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先輩の重森菜奈が連れて行ってくれたのは、会社からひと駅のとあるBarだった。
価格帯は特に高くも安くもない店で、こういう店に慣れていない自分でも入りやすい。
「今日は飲んで気分転換しようね」
仕事中は鬼のように一心不乱に業務に集中している先輩だが、店に入ると私の肩をぽんぽん叩き、慰めてくれた。
しかしその割には私が一杯飲む間に三杯ぐらい飲み干し、さらに私が三杯目を飲み終えた時、先輩はすでに六杯の酒を飲んでいた。
「まーったく、やってらんねー!」
気がつくと先輩は仕事で失敗して凹んでいた私以上に“気分転換”しまくっている。
「お姉さん、飲むねえ」
どこからともなくやって来た二人組のうち、背が高くて銀色のネックレスをした方のお兄さんが、先輩に話しかけていた。
「わたしゃねぇ、好きでこんな歳まで正社員やってんじゃないのっっ」
そう言う先輩は、今年で34歳の独身。
彼女もまた友人の前田茜と同じく、バリバリと仕事をこなすキャリアウーマンだが、一つだけ、茜と違うところがある。
それは、天よりも高い結婚願望を持っているということ。
本人曰く、結婚したら即刻会社を辞めるそうだ。もっとも、その決意を聞いてからはや5年が経過しているが。
だからこの時も、見るからにチャラそうなネックレスのお兄さんが、
「お姉さん、あっちで二人で飲もうよ」
と誘って来るやいなや、瞬時に「行きます! 飲みます!」とその場からお兄さんと一緒に消えてしまった。
二人の様子を側から見ていて、あまりの素早さにポカンと口を開けて呆然としていたところ、ネックレスのお兄さんと一緒にいたもう一人の男性が、こう言った。
「行っちゃいましたね、あの二人」
重森先輩とネックレス男の寸劇に目を奪われていた私は、話しかけられるまで彼の存在に気がつかなかった。
「あ、え? ああ、そうですね」
彼は、ネックレス男とは対照的に、ごく一般的なスーツを着たごく普通の男性だった。歳は私と同じくらいだろうか。まったくなぜ、この男が先ほどのネックレス野郎と一緒にいたのか分からないというほど、地味でどこにでもいそうな男なのだ。
「……突然話しかけてすみません。僕は、加藤弘志といいます」
「い、いえ。私は笹塚由梨です」
「由梨、さん。良い名前ですね。よろしくお願いします」
ニッコリと。
微笑む彼は、とても誠実そうで優しくて。
気がつくと私は彼、加藤弘志との会話を心から楽しんでいた。
そんな彼とはその日を境に頻繁に遊びに行くようになり、私たちはごく自然な流れで恋人同士になった。
そうして知ったのだ。
彼は——加藤弘志は、好きな人を、どうしようもなく束縛しておきたい男なのだと。
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