不思議な劇場

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 会社は歩いて十五分ほどのビルの中にあった。事務室には僕の席がちゃんとあった。 「オオコウチ君の席はそこね」とクラハシさんは指差すと、さっさと自分の席に行った。机の上には、『営業課第一係長 倉橋隆一郎』のプレートが載っている。倉橋さん、係長だったんだ。  僕は自分の席に着く。机の上にIDカードが載っていた。大河内健太と印刷されている。僕は今日から大河内健太なんだ。 「お疲れさま」  隣から声が掛かった。僕より少し年下に見える青年がこちらへ顔を向けている。青年の首には岩城潤と印刷されたIDカードがぶら下がっている。 「あっ、いや、その」  予期せぬ言葉に、僕はきちんと言葉を返せなかった。前の会社ではこんな労いの言葉なんて聞いたことなかった。成績の悪い僕なんて、むしろ罵倒されていたぐらいだ。 「あまり注文がとれなくて……」  この会社の社員らしく応じる。僕は会社員大河内健太なんだからな。 「大丈夫。明日がありますよ」  岩城君はにこっと笑顔を見せた。  気持ちの良い会社だった。事務室は冗談が飛び交い、笑い声が響いていた。定時の五時になると社員たちは帰る支度を始めた。前の会社じゃサービス残業で夜遅くまで働かされたんだけどな。 「お先に失礼します」  僕は会社を出た。  通りを歩いていると、ちょっぴり心細くなってきた。今夜は何処で寝ればいいんだろう。はたして、僕の家はあるんだろうか。  お腹が空いてきた。何か食べようとファミレスの前で立ち止まった時、後ろから肩を叩かれた。 「健太じゃないか」振り向くと、スーツ姿の男の人がいて、 「仕事が早く終わってね、一緒に帰ろう」と言う。  どうやらこの人が僕の父さん役のようだ。 「僕もさっき仕事が終わったところだよ」  僕は息子大河内健太の役をする。 「母さん、今夜はどんな料理を作ってくれてるだろうね」  父さんの声が弾んでる。きっと美味しい料理なんだろう。僕たちは肩を並べて歩き出した。
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