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「お帰りなさい。あら、今日は二人一緒なのね」
家のドアを開けると、年配の女の人が笑顔を浮かべて立っている。この人が母さん役なんだな。
「今日はクリームシチューよ」
「そりゃ楽しみだ」
と父さん。
その夜は、母さんが作ったクリームシチューを一緒に食べた。父さんが楽しみにしていただけあって、母さんの料理は美味しかった。父さんと一緒に酒も飲んだ。
僕は大きくなってから、家族と一緒に食事をしたことがないし、父さんと酒を飲んだこともない。優秀な両親の関心はいつでも優等生の兄と妹だった。だから、二人とも有名大学から一流会社というコースを歩んで、親の期待にちゃんと応えたよ。それに比べて、できの良くない僕はお荷物だったな。家庭で孤立してたんだ。
会社に行って仕事をし、仕事が終わった後は偶に同僚たちと飲みに行く。僕はそんな毎日を過ごした。楽しい生活を送っていた。
ある日、隣の席に初めて見る顔の人が座っていた。首から岩城潤のIDカードをぶら下げている。
「お早う、岩城君」僕が挨拶すると、
「お早うございます」
その人は岩城君の役に成りきって挨拶を返して来た。
暫くして、倉橋係長も新しい人になった。ただし、今度は三十半ばの女の人だ。僕が油を売りに、いや休憩しに喫茶店に入ると、そこに新しい倉橋係長がいたなんてことがよくあった。倉橋係長役のキャラは引き継いでるんだな。
ある時仕事で、僕が出てきた『体験劇場』の近くを通ることがあったけれど、劇場の建物はなくて、眼鏡店とドラッグストアの間では牛丼店が営業していた。劇場が消えていたんだ。元の生活にもどる方法がなくなったけれど、僕は今の生活が気に入っていたので、どうってことなかった。
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