4.一月四日(3)

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4.一月四日(3)

 達夫が本邸を発つ遥を玄関まで案内のためにやってきた。  桜木は世話係として荷物を通用口から運び出すので、しばらくは別行動になる。その間は樺沢と目立たぬところに控えている本邸付きの桜谷と滝川が遥の側を固めているはずだ。  遥は則之たちより先に達夫とともに凰の部屋を出て、正面玄関に向かった。  遥は前を歩く達夫に声をかけた。 「次に本邸(ここ)へ来る行事は何がある?」  達夫が頭を下げながら遥を肩越しに振り返る。 「正式には三月から四月に『萌芽祈念(ほうがきねん)の儀』がございます」 「ほうがきねん?」 「植物、主に農作物の芽が出ることを祈る儀式でございます。加賀谷精機においては成果の出る良い年度の訪れを祈ります。ただ年度の変わり目に当たるため隆人様のご都合がなかなかつかないのと、凰様がおいででいなかったために、この四年は執りおこなっておりません」 「今年はできるな」  遥は笑いかけると達夫の顔がぱっと明るくなった。 「凰様よりそのようなお言葉を賜り、この達夫、感激で言葉が出てまいりません」 「儀式に関しては俺はまったくわからないから頼りにしてる。春なら花も咲くんだろう?」  達夫が大きくうなずいた。 「その時期でしたら桜がたいそう美しゅうございますよ。桜谷の里はご本家の土地の中にございますので、部外のものが立ちいらずゆっくりお楽しみいただけます」 「それは楽しみだな」 「儀式や行事以外の折にもぜひお戻りください。もう少し暖かくなりましたら、お庭の木々に花が咲きます。特に桜に先立つ梅、桃も数多く植えられております。四月上旬まででございましたらいつお帰りになられても花をお楽しみいただけます」  遥はうれしくなった。 「そうか。きれいだろうな。隼人に捩じこんで見に来たいな」 「我らは隆人様、遥様のお帰りをこの本邸にてお待ちしております。ぜひ花見にお帰りくださいませ」 「うん。花が咲いたら知らせてくれよ。よそに遊びに行くのなら忙しいと断られそうだけど、家に帰るんだと言えば隆人もその気になるだろう」  達夫が急に足を止め、遥の方に向き直った。 「遥様より隆人様をお誘いいただるとは大変うれしゅうございます」 「どうして?」  達夫が頭を下げた。 「本邸は今や儀式を執り行う場となっております。それゆえ遥様は堅苦しく感じておいでなのではあるまいか、お厭いあそばしているのではないかと危惧いたしておりました。が、遥様より本邸を望んでいただけるとはまことにうれしきお言葉。ありがとう存じます」  遥は笑った。 「堅苦しく思ってるってのは当たり。でもそうやってここを守ってくれているんだろ? 達夫たちがいるから、隆人は安心して東京で仕事に打ち込めてる。それに俺も前よりここが好きになった」  目をわずかに丸くした達夫に遥は笑みを返した。 「隆人がここや達夫たちのことを大切に思っているというのがよくわかった。だから俺もここが好きになってきた」  急に苦笑が湧いてきた。 「ちょーっと鳳凰の間とか凰の部屋で、昔のことを想像すると怖いんだけどさ」 「さようでございましたか」  達夫の顔にも苦笑いが浮かんできた。 「新しき年を迎えたことでもございます。ここで凰様の御部屋は模様替えをいたしましょう。遥様のお好みに合わせて内装や調度品を入れ替え、雰囲気が変わればそのようにお感じになることも減ると存じます」 「確かに今の部屋は女性の部屋だよな、やっぱり」  遥の返事に達夫がうなずいた。  再び玄関に向かって歩き出す。 「どのような御部屋にいたしましょうか。好きなお色は何色でいらっしゃいますか」  達夫は何だか楽しそうだ。 「うーん。緑かな。インテリアとか詳しくないから任せるよ。俺に選ばせると、達夫が隆人から叱られるぞ」  近頃はさすがに己のセンスのなさを自覚してきた。意地を通して周囲に迷惑がかかるまねは避けたい。 「では、桜木の衆や碧・紫と相談をいたしまして、内装や家具など決めさせていただきます」  にこにこしている達夫に遥もうれしくなっていた。  達夫は実直で隆人に忠実でとてもいい従者なのだと思う。  ただ遥自身は話の接点が見つからなくて、どうも苦手にしてきた。  しかし声をかけ、言葉を交わしてみれば、話すことはいくらでもあった。もしかすると達夫は遥が話しかけてくることを望んでいたのかもしれない。  隆人が一緒にいたら、遥は会話をすべて隆人に任せただろう。しかし遥は隆人に匹敵する本邸の主だ。ならば本邸の従者の長を務める達夫とは当たり前に会話ができなくてはならない。  口をきくことで互いの人となりがわかってくる。得体の知れない不気味さがなくなり、きちんと人間に見えてくる。理解しようと考えるようになる。  もしかしたら隆人はそのために遥を自分より先に来させたり、自分が先に発つのかもしれない。遥を一人前の主にするために。  大きな玄関で遥は框に腰掛けて靴を履いた。靴べらを踏み石の側に控えていた女性に渡す。遥と同じ年頃のその女性は恭しく受け取った。  立ちあがって、踏み石から降りる。  振り返ればそこに達夫と世話係の碧と紫、他にも奥の主だった者が膝を正して控えている。三和土(たたき)の左右にはそれ以外の者が見送りのために立っている。玄関の外にはさっき挨拶を受けた分家までいる。  盛大な見送りはやはり照れくさい。だが、もうそれを疎ましく感じることはなくなっていた。  遥は笑顔で達夫に言った。 「それでは、留守の間を頼みます」 「かしこまりました」  皆を見回してから、再び達夫へ目を向けた。 「行って参ります」 「行ってらっしゃいませ。道中お気を付けくださいませ」  遥が外へ出て行くのに合わせて、ずらりと並んでいた者達が一斉に頭を下げる。 「行ってらっしゃいませ」  それに対しにこやかにうなずきながら、遥は外へ出た。分家の挨拶にまた軽くうなずいて見せ、そこで待っていた湊について車へ向かう。  運転席に則之がいて、助手席のドアの横に基がいた。残る三人は少し離れたところにある車の側に姿があった。  車番が遥のためにドアを開けた。 「ありがと」  言いながら遥は車に乗る。護衛の湊は反対側から後部座席に、基は助手席に乗り込んだ。 「行ってらっしゃいませ」  そう車番が言い、ドアが閉まった。深く頭を下げる姿に遥は「行ってきます」と返した。車はゆっくりと駐車場の中を移動する。  遥はシートに体を任せる。  年越しの儀を終え、凰としての遥の立場はより確固たるものになった。分家の中には披露目を終えてさえ遥をイレギュラーな存在として疎んじる向きもあったようだが、その声はますます勢いをなくしていくだろう。  周りの人々が遥を凰として扱い、育ててくれているのだ。つくづくそう思う。
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