1.大晦(4)

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1.大晦(4)

 隆人の手が離れ、落ちたタオルを拾って渡してくれた。しかし、何も言われない。だがこの沈黙は居たたまれない。互いに相手に欲情していたというのに。  遥は隆人に八つ当たりをした。 「何か言えよ」 「何かって何をだ?」  問い返されて返事に困った。一方の隆人は何もなかったかのように長襦袢の袖に手を通している。 「俺とお前はここ何代かには現れなかったほど仲むつまじい鳳凰だぞ。気づいていなかったのか?」  遥はその言葉に面食らった。 「そうなのか?」  隆人が深い息をついた。 「俺と母は決して仲のいい親子ではなかったし、両親の仲も悪かった。祖父は御印の凰として生まれた母を可愛がったそうだが、その祖父も母の前の凰とはあまり仲がよくはなかったらしい」  そんなことを話しながらも隆人の手は腰紐を結び、長襦袢を着終えた。  遥は再び体を拭きはじめる。  仲むつまじいと言われて戸惑いがあった。腑に落ちないような、気恥ずかしいような、複雑な気持ちだ。  隆人が下から顔を覗きこんできた。 「風呂から上がったのに、誰もここへ来ないのをおかしいと思わなかったか?」  言われてみれば変だ。いつもなら風呂からあがる頃には誰かしら現れ、体を拭いたり着替えを差し出したりと、何もする必要がないほど世話を焼かれる。まして着物を着るとなれば、遥にさせるのはせいぜいが腕の上げ下ろし程度ではなかったか。 「どうして?」 「入ってくるなと命じてある。主を信用できないのなら、世話係たる資格なしだ。俺を信用するのなら入っては来られないはずだとな」  何だか笑えてくるのはなぜなのだろう。隆人がまるで子どものような妙な理屈をこねているからだろうか。  その間に隆人が白の長着をまとい腰紐と帯を締めた。そして遥は隆人にタオルを取り上げられた。 「確かに樺沢には樺沢のプライドがある。鳳凰の仲が悪くて不幸が訪れるのなら一族中が致し方なしとあきらめるが、仲がよすぎて禁忌を犯したのでは、内向きの用を任されている樺沢としては面目丸つぶれだからな。そのせいでうるさくてかなわん」 「でも、俺は一人では着られない」 「着せてやる」  驚いて目を見張った遥のために長襦袢が広げられる。隆人は遥に手を通させるとあちこちを整え、腰紐を手にする。 「少し堪えろ」  何を、と問い返そうとした遥にまるで抱きつくようにして隆人が紐を回した。  一瞬にして、心臓が跳ね上がった。  火の中に投げ込まれたように体が熱い。首筋に息づかいや温もりを感じただけで、治まりかけていた衝動が体の芯から遥を焼く。  隆人の体が離れた。紐が結ばれる。続いて純白の単衣を着せかけられ、帯まで結ばれて隆人が体を離した。  ほっとしたのとがっかりしたので気持ちはぐちゃぐちゃだ。  いつからこんなふうになってしまったのだろう。  披露目が終わってからのこの八ヶ月で、隆人との関係はまるで変わってしまった。  隆人の一挙手一投足に鼓動が速まったり、落胆したりしている高遠遥は、本当に怒りと怯えに苦しみながら三年間逃げ続けた高遠遥と同一人物なのかと、自分でも疑いたくなる。  すっかり手懐けられたようで気持ちが沈むときもある。これは間違っているとわかっているのに、そう思う。  凰になることを選んだのは遥自身である。きちんと役割を果たせるようになろうと望んだのも遥の選択だ。  しかし、まさか自分がこれほどまでに隆人に対し、気持ちが寄り添うことになるとは夢にも思わなかった。体が快楽を求めてしまうのは、披露目前の段階で既に気がついていたのだが。  隆人による着付けは普段より時間がかかった。自分で着物を着ることには慣れていても、他人に着せ付けることは多少勝手が違うのだろう。それでも遥も隆人と揃いの純白の長着姿になった。 「苦しくないか」  心配げな隆人に遥は微笑んで首を振る。 「大丈夫だ」  隆人の手が遥の頬に触れかけて、迷うように宙に止まった。  隆人が苦笑を浮かべた。遥はおかしくてたまらなくなる。 「何だ。何がおかしい」  むっとした隆人の顔に、ついに遥は声を立てて笑い出してしまった。 「遥!」 「だ、だって――」  遥は腹を抱えて笑いながら答える。 「子どもみたいな頼りなさそうな顔をするなよ」  着付けの結果を気にする隆人がかわいく見えた。四十歳の男がかわいく思えた遥自身も笑える。  隆人がうんざりといったようすでため息をついた。 「いい加減にしろ」  顔をしかめているが、隆人の機嫌は悪くない。そのくらいの表情は遥にも読み取れるようになった。  隆人が息を吐いて、それから姿勢を正した。 「もう行くぞ。顔を引き締めろ」  言われて口を手で押さえる。深く息をして気を静める。何とか声はおさまったが、まだ頬はゆるんでしまう。
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