0.儀式前日(3)

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0.儀式前日(3)

 瑞光院に車が着くと、すぐに駐車場まで慶浄が弟子とともに出てきた。 「よくお運びくださいました」  遥は丁寧に頭を下げる。 「お出迎え、ありがとうございます」 「凰様のお越しとあれば当然でございます。さ、どうぞこちらへ」  慶浄自ら寺の中へ案内してくれた。剃髪しているせいで歳はよくわからないが、五十歳には満たないくらいだろうか。  瑞光院へは披露目の翌日と夏鎮めの儀のとき、そして捧実の儀で、正式には三回訪れた。そのいずれも隆人と一緒で、遥一人で来たのはこれが初めてだ。だが不思議と緊張はしていない。それは慶浄の人となりに理由がある。檀家総代たる加賀谷隆人と訪れたときも、さりげなく遥に話を振って疎外感を抱かないようにしてくれる。言葉遣いも所詮は若造の遥に対して子ども扱いもしなければ、加賀谷一族の凰だからと変に持ちあげることもない。礼儀正しく温かな応対に、遥は人として対等に見てもらえていると感じた。  応接室で弟子が届けた茶と菓子を勧められた。 「鳳様凰様がお揃いになったことで、今年は良き年でございました。遥様は凰としてのお暮らしにはもう慣れられましたか?」  遥は少し苦笑し、首を傾げて見せた。 「どうでしょう? 私は私より前の凰を知りません。手本がないので凰として暮らしがよくわかりません。まして凰として本当に務まっているかは……、鳳たる隆人さんがお決めになるでしょう」 「自然体が一番でございますよ。ご無理はなさらずに」  慶浄は笑顔だ。  この慶浄という男は加賀谷の一族であるらしい。過去の鳳と凰についてや、加賀谷家の内情に詳しいようだ。それどころか、こうして遥がしおらしげに振る舞っていても、本質である激しさやたくましさを知っているらしい。隆人が話したのか、それとも別に情報網を持っているのか。  詳しく知っているということを除いても、この男には本音をも話せる気がする。まだわずかしか会ったことがないが、勘がそう言っている。もっと言えばこの男は人並み外れた、他人の心の中を察する注意深さ、観察力を持っている気がする。  人の話をじっと聴けるというのは才能だ。話を聴いてもらえると思えば、人たやすく心の中の澱すら吐き出してしまう。これはバーテンダー時代に周囲の人間を見ていて思ったことだ。  まして慶浄はとても人当たりがいい。きちんと向き合ってくれる気がする相手に、人は弱い。  慶浄が視線を下に落とした。 「先の凰様が仰っていらしたことですが、凰は年越しの儀を重ねるごとに成熟なさっていくものとか」 「先の――というと、隆人さんの……」  遥は次の言葉を口にするのをためらった。慶浄の視線が遥に戻ってくる。 「はい。母君の奏恵様です。ただ、初度の年越しだけは己を晒し、鳳様のそのままを受けとめるご覚悟が必要と仰せでした」  思わずまた問い返してしまう。 「覚悟とはどういう意味ですか?」 「その先は私も伺いませんでした。年越しの儀とは鳳と凰の睦みあいの深さを確かめる儀式でございますから、互いの度量が試されましょう」  遥は慶浄の言葉を反芻し、頬が熱くなるのをどうすることもできなかった。慶浄はおそらく年越しの儀の内容を知っている。そうでなければ睦みあいなどとは言わないだろう。秘事であるはずの儀式の内容を知るほど、この男は一族に深く関わっているのだ。  慶浄が穏やかに続けた。 「話は変わりますが、遥様の御世話係は桜木の衆でございましたね。その当主は今どこにおりましょうや」  遥は眉根を寄せた。 「わかりません。世話係として働くのに技量不十分ということで、側を離れています」 「さようでしたか。姿が見えないので不思議に思っておりましたが……」  慶浄の顔が曇っている。遥はその目を覗きこむ。 「俊介がいないことで何か不都合がありますか?」  遥を見た慶浄がかすかに口元を緩め、首を振った。 「御当主様より、遥様は桜木当主への信頼が篤いと聞いておりましたので、その者が欠けていてはご不安ではないかと思いまして」 「不安がないと言えば嘘になります。ですが、他の桜木も信頼に足る者たちです」 「それは失礼を申しあげました。なにとぞお忘れください」  慶浄が深く頭を下げた。  応接室を出て、控えの間にいた達夫や桜木と合流した。玄関の外まで見送りに出てきた慶浄が両の手のひらを合わせた。 「良い年越しになること、心よりお祈り申しあげます」 「ありがとうございます」  屈託のないようすで慶浄が言葉を重ねてきた。 「これから御本家の墓所に参られた後は、お父様のお墓にもお参りされますか?」  ええ、とややぎこちなく頷いた遥に、慶浄も頷きかえした。 「ぜひ儀式の成就をご祈願なさいませ。きっとお力を添えてくださいます」  慶浄は微笑んでいたが、心なしかその表情は以前見たときに比べ硬い気がした。  慶浄と別れ、墓所へ向かう。  俊介の件を慶浄が持ちだすとは思わなかった。いないと何か不都合でもあるのだろうか。遥を見る慶浄の目が笑ってないと感じたのは初めてだ。気分のいいものではなかった。父の墓へ参ることを強く勧めてきたのも気になる。  やはり慶浄は加賀谷に関する深い情報を持っているようだ。  墓所の入り口に差し掛かり、遥ははっと顔を上げた。いつの間にかうつむいて歩いていた。しかし物思いに沈んでいる場合ではなかった。  足を止めて、桜木の三人を見比べた。 「行ってこい」  遥は桜木の墓参りを促す。三人が顔を見合わせた。更に言葉をかけようとしたとき、達夫が口を挟んだ。 「せっかくの凰様のお気遣いをお断りするはかえって失礼に当たろう。桜木家の墓に行ってきなさい」  遥は達夫をうかがい見る。誰が行くかを決めている桜木を見る目は予想より温かい。それだけで達夫の印象はよくなる。  諒が頭を下げた。 「それではお言葉に甘えさせていただきます」 「うん。気をつけてな」 「ありがとう存じます」  頭を下げる前、諒の頬が赤くなったような気がした。  加賀谷本家の墓は丘をなす墓所の頂にある。家の格によって墓の位置が決まるここの墓所で、もっとも身分の高い家と言うことだ。  わかりやすいと言えばわかりやすいが、死んでからも生前の身分に支配されていると思うと、何を考えてこうしたのかと呆れなくもない。そもそも徒歩で行くしかないのだから、身分の高い者はより長く歩き、高く上らなければならない。  途中で息が切れてきた遥はうんざりして、まだまだ続く墓への道を見あげた。 「ひと休みなさいますか?」  達夫の言葉に、心を見透かされたのがわかり恥ずかしくなった。だが、だんだん風が強まり、さらされている頬や耳が冷たくなってきた。 「風が出てきたし日も傾いてきたから、さっさと行った方がいいよ。もうひとがんばりする」  自らを励まして、遥はまたのぼり出す。
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