメよ。それは食べものじゃありませんよ」
一歳になる娘、姫乃はやんちゃさんだ。
いつもリビングを走り回っている。
何でも口に入れて飲み込んでしまうので始終見てないといけない。
常に床に何か落ちていないか確かめていないと。
旦那も何かと協力してくれている。
こんなに賑やかな家庭になるとは、赤ちゃんに恵まれなかった5年間が嘘のようだ。
そのきっかけは一年前の春の出来事だった‥
第二章
夜12時。
日が変わって1分後、スマホの着信音が鳴った。
シャンシャン♪
シャシャシャシャン♪
「あーもー!遅いぃぃぃ!」
鮎川ひなのは布団から手を伸ばして充電中のスマホを掴んだ。
時間を確認。
「もしもし拓?いま何時か分かってる?」
不機嫌そうに電話の相手に話しかける。
「ごめんごめん、いま玄関前にいるからさ、鍵開けてくれる?鍵忘れちゃって。」
お気楽に話しているこの声の主はひなの旦那、鮎川拓(たく)38歳。
沖楽商事の営業マンをしている。
今日は駅前の公園で会社の同僚達と花見という名の飲み会に行っていた。
電話に出た女性、鮎川ひなの30歳。
拓とはお見合い結婚で結婚生活5年目。
子供はいない。
お互いに子供を望んでいたもののなかなか子供に恵まれなかった。
2人とも口にはしなかったが当時その事で少しギスギスしていたかも知れない。
この日、ひなのは帰りの遅い旦那を待ちながら眠気に耐えきれずに寝てしまっていた。
仕事をしながらの主婦業は思いの外、大変なのだ。
家の事は一切、ひなのが仕切っていた。
家事以外の、支払いや生活費のやりくり、面倒な細々したものは全部ひなのが担当。
服を脱ぎ散らしながらパンツ一枚で部屋を歩き回る拓とは大違い。
「ごめんね。部長がさ、なかなか返して来れなくて。君のおかげで今回の契約がうまくいったよとか言われてさ」
パンツ一枚の拓がリビングの椅子で太鼓腹をパンパン叩きながら言う。
‥そんな事聞いてないっっっっつうの。
今何時だと思ってるのかって話。
私は明日も朝早くから仕事なのよ。
だから‥
鍵を忘れるな!そして気を遣って静かに入って来い!
拓は、腕を組んでウンザリした顔を見せるひなのに手を合わせながら、
「ごめんよ、ひなの。
そのかわりひなのが喜ぶもの、買って来てあるんだ」
と言って一つの白い大きなケーキ箱をテーブルの上に置いた。
おお?!
今までの怒りが嘘のように消え、目の前の大きなケーキ箱に目が釘付けである。
「ホールケーキ!!」
私が怒ってると分かると大好きな甘いものを買ってくれる、その点だけは褒めてあげよう。
「仕方ないな。何のケーキ?」
「当ててごらん。」
この時間開いている店はコンビニのみ。
駅前の公園から家まで5分。
その間にあるコンビニは二つ。
しかしホールケーキを売っているコンビニはのはハミリーイレブンしかない。
眠気が覚めたひなのの頭脳はフル回転した。
あそこのホールケーキは苺の生クリームケーキかチョコレートケーキだけ。
どっちだ?どっちだ?
クンクンクン!
お?生クリームの匂い?
「わかりました。当ててみましょう」
そう言うとひなのはケーキ箱を指差して言った。
「苺の生クリームケーキ!」
拓は首を傾げた。
「あれ?何だったっけ?」
あんたの記憶は5分もたないのか。
一生懸命考えたこの時間を返せ。
‥まあ、酔っ払いだから仕方ないか。
開ければいいんだし。
そう思い、ひなのはケーキの箱を持ち上げた。
‥カサカサ‥カサカサ‥
え?なになに?今の音?
何かが這っている音。
‥カリカリ‥カリカリ‥カリカリ‥
今度は引っ掻く音。
怖い怖い!
この箱の中から聞こえる?!
何が入ってるの?!
決して小さくない音。
ひなのはバカでかいゴキブリを想像した。
「た、拓が開けて!!」
ケーキ箱を拓に差し出す。
拓は腕を組みじっと箱を見つめると
「ひなの!‥がんば♡」
とガッツポーズをする。
「虫、苦手なんだよね」
‥ど突いてやろうか。
そのうちケーキ箱の上の扉部分が
モリモリモリ‥モリモリ‥
と盛り上がり始めた。
ムリムリムリ!もうムリだっ!!
‥モリモリモリ‥モリモリ‥
出てくる!!
箱からたくさんの手足をウネウネさせて仁王立ちをする巨大なゴキブリの姿を想像した。
ひぃぃぃぃ!怖いっ!!
扉が限界を迎えた瞬間、
ポン!!と弾けたように扉が開いた。
腰が抜けてペタリと座り込んだひなのの目に飛び込んできたのは小さな子犬の姿だった。
「え?」
大きなクリクリしたおメメがひなのを見つめている。
ひなのはその子犬と目が合った瞬間、胸がきゅんとした。
もふもふの体つきとクリクリのおメメ。
犬種はポメラニアンだろうか。
「か、か、かわいい‥♡」
これが彼女との出会いだった。
「ど、どういう事、これ?」
拓は腕を組んで首を傾げている。
「分からん‥」
それにしても、どうしてケーキ箱に??
お店の手違いなんて考えられないし。
小さなポメラニアンを抱っこする。
めちゃくちゃ小さい!軽い!
この子生まれて2、3ヶ月くらいかな。
とりあえず震えている小さな体に付いた生クリームを洗い流しながら、
「キミ、どうしてケーキの箱に入ってたの?怖かったでしょ?」
と優しく声をかけた。
「おお!思いだしたぞ!」
突然、拓が喋り始めた。
「コンビニでケーキを買って歩いてたらお腹空いて無意識に歩きながらケーキを食べちゃったんだよね。それでどうしよう、無くなっちゃた、と思った時に公園で箱に捨てられてたこの子を見つけて、『この子を可愛がってください』ってね、そうだこの子を代わりに入れようって箱に入れたんだよね」
なんだろう‥その理由よく分からない‥。
お店から出て5分。
お腹空くの早くない?
それにケーキ、ワンホールを食べ歩きしてきたの?
5分以内で?ガツガツと?
私ならそんなサラリーマン見たらダッシュで逃げるわ。
それに狭いとこに入れられたこの子が可哀想。
ドライヤーとタオルで体を拭いてあげながら、
でも、とひなのは思った。
ひなのが喜ぶもの、それは確かにそうであった。
子犬の体を拭き終わると、
「あなた女の子ね、名前をつけてあげる」
クリクリした潤んだ瞳で見つめてくるその可憐さがお姫様のようだと言うひなのの言葉から「姫乃ちゃん」と名付けた。
「飼うの?」
拓が聞いた。
「当たり前でしょ。姫乃ちゃんと私達はもう家族でしょ。
この子は今日から私達の娘。
だから『飼う』ではなくて『家族になる』って言って」
鮎川家に新しい家族が出来たのだ。
「今日から私はヒメちゃんのお母さんだ」
そう言うと心がくすぐったくなった。
第三章
姫乃は、一歳になった。
かなりのやんちゃさんだ。
いつもリビングを走り回っている。
でも何でも口に入れて飲み込んでしまうので始終見てないといけない。
常に床に何か落ちていないか確かめていないと。
「ヒメちゃん、ダメよ。それは食べものじゃありませんよ」
旦那も育児に協力してくれている。
散歩は旦那の日課だ。
決して吠えずに道ゆく人に愛想を振りまいて「可愛い♡可愛い♡」と言われているそうだ。
そう言うとこ、私に似てるかも。
「旦那も今は私以上にヒメちゃんにメロメロなんですよ」
とご近所に話したが本当にそう。
溺愛してると思う。
姫乃は本当に自分が産んだ子じゃないかと思う事がある。
おかしな事を言ってると自分でも思うけど。
自分がふと思って行動する時決まって姫乃も同じ行動をする。
シンクロしてるみたい。
私の言うことだけは素直に聞く。
一緒にいる時は常にピッタリと寄り添ってくる。
悲しい時も。
姫乃はきっといいお姉さんになるだろうと、大きくなってきたお腹をさすりながら思う。
赤ちゃんが産まれても姫乃のタイセツさは変わらない。
だって姫乃もお腹の子もどちらも私の子供。
私と旦那と姫乃とお腹の子はタイセツで繋がっている。
みんな繋がっている。
姫乃がひなのを見上げている。
「お互いがお互いをタイセツだと思えばきっと何があってもやっていけるよね。
頼むね、お姉ちゃん♡」
(終わり)
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