4.一月四日(5)

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4.一月四日(5)

「父さん……」  声に出して呼びかけてみて、少し恥ずかしくなった。  手を伸ばして墓標をなでる。そのなめらかで冷たい感触は思い出の暖かさとは対照的だ。優しい父の面影を思い浮かべながら、心の中で話しかける。 (こちらでの儀式が終わったから東京に行くよ)  墓標の文字を指でなぞった。 (確かに、父さんにふさわしい言葉だね) (父さんの気持ちも少しわかった。今になって理解するなんて、俺は本当に何もわかってないガキだった) (今も俺を見て、もどかしく思っている?)  つい自嘲の笑みが浮かんでしまう。  下を向いて、長く息を吐いた。緊張をしている自分に苦笑が浮かぶ。  遥は墓に向かってきちんと膝を合わせて正座した。背筋も伸ばし、まっすぐ墓標を見つめた。 「俺、もう謝らないから」  声に出すと、びっくりするくらい大きく聞こえた。それでもかまわない。自分に聴かせるために口にするのだ。 「今までは自分の気持ちがあやふやで、後ろめたく思うときもあったけど、もうそう思わなくなった」  遥は微笑んではっきりと告げた。 「俺は隆人のことを愛してる。今は、父さんよりも大事だ。体の関係があることも恥ずかしいと思わない。今の俺のことを父さんが責めたとしても、俺は自分の気持ちに自信を持ってる」  遥はまた深く息を吐いた。 「本当に不肖の息子だけど、自分に嘘はつかない。それだけは約束する」  手を伸ばして再び墓標に触れた。確かめるように手のひらを押し当てる。ずっと触れていると冷たい石も人肌に温まる。 (父さんが生きていたら、わかってもらえるまで何度も隆人のことを話したと思う) (それだけの価値があるんだ、あいつにはさ) (本当のあいつと話をして欲しかったよ)  鼻の奥につんとしたものを感じて慌てて深呼吸した。熱くなりかけた目を見開いて、空を仰ぐ。  見上げた空には雲もなく、きれいな青が広がっていた。  ゆっくりと手を戻した。それから静かに立ちあがる。 「また来るよ。今度は隆人を連れてくる。俺が好きになった奴をじっくり見定めてくれ。――じゃ、またね」  遥は父の墓に笑みを投げかけてから、くるりと背を向けた。  遥が動き始めると、今までまるで石像のようにたたずんでいた桜木が、遥のもとに歩み寄ってきた。彼らに声をかける。 「さあ、俺たちのいるべき場所へ帰ろう」  微笑んでうなずく世話係たちに、言葉を続けた。 「何だか俺、腹減った。ここを出たら飯にしよう、飯に」  洋がぷっと噴きだした。すぐに基にたしなめられている。だがその基も妙に頬が赤い。則之が諫言を口にする。 「遥様、外ではあまり他の者の夢を壊すようなお言葉は――」 「わかってるよ。隆人直々に小野先生のところに連行されるのはまっぴらだからな」  遥の返事についに高校生二人だけではなく、喜之や湊まで噴きだしていた。  長い下り階段に気がついたら下りるペースが勝手に速くなっていた。 「遥様?」  則之がぎょっとしている。遥は切れ切れに答える。 「な、ん、だ、か、止まらなくなってきた」 「人にぶつかりますから、おやめくださいっ」 「好きでしているわけじゃなーい。見てないで止めてくれって」  半分は本当だ。だが、残る半分は止めてくれなくていいと思っている。何だかじっとしていられない。うれしくて、気恥ずかしくて。その弾むような気持ちそのままに遥の足は速くなる。 「遥様!」  世話係の慌てた呼び声に、墓参りに来ている人々が次々に振り返る。その中を遥はにこにこしながら早足に降りた。走っているわけではない。声をかけられれば返事をし、ぶつかりそうになるときちんと謝る余裕はまだあった。 『なんとまあ楽しそうな』 『ずいぶんにこやかなお方だ』  すれ違う人の呆れたような、面白がるような言葉が聞きとれた。  遥は思う。  楽しいんだよ、俺は。ものすごく幸せなんだ――  だからこそこれほどまでに心も体も軽いのだ。愛し愛されることを知り、それを自信を持って父に言えた。そして今は、もつれるような気持ちの渦から、身も心も自由になったと感じている。  信じるとおりに行けばいい。隆人を信じて、自分を信じて生きていけばいいと、強く思う。  息が乱れてきた遥は何とか少しずつ歩調を落とした。 (隆人、俺はあんたの帰る場所をきちんと用意しておく) (愛してるよ)  東京で仕事に没頭しているであろう隆人に向けて、遥は心の中で呼びかけた。  墓所の出口に着いた。膝が少しがくがくしている。額が汗ばみ、体が熱い。そんな遥に引き替え、桜木は誰も息を乱していない。そんな彼らに囲まれていることも誇らしい。  遥だけが息を乱したまま、桜木に守られて駐車場へ向かう。 「お疲れ様でございました。あけましておめでとう存じます」  いつの間にか慶浄が現れていた。遥は頭を下げる。 「おめでとうございます。お騒がせしたようですね。申しわけありません」 「いえいえ。年越しの上首尾のごようすがうかがわれ、大変うれしゅうございますよ。さ、どうぞ一服なさっていってください」  促す慶浄に遥は首を振った。 「このまま東京に行きます。隆人――我が鳳が既にあちらにおりますので」  慶浄が満面の笑みを浮かべた。 「そうでございますな。ではどうか道中お気を付けくださいませ」 「ありがとうございます。それでは失礼いたします」  遥のために諒が車のドアを開けていた。既に遥と同乗する世話係は車に乗っていて、エンジンもかかっている。遥が乗り込むと、すぐに車は動き出す。見送る慶浄に遥はにっこりと笑いかけて深く頭を下げた。  無事に初度の年越しを果たした凰が鳳のもとへと急いでいた――  その日の遥の楽しげなようすや慶浄とのやりとりを見聞きした者は、そう強く印象づけられたらしい。  新たな年を迎えた鳳凰の仲むつまじさは、加賀谷の一族のみならず、このあたりの加賀谷縁故の者たちに広く知られることとなったと、後に遥は隆人経由で知った。 【年越しの儀 了】
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