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男の人に言われて、スーツのポケットに手を入れた。指に触れるものがあったので、そいつを摘まみ出す。『体験劇場入場券』と印刷された紙だった。こんなものいつの間にポケットに入ってたんだろう。
「おや、入場券だね。あんたには入る資格があるようだな。入っていいよ」
男の人はそう言って、入り口の方向を目で示した。
木製のドアを押して中に入ると、廊下が伸びていた。廊下は迷路の
ように幾度も折れ曲がり長く続いていた。やがて、前方にドアが見えた。僕は木製のドアを押し開けた。
ドアの向こうには、どこにでもあるような街の風景が広がっていた。
ハンバーガー店がありラーメン店がある。コンビニがあって定食屋がある。僕が出てきた劇場の隣は眼鏡店とドラッグストアだった。
通りには、老若男女が歩いていた。ハンバーガー店のガラス窓の向こうでは、高校生らしいグループが談笑している。僕の前をあるいていたスーツ姿の女の人がコンビニに入る。
とても劇場の中だとは思えない。どこかの街に迷い込んだようだった。窓口の男の人が言ったとおりだ。街そのものが舞台になってるんだ。
店舗を眺めながら歩いて行くと喫茶店があった。窓越しに店内を覗くと、空いているようだったので入ることにした。
コーヒーカップを持って窓際の席に着く。さて、これからどうしようかと考えながら、ぼんやりと外を眺めていた。
「オオコウチじゃないか」
コーヒーを飲んでいると頭の上から声がした。見上げると僕より少し年上の男の人と目が合った。
「え?」
「俺だよ、クラハシだ」
男の人は人懐っこい笑顔を見せる。
「えっ、オオコウチ――ですか」
「そうだよ。お前オオコウチじゃないか」
そうか、オオコウチとはここでの僕の役の名なんだ。
「クラハシさんですか。こんなところで会うとは思いませんでした」
撲は話を合わせる。多分、クラハシさんは会社の同僚役なんだろう。
「そうだな。お前も油を売って……いや、休憩していたってことか」
「ええ、まあ」
「俺は今から会社に帰るけど、お前はどうする」
ということで、僕はクラハシさんと一緒に会社に行くことになった。
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