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びっくりするぐらい、私の心は穏やかだった。
彼に怒りや理不尽な気持ちが湧いてこない。なぜか分からない。私が完全に、彼に惚れているということなのかもしれない。惚れた者の弱みというやつだろうか。いや、今はそんなことはどうでもいい。
とにかく私は、彼に聞きたかった。
なぜ今になって私に電話をかけてきたのか。
あの日、冬子と一緒にいたのはなぜだったのか。
『茜に、言わなくちゃいけないことがあって』
彼が言わんとしていることが何なのか、ちょっとだけ分かる。
きっと三日前、冬子と一緒にいた時のことだ。
私が外から二人の様子を覗いていたことに、友貴人は気がついたのだ。もっとも、二人のことをこれ以上見ていられなくなった私が逃げ帰る瞬間に、彼が気づいたような気がした———というのが、私の認識だったのだけれど。
「この前、冬子と一緒にいた時のこと……?」
『ああ』
やっぱり。
彼は気づいていたのだ。
恐らく、一番私に見られたくないところを見られてしまって、動揺したに違いない。
それを謝りたくて電話してきたのだ。
優しい彼が考えそうなことだと———、この期に及んでまだ彼のことを擁護したくなってしまう。
「分かってるわ。あなたが好きな人が、冬子なのよね……。それを謝るために、会社にまで電話してきたのよね。でも、もうそんなことしなくていいの。あなたがそんなことをしたって」
私が、辛くなるだけじゃない———。
口に出せない一言を、腹の底に飲み込んで私はグッと堪えた。
これ以上、私に優しさを見せないで。
その優しさは、あなたを救うものであって、決して私を救ってくれるものではないのだから。
そう言いたかった。
けれど、私が何かを言おうと口を開く前に、電話の向こうで彼が息を吸う音が聞こえた。
『違うんだ』
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