4 生贄

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 4 生贄

 その夜、侍女頭の執務室では、常にはないほど厳しくキリエの詮議(せんぎ)があった。 「一体何があったと言うのですか、そのような失態」 「申し訳ありません、つまずいてとんでもないことを……」  片膝をつき、これ以上はできないと言うぐらい深く、深く頭を下げ、ミーヤは震えさえしていた。 「失敗のことを言っているのではありません。何かあったのではないですか? そのことがお前を動揺させ、その結果があれなのではないですか?」 「いえ、いいえ……」  ミーヤは頭を上げず、ただただ震えている。 「隠さず、正直に言いなさい、一体何があったのです」 「それは……」  言いよどむミーヤにキリエが苛立(いらだ)ちを見せる 「言いなさい!」 「は、はい……」  意を決したようにミーヤが顔を上げ、キリエを見上げる。 「生贄、と……」 「生贄?」  キリエが眉を潜ませる。 「客殿の方が、今の自分の扱いはまるで生贄のようだ、と……」 「なんですかそれは……」 「昔読んだ子供の本で見たことがございます。魔物が子どもにごちそうを与え、まるまると太らせ、油断させてから生贄にするというお話、そのことかと……」 「宮が、あの者をその生贄にすると、そう申したのですか?」 「はっきりとはおっしゃいませんでしたが、私にはそういう意図かと思えました……」  ミーヤがまた深く頭を下げる。 「頭を上げなさい」 「はい」  言いつけの通りに顔を上げるミーヤ。  キリエがその瞳の奥にある真実を探るように、じっとミーヤを見下ろした。 「それで、その何がおまえをそのように動揺させたのですか」 「それは……」    一瞬言いよどみ、思い切ったように言う、キリエから目を離さずに。 「恐ろしいと思いました」 「恐ろしい、何が?」 「客殿の方をです」 「なにゆえに?」 「シャンタルは慈悲の女神、シャンタリオはその女神の加護(かご)を受ける神聖な国、そして宮はそれを守り続けるための尊い場所。そこに庇護(ひご)されていながら、まさか、まさかそんな恐ろしいことを考えつくとは……」  たまらぬように目を閉じ、うなだれる。 「あの時、食事を持って近づきながらそのことを思い出してしまい、思わず足がもつれてつまずき、動きを止めることができませんでした」    もう一度目を開き、キリエをじっと見て続ける。 「まるで、私自身があの方への生贄のように思われて、その恐ろしさに震えました……私は、あの方が恐ろしい、そう思いました……」 「…………」  キリエもじっと見つめる。  その言葉に嘘がないか探るように。 「あの、まだお世話役を続けなければいけませんでしょうか……」 「()したいと言うのか?」 「もしも、お許しがいただけるなら……」  また深く頭を下げる。 「自信がございません……」 「ふうむ……」  キリエはまだ目を離さず、ミーヤの頭上を見つめながら考える。 「それほどまでにあの者が恐ろしいのか?」 「これまではそんなことはございませんでした」  頭を下げ続けながらミーヤが続ける。 「言葉や行動は荒っぽいながらも、時に楽しい話をして私を笑わせることなどもあり、根は良い方、優しい方だと思っておりました。お世話をすることに甲斐を感じてもおりました。ですが、今は恐ろしい方だと思います。本当はどのような方なのか……」 「なるほど」  どうやら嘘はなさそうにキリエは思った。 「しかし、困りましたね」  ミーヤが顔を上げ、侍女頭を見上げる。 「おまえの世話役はマユリア直々(じきじき)のご指名です。理由もなく、そう簡単に役目を外すことはできません」 「あの、恐ろしいからと言うのは理由には……」 「ありえません」  キリエはきっぱりと言った。 「個人の感情、好き嫌いで役目を左右するなどありません」 「は、はい……」  ミーヤが急いでまた頭を下げる。 「まあ今しばらくの辛抱でしょう。これまでと同じようにしっかりと務めなさい」 「はい……」  返事をしてから、今度はミーヤがキリエに問いかけた。 「あの……」 「なんです」 「もうしばらくと言うのは、どのぐらいの……」 「分かりません」 「あの、あの方にはどんなお役目があるのでしょうか? 一体何をなさる方なんでしょう?」  キリエがきつい目をミーヤに返す。 「シャンタルの託宣です、分かっておるでしょう」 「ですが、ですが、いつまで続ければ……」 「よい、と言われるまでです」 「……はい……」  もうそれ以上何も言うことはなく、ミーヤはうなだれたように頭を下げたままになる。 「務めを(まっと)うしなさい、言えるのはそれだけです」 「はい……」 「もう下がってよろしい」  キリエの言葉にミーヤはさらに深く頭を下げて一礼すると立ち上がり、退室をした。  部屋を出て、一息、小さくため息をつく。  これでいい。これでトーヤから引き離されることなくそばにいられる。守ることができる。  万に一つ、本当に役目を外される可能性がないことはなかったが、マユリアの勅命(ちょくめい)をそう簡単に(くつがえ)すこともできぬであろうと出た賭けであった。  ドアの外にミーヤの小さなため息を感じ、キリエがそれをどのように判断したのか、それはミーヤには分からないことであった。
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