2人が本棚に入れています
本棚に追加
/22ページ
1 鏡の中の人
それは10日目に起こった。
8日目の夜、キリエと2人でシャンタルに現実を知らせ、トーヤに助けを求めるところまでやるのだと覚悟したミーヤだったが、翌日の9日目にはシャンタルはまた一層の成長を見せ、10日目には今度は少し困った方向へと成長した。
「嫌なの! これは着たくないの!」
シャンタルがそう言ってぷいっと横を向いた。
自分の意思を伝えることを覚えたシャンタルは、10日目にはいわゆる「イヤイヤ期」に入ったのだった。
「ですが、そのままでは寒いですよ、風邪をひきます」
シャンタルは薄い絹の下着のまま服を着たくないと駄々をこねている。
「いいの! 風邪をひいてもいいの!」
「ちゃんと温かい服を着てください」
「嫌!」
着替えのために立たされていた敷物の上から、下着姿のまま裸足で応接へと走り出した。
「危ない!」
シャンタルが躓いて転びそうになるのをミーヤがやっと捕まえる。
「おケガをなさったらどうするのです!」
少し大きい声で少しきつく叱る。
「ケガしないの!」
またそう言ってぷいっと横を向く。
「そうですか……」
ミーヤはそう言うとシャンタルの前で床の上にへたり込み、そのままゆっくりと床の上に倒れ込んだ。
「ミーヤ?」
シャンタルが不思議そうに見る。
「ミーヤも嫌でございます……」
床に突っ伏した姿勢でそう言う。
「何が嫌なの?」
「シャンタルがおケガをなさるのが」
「それが嫌なの?」
「シャンタルは、ミーヤがこのまま固まってしまってもいいですか?」
「嫌!」
なんにでも嫌と反射的に返事をする。
「シャンタルがおケガをなさったら、ミーヤはそれが嫌でこのまま固まってしまいます」
「嫌! ミーヤは固まらないの!」
「いいえ、固まります」
床に突っ伏し、こもった声がシャンタルに届く。
「固まらないの!」
「固まります」
「嫌!」
「では、お洋服を着て、ちゃんと走らずに歩いてください」
「嫌!」
「では固まります」
「嫌!」
「どちらが嫌ですか?」
「固まるのは嫌なの!」
「では服を着てくださいな」
ぷうっとふくれていたシャンタルが大人しく敷物の上に立ち直す。
「ありがとうございます、ミーヤは固まらずに済みました」
ミーヤが立ち上がり、選んだ温かい服を着せる。
「走らず、歩いて応接へ行ってくださいね」
ふくれた顔のまま、それでも大人しく応接へ行こうとすると、寝室の扉を開けたところでキリエが楽しそうに笑っていた。
「固まらずに済んでよかったですね」
「キリエ様!」
ミーヤが恥ずかしくて真っ赤になる。
「キリエ!」
シャンタルは走り出そうとしたが、一瞬止まり、振り向いてミーヤが固まっていないかを確認してからゆっくりと歩いてキリエの元へ行って抱きついた。
「まあ、なんとお可愛らしい」
キリエが相好を崩して笑顔の花を咲かせた。
「それにミーヤが固まらないように気遣ってくださって、シャンタルはなんとお優しいのでしょうか」
「キリエ様……」
ミーヤがさらに顔に赤い色を乗せる。
なんと楽しい日々なのだろう、そう思える日々であった。
残った日数のことさえなければ……
だがその夜、お休み前にシャンタルの髪をミーヤがとかしていた時、いきなりシャンタルがこう言い出した。
「ねえミーヤ」
「はい、なんでございましょう」
「この人は誰?」
「え?」
ミーヤは意味が分からず聞き返した。
今、寝室にはシャンタルとミーヤの2人しかいない。
「どなたのことでございますか?」
「この人」
シャンタルがそう言って鏡に映る自分を指差した。
「え……」
「誰も名前を教えてくれないの」
ミーヤは言葉を失った。
「この人も」
今度は鏡に映るミーヤを指差す。
「それはミーヤでございます」
「ミーヤはここにいるの」
振り向いてミーヤを指差す。
信じられぬことに、シャンタルは鏡に映る自分の姿を自分だと理解していないようであった。
「はい、ミーヤはここにおります。こちらのミーヤは」
と、鏡に映る自分の姿を指差し、
「ミーヤの鏡に映る姿でございます」
とミーヤが答えるが、
「鏡に映る?」
と、不思議そうに首を傾げる。
「鏡」という単語は随分と前にお教えしてあった。部屋の中のあらゆる物の名前をお尋ねになったからだ。だが、その性質までは理解なさっていなかったとは……
「はい、そうです、鏡に映ったミーヤでございます。そしてこちらはシャンタルが」
と、ミーヤがシャンタル本人を指差し、その指を鏡に映るシャンタルに移動し、
「鏡に映る姿でございます」
そう言ったが、シャンタルは理解しかねるという顔をしてからこう返す。
「違うの、この人はずっとラーラ様とマユリアと一緒にいたの。シャンタルと違うの」
ミーヤは一瞬考え、
「では、シャンタルはどこにいらっしゃいますか?」
そう聞くと、
「シャンタルはラーラ様とマユリアと一緒にいるの」
そう答える。
おそらく、ラーラ様とマユリアがご覧になっていたシャンタルのお姿は「誰か」であると認識なさっているのだろうが、それが自分とは思ってもいない様子であった。
シャンタルがお休みになった後、その事実を伝えるとキリエが両手で顔を覆ってテーブルの上に倒れるように上半身をもたせかけ、絞り出すように言った。
「なんということ……今日で10日、もう半分が過ぎたというのに……」
最初のコメントを投稿しよう!