一つ、コントローラーはもう要らない。

1/1
前へ
/71ページ
次へ

一つ、コントローラーはもう要らない。

 星空の中のようなロビーから始まるVRゲーム「Sea of StarS」…………SSSと呼ばれるゲームの中で、一人の男が立っていた。  エボニーという名前でゲームをスタートした彼は、他のプレイヤーを表す青い光を眺めながら、自分も他の人から見ればこう見えるんだろうな、なんて思いながら周囲を見渡した。  深い藍の空間に瞬く光は波間に漂うように明暗を繰り返し、ログアウト時に身につけていた装備を再現するようにその縁を走る線は、運営からのちょっとした贈り物でもあった。  どこからか波の音が聞こえてくるのがロード終了の合図であり、次の瞬間にエボニーの姿はゲーム内にあるマイルームの外へと移動した。  そこから彼が目指す先は、プレイヤーが活動していればどうしても眼に映る山脈である。魔物が多数生息するその山脈の頂上で待つ、連なる神たちの中でも屈指の実力を持つ龍神。そんな神に挑み続けて一週間が経とうとしている今日。エボニーの心の中は不安でいっぱいだった。  本当に一人で倒せるのかどうか。溜めに溜め込んだ資材が持つかどうか。SSSがサービス終了するまでに倒せるかどうか。それらが内心でせめぎ合い、一週間に渡る失敗の数が余計にストレスを加速させるのだ。  MOの要素を取り入れたハンティングアクションRPGであるSSSのサービスが始まって十年が経とうとし、節目として運営の口からサービス終了が語られたのが二ヶ月ほど前であり、その言葉は重くプレイヤーの心にのしかかった。  だがそれも、SSSを遊んでいたプレイヤーたちには分かっていたことで、より美麗な光景、より迫力のある戦闘を求めて旅立っていく仲間たちを見送ってきたのは、一度や二度ではない。  エボニーもその一人であり、彼は自身の気持ちに区切りをつけ、切り替えるために戦っていた。彼はプレイヤースキルが高いわけでもなければ、ガチ勢だったわけでもない。それでもSSSで感じた感動と、楽しませてくれた記憶たちをどうにか形に残したかったのだ。  SSSに登場する五柱の神をソロ討伐した際に、現実の方で送られてくる金のバッヂ。それを手に入れるためには、あと一柱──星と魔法のリーンズを倒さなければならない。  ただでさえ強い神であるにもかかわらず、他の四柱をソロ討伐していると増える攻撃パターンと、二撃くらうだけで溶けるHP。挑戦するたびに心が折れそうになるものの、何度も戦っているうちにその速度にも慣れてきていたエボニーだが、結局サービス終了前日まで神を倒すことはできなかった。  だが、ここまできて放り投げることはできない。あと一日。あと一日で終わってしまう。仕事の休日を指定しているために明日は一日全部をSSSに使うことができるものの、彼の中の焦燥感は薄れない。これなら有休をもっと使っておくべきだった、とエボニーは自身の武器を眺めて今日の挑戦を終了した。  今日はこれ以上戦っても無駄だというのは分かっていたのだ。  残りHPが三割を切ると使ってくる大技の対処法。それを思いつかなければ勝つことはできない。  もし最後をのりきれたなら勝利は目の前にある。エボニーはベッドの上でゆっくりと目を瞑り、ただひたすらに戦闘のイメージを高めていた。  日があけ、サービス終了最終日。頭はいくらかスッキリしたものの、相変わらずエボニーの頭の中にはもや( ・・)がかかったような感触があった。だがお昼頃には大技の攻撃範囲とその仕様を見切り、生き残れる時間も増えてきた。  そしてサービス終了三十分前に、彼は龍神の身体を地に伏せさせた。 「っしゃおらー!!見たか!」  エボニーの遠吠えに答えるように戦闘終了を讃える盛大なファンファーレが鳴り、合わせて称号獲得の通知が届いた。  «貴方は炎と旅路のドーリー、命と調和のコスモス、杯と純潔のヴァイス、夢と簒奪のワルツ、星と魔法のリーンズを打ち倒しました。これは神たちからの贈り物です»  «「称号:貴方の旅路に祝福を」「称号:光の中での休息」「称号:完成された心」「称号:孤独の玉座」「称号:頂からの景色」を獲得しました» 「うぉぉぉーーー!!!!」  大きく両手を突き上げてエボニーは叫ぶ。心の底から湧き上がってくるマグマのような感情を表現するように、大きく、大きく彼は叫んだ。レベルをカンストさせ、冒険者ランクを最後まで上げ、職業も最終職に就いた。それでも、ここまで彼が感動したことはなかっただろう。   強制ログアウトまで残り二十五分。街に戻るのも何か違う気がしたエボニーは地面に寝っ転がり、暗くなり始めた空を眺めた。山脈の頂上といっても、戦闘が出来るようにある程度慣らされている。背中に当たる石の感触すら、今は気持ちのいいものだった。 (……ありがとうSSS)  星が遣わしたプレイヤーたちが問題を解決していくことでストーリーが進んでいくSSS。個人の問題から始まり、最後には国の問題を解決してきた。そして遂には神まで倒した。これ以上ない活躍をしたはずだ。  エボニーは星を眺めている目を細めて現在時刻を確認して、あとどれだけログインしていられるかを見た。サービス終了の十分前から順次強制ログアウトが始まるという公式からの発表を目にしていた彼は体を起こして、そっとゲーム終了のボタンを押した。  ……本来であれば、次に彼が目を覚ますのは星空のロビーのはずだった。  だが彼の目の前に入ってくるのは星々ではなく、SSSでプレイヤーに与えられる自室に間違いなかった。 「……は?マイルーム…………?」  腰掛けたベットから部屋全体の装飾まで。エボニーの記憶にあるものとほとんど違いはなかった。とは言っても自室に用事があることなど稀なのでぱっと見の印象でしかないものの、その中でどうしても見逃せないものがあった。 「神の像……こんな置物あるはずが、いや、そもそもゲームは終わったんじゃ」  彼が倒した五柱の神を模したクリスタルの置物は物置棚には本来ない物のはずだが、これ見よがしに部屋に設置された光源の光を反射している。手に持って眺めてみても何らおかしくもないそれは、エボニーの記憶からすればありえないものだ。  SSSには終わってほしくなかったというのに、続いていると認めたくはなかった。おそるおそる神像を元の位置に戻した彼は息を潜めて、自室から外へと続いている扉へと手を伸ばした。  本当にSSSが続いているのなら、扉を開けばプレイヤーハウスの外に続いている。  真実を確かめるように握りしめたドアノブは思っていた以上に冷たく、彼の動きを一瞬止めるものの、それが逆にエボニーに覚悟を持たせた。  果たして扉の外にあったのは頭上から眩しく照らす太陽ではなく、冷たく無機質な空気を詰めた長い廊下であった。廊下に規則的に並ぶドアノブは彼にマンションを連想させ、一つの答えを出させる。 (SSSの世界が現実になった……?)  試しに隣室のドアノブに力をかけてみたものの、その感触は重たく彼の侵入を拒む。その隣も。その次も。結果は変わらなかった。  エボニーは慌てて廊下を走り、出口を探しだした。階段かエレベーターか、それがなければ窓から飛び降りたっていい。ゲームであれば決してかくはずのない冷や汗が背中に滲む。 (変な招待状もなければ、神にだって会わなかった!SSSにだって最後まで残ったわけじゃない!なのにどうしてっ……) 「はぁ、はぁ」と顔を上気させながら、やっとのことで見つけた階段を飛び降りるように降りていく。無機質な廊下と、同じ光景が続くこと三回。彼が見つけたのは大きなホールだった。  結婚式で使われるような、大人数で使うことを前提とされた空間にはクロスがかけられた円卓と椅子が並び、ロウソクの刺さっていない燭台が、雰囲気を余計に寂しいものへとさせる。  視線を左右に振りながら人の気配を感じさせないホールを歩くエボニーの先にあるのは、大きな観音開きの扉だ。暖かさを感じさせない白い建材で作られたそれは、彼が近づくのを待っていたかのように重い音を立てて一人でに開いて、暗色で満ちたホールに暖かい光を招きこむ。  手で日よけをつくりながら彼がホールから外の世界へと一歩を踏み出せば、視界は爆発するかのように広がった。  白と黒とが目立つ城に、どこか日本の街並みを想起させる建物たち。耳に響く人の雑踏と脳内の光景をすり合わせるように瞬きを何度かすれば、彼の口は一人でに言葉を吐く。 「…………ノトの国、王都ゴールドバレー。ははは、まじかよ」  それはSSSでプレイヤーが活動する舞台であり、彼にどうしようもない現実を突き付けるのには十分な光景だった。  いいや、エボニー自身、ドアノブを触った瞬間から分かっていたのかもしれない。VRゲームで冷たい感触をリアルに感じることはないのだから、違和感は間違いなくあったはずだ。  それでも受け入れたくなかったものの、この目の前の光景を否定する言葉が出てくることはなかった。ひとりでに崩れ落ちる膝と、体を支えるように突き出された両手が作り出す影を異様に黒く感じてしまう。  諦めるように頭をあげて見た、王城へと走っていく兵士の背中が人混みに紛れて消えるまで、彼は微塵も動けなかった。
/71ページ

最初のコメントを投稿しよう!

11人が本棚に入れています
本棚に追加