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16 立ち込める暗雲
「本当にこれをミレーユが広めているのか? 間違いだったではすまないぞ?」
真夜中に起こされたルグラン国王は、珍しく厳しい表情でフレデリックを見た。机の上には小瓶が置いてあり、その中には乾燥させた赤い花弁がぎっしり詰まっている。しばらくその花弁を見つめた後、おもむろに蓋を開けると匂いを嗅いだ。とっさに手を伸ばすフレデリックを制すると花弁の一枚を口に含んだ。
「陛下!」
「大丈夫だ、これでも毒には耐性がある。それにお前も飲んだのだろう?」
苦い顔をしながら頷くと、ルグラン国王は少し舌で舐めてから吐き出した。
「酸っぱいな。これをお茶にして飲むのか?」
「そのようです。私もカップ一杯飲んで意識が飛びました」
「睡眠薬のようなものなのだろうか?」
「強い眠りを誘う成分なのかもしれません。それで思い出したのですが、戦場では怪我をした者を強制的に眠らせる為に使う薬があります。もしかしたら戦地から横流しされていたのかもしれません。使用を続けると中毒作用があるとベルナンド侯爵が申しておりました」
「酩酊状態とか、禁断症状とかそういった類の症状になるのだろうか。そもそもなぜベルナンド侯爵がそんな事を知っているんだ?」
「昔に使用した事があるようです。禁止されている訳ではありませんからね。ですが、ミレーユがこれで夫人方を中毒症状にしていたのだとしたら、今後取り締まる必要があるかもしれません」
ルグラン国王は口元を覆いながら深い溜め息をついた。
「例えば中毒症状にして、その花を得る為に多額の金がミレーユに流れているとか」
「これから調べなければなりませんね。ベルナンド侯爵自ら申し出てきたと言う事は、自分は無関係だと言いたいのでしょう。ミレーユとも離婚したと申しておりました」
ルグラン国王は小さく息をついた。
「確かにベルナンドから離婚の申請がきて受理した。でもこれが原因だったとはな。先に離婚してから証拠を提出して無関係を装うとは」
「それだけ目に余り始めていたのかもしれません。もしくは別の理由があるのか」
フレデリックも深く息を吐くとソファの背面に深く寄り掛かった。間もなく夜明け。疲労と眠気で重い頭ではこれ以上考えるのが難しくなっている。ふと、後ろに立つモルガンと目が合った。
「発言宜しいでしょうか?」
国王はくいっと顎を縦に動かすと、モルガンは険しい顔をしながら話し始めた。
「私もずっと忘れていたといいますか、昔の記憶なので思い出したといった方が正しいかもしれませんが、この花は確か私の故郷で採れていたものだと思います」
「お前の故郷はずっと西の亡国だな。昔に滅び、民は散り散りになったと聞いている」
「陛下の仰る通り私の故郷はすでに滅び、私自身フレデリック様に助けて頂いてから今日まで同郷の者に会った事はございません。ですから故郷については幼い頃の記憶しかないのですが、確かその赤い花が咲き誇っていたと思い出したのです。乾燥させてあるのですぐには気が付きませんでしたが、産地といってよいでしょう」
モルガンは言い淀んだ後、躊躇うように口を開いた。
「戦場で赤い花弁を見たのです」
ルグラン国王とフレデリックは目を見合わせると寄り掛かっていた身体を起こした。
「どういう事だ? この生花を見たのか?」
「いえ、生花ならすぐに気が付きました。私が見たのは花弁一枚です」
「「花弁……」」
二人の声が重なる。そしてソファに沈んだ。
「俺達がいたのは戦場です。それこそ花弁が紛れ込むなど考えられません」
「誰かが持ち込んだという事か?」
「そう考えられますが、まずはこれをロラン医師に見ても宜しいでしょうか」
「だがロランの可能性もあるぞ」
「そうですが医師の協力も必要でしょう」
その時、何か考え事をしていたモルガンはぽつりぽつりと記憶を辿るように続けた。
「もし仮にこの花を持ち込んだ者がいたとして、私に花弁を見られたと思い込んでいたとしたら……」
「だから襲撃されたという事か?」
「幼かった私には故郷の記憶があまりありません。ですから今回の事がなければ思い出しもしなかったでしょう。ですがこの花に詳しい者からすれば、私のこの肌でどこの出身かは分かっていたでしょうし、知られたと考えるのが妥当かもしれません」
「戦場にいた誰かとミレーユが繋がっている、そしてその者はどこからこの花を持ってきたのか。この花を貴族に浸透させ、莫大な金がその者に流れ込んでいたと言う訳か」
「……恐ろしいな」
ルグラン国王は深い溜め息をつくと立ち上がった。
「この件はしばらく極秘事案として扱う。まずはお前達二人で調べて欲しい。私もこの花について調べてみよう」
国王の執務室を出たフレデリックとモルガンは城の客間を借りて仮眠を取る事にした。客間に入ると、後ろから小さく溜め息が聞こえてきた。
「お前も疲れただろう? 朝まで少ししかないが休もう」
するとモルガンが深く頭を下げてきた。
「申し訳ございません! 狙われたのは私でした。それなのにフレデリック様を危険に晒してしまい、あまつさえご記憶を失くされる事態を引き起こしてしまい……」
「待て待て!」
制さなければ永遠に続いてしまいそうな謝罪を止めると、肩を掴んで起こそうとした。しかし頑なに動かないその身体を今度は力づくで起こすと、モルガンは子供のように唇を噛み締めていた。
「お前のせいじゃない。悪いのは襲ってきた奴で、妙な物を広めようとしている奴だ」
しかしモルガンは頑なにこちらを見ようとはしない。肩を掴む手を更に強めた。
「この件でもし危険を侵そうとするなら俺は一生お前を側には置かない。分かったか?」
モルガンの瞳が微かに揺れる。そして小さく頷いた。
「確かにこれは中毒症状が出る代物だな」
ロランは小瓶の中身を確認するやいなや、驚き半分呆れ半分といったように言った。
朝一番にロランの元を訪れたフレデリックは、その見解にしばらく黙り込むしかなかった。ロランは帰還後は軍医には戻らず、王都の外れに診療所を構えた。それがロランが国王に願った褒美だったからだ。診療は主に診察料の払えない患者達を診る事。だから王都の真ん中ではなく、離れた町や村からも来やすい場所を選んでの事だった。
薬代は国費から賄われる事になったが、もちろんずっとは不可能で期間は三年。だからロランは診療所の周囲を開拓し薬草を植え、薬の使い方や診察方法などを教える為、いわゆる弟子を取るべく動き出していた。すでに近隣の村から来た数人の子供達がせっせと庭を耕している。その姿を窓から見ながらロランは再び小瓶を掌の中で転がした。
「こんな物をベルナンド夫人が茶会で使用していただなんて恐ろしいな」
「おそらくそこまでの危険性を感じていなかったんだろう。迂闊に俺に使ったのがその証拠だろ?」
「確かにな。この花は薬にもなる。茎から採れる汁は麻酔にもなるが取り過ぎると死に至るし、花弁も同様だ。茎よりも効果は弱まるが不眠症に効くし気分を楽にしたい時にも使えるよ。でもこれをどのくらい飲んだら症状が現れ、どの位続ければ中毒症状や禁断症状が出るのかは医師でなければ判断は難しいだろう」
「薬として使わないのであればそこまで厳密に症状への知識は必要ない訳か。少量から使用し効果を把握していくだけで十分かもしれない」
「モルガンがこの生花の花弁を見たというのなら、戦場から遠くない場所に群生しているかもしくはどこからか運んできたか。あの場所である程度自由に動く事が出来るとすれば、指揮官クラスか偵察部隊という事になるが……」
ロランはそれ以上を口にするのは止めた。ロランが言う事は死線を共に潜り抜けてきた仲間達の中に、それこそ家族よりも親しくしてきた者の中に犯人がいると言っているも同位だった。
「君はどうする気だ?」
「ミレーユが一人でやっているとは思えない。もし本当にこんな物を広めようとしている奴がいるなら捕まえる。こんな事、時間を掛けて国を腐敗させるだけだからな。ある意味戦争より質が悪い」
「……本当に」
「戦争が終わってもまた別の争いがあるんだな」
「私の方も生息地について調べて見るよ」
「悪いな、せっかく自由の身になったのに」
ロランの視線につられてフレデリックも窓の外を見る。貧しい家の子らはここに来れば医療の知識をロランから受け継ぎ、薬の生成まで学ぶ事が出来るだろう。こうして学ぶ機会を与えられた子供達の中から、きっとこの国の為になる偉大な成果を残す者も出てくるかもしれない。感慨深く今はまだ土を耕しながら遊んでいる子供達を見て目を細めた。
「お前には本当に頭が下がるよ。戦場から戻ってすぐにこんな事を始めるなんて」
するとロランは驚いた様に目を見開いた後、眉を下げた。
「俺は楽したいだけさ。これからもしまた戦争があったとしても、二度と招集されるのはごめんだからね。大義名分じゃなくこんな理由でがっかりしただろ?」
するとフレデリックは乾いた笑いを上げて首を振った。
「俺もごめんだ。もうあんな惨状は目にしたくない。お前がそれを回避しようとする事は誰にも責められないさ」
「まあこれはギレム侯爵夫人の見様見真似だけれどね」
「姉上の?」
するとロランは困ったように首を振った。
「君の妻だよ。アナスタシア様の事さ」
「アンが? どういう事だ?」
「君は記憶を失っているから忘れているだろうが、アナスタシア様は災害や戦争後の人々や土地を守る為に尽力してきたんだ。アナスタシア様は女性だし、その事業を始めようとした時フレデリックは戦場にいたから、お父上の名を借りて復興事業を始められたんだよ。もちろん、君の了承を得てね」
「コーレ男爵の発案ではなくアンが始めた事業なのか? 女性がそんな革新的な事業をすれば恨まれる事もあるだろう? 危険過ぎる! 記憶を失う前の俺は止めなかったのか?」
「だからアナスタシア様はお父上の名の元に推し進めてきたのさ。もっともコーレ男爵とヴァレリー辺境伯も尽力してきたようだけれどね」
フレデリックは掌で顔を擦った。
「またアルベールか。……という事は、結婚した時にはまだその事業は始めていなかったという事だな?」
「いつから構想していたかは分からないが、君が戦地にいる時に聞いたからそうなんだろうね。フレデリック? どうかしたのか?」
「いや、なんでもない。それじゃあアルベールとアンの関係なんだが、特別に親しかったんだろうか」
「まさかあの二人を疑っているのか?」
フレデリックは反射的に首を振った。
「親し過ぎるのではと思っただけだよ」
「あの二人は本当の兄妹のようだよ。ああ、じれったいな。記憶を取り戻す薬があればいいのにと今程思った事はないよ。ずっと東の国には記憶を失う忘却の薬があると聞いた事があるのに、なぜ記憶を取り戻す薬はないのだろうね」
「そんな事医師のお前が言うな」
「何はともあれ、順調そうで良かったよ」
ロランの言葉に釈然としないフレデリックは眉を顰めた。
「そう睨まないでくれよ。記憶がなくてもちゃんとアナスタシア様を想っていると感じただけさ」
「俺が?」
「だって君のそれは嫉妬だろう?」
「……嫉妬? 俺が? まさか」
今度はロランが驚く番だった。
「まさか自覚がなったのか? もしかして長い間、色恋から離れていて鈍感になってしまったか」
「そんなんじゃない。ただ俺は妻が不貞を働かないように……」
最後まで言いかけてフレデリックは言葉を止める。気が付くと、目から自然と涙が流れていた。
「フレデリック?」
「すまない。何故だろう。悲しくなんてないのに。ただ不意にアンはそんな事する訳ないと分かってしまったんだ」
「心が覚えているのさ」
するとフレデリックは一気に立ち上がった。
「悪いが俺は一度帰る。色々酷い事を言ってしまったんだ」
ロランはやれやれと息を吐きながら玄関まで見送った。
「花の方は何か分かったら連絡しよう」
「助かる。すまないがこの事は内密に頼むぞ」
「承知しているさ。君はまずアナスタシア様と仲直りだ。あんなに美しくて一途な方はいないぞ」
フレデリックはロランの家を飛び出していた。
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