竹さしのねこといふものありけり

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竹さしのねこといふものありけり

 あっしにゃあ関わりのねえこって。私はここのところ、そんな気概で定時に退社する。というのも、外に出た途端にぴゅうと木枯らしが吹きつけるからである。長楊枝の代わりに竹串の一本でも口の端に加えたい気分になるが、安全上の観点から思い留まっている。転んだときに刺さるではないか。  しかし、毎日そんな妄想に耽ることを繰り返していると、ついうっかりそれを口に出しそうになる。 「沢田さん、もう帰るんですか。暇なら手伝ってくださいよ。全然終わらないんです。」  定時の鐘が鳴り、荷をまとめた私に隣の同僚が声を掛けてきた。冗談ではない。何故他人を手伝うために居残らねばならぬ。第一、こちとら全然暇ではない。さっさと帰って、我が家の身の丈四尺の飼いネコ、メニョと戯れるという崇高な使命があるのだ。 「沢田さんの分はもう終わったんですか。終わってないでしょ。締め切り明日ですよ。ほら、一緒に残ってやりましょうよ。」  こいつは締め切りが明日に迫っている仕事を未だに片付けていないのか。神経の図太さには感心するが、計画性の無さは改めた方が良かろう。ちなみに、私はそんなものはさっさと済ませている。小人さんのおかげである。 「一緒の部署じゃないですか。手伝わなくてもいいんで、いてくださいよ。一人だと寂しくて捗らないんです。」  なおも縋りついてくる同僚に、私は冒頭のセリフを言いそうになった。すんでのところで飲み込んで、咳ばらいを一つする。  そもそも、私が隣にいて捗るなら時間内に終わっているだろう。そうでないのだから、私はいない方が集中できて良いに決まっている。同僚のためにも、今すぐ立ち去ろう。うむ、私は実に同僚思いの善き隣人である。  私はそう結論付けて、可及的速やかに帰宅した。社を出るなり、同僚のことは頭からすっかり消え去ったのは言うまでもない。  玄関で四つ足揃えて私を出迎えたメニョを執拗にモフり、匂いを貪り、しっぽではたかれ肉球で押され、という一連の儀式を済ませた私は、部屋着に着替えて台所に向かった。すっかりどてらの必要な季節になった。きっと今日のメニューも温かいものに違いない。ほら、何だかぬくもりのある出汁の香りが漂っているではないか。 「今日のご飯は、鍋か?」  コンロの上に土鍋が置いてある。 「にゃー」 「ほうほう、何鍋かな。」 と聞いたものの、メニョの鍋はいつもメニョ鍋である。具材はその時冷蔵庫にある物を無作為に抽出して適用するので、常に斬新な組み合わせとなる。具材が不揃いのぶつ切りであることを除けばメニョ鍋にこれと言った定番感は無い。味付けも、台所には何種類かの鍋の素が用意されているのだが、どれを使ったのやらいつも分からない。メニョにしか作れない謎の鍋なのだ。  私は土鍋の蓋をぱかっと開けてみた。もうもうと立ち上る湯気の中に現れたのは、竹串がいっぱいであった。なるほど、竹串鍋か、新機軸だな。食物繊維たっぷりだぜ。とは、さしもの私も考えない。そんなもの食べられない。 「何だこれ。」 「おうー」  メニョの返答をしばし耳の奥で反芻したが、魂の次元の低い私にはメニョ語はどうも分からぬ。私は諦めて、竹串を一本摘まんで持ち上げてみた。先っぽに一口…いや、二口大くらいの乱切りになった大根が刺さっている。もちろん、いつも通り皮つきだ。ネコ手で皮を剥くのは難しい。 「大根。こっちは里芋。これは…あ、取れちゃった。ちくわだったか。」 「ぬー」  メニョが文句を言う。だって、しっかり刺さっていないんだもの。しょうがないので、おたまで先のちくわを引き上げて刺し直す。ちくわは竹串に刺して食べるようにはできていない気がする。非常に持ち上げにくい。昔、チビ太のおでんというのがあったが、あれはかなり玄妙なバランスの上に成り立つ代物だったのではあるまいか。いや、待てよ。あれはちくわじゃなくてちくわぶだっけ。ちくわぶって、何だ。穴はあるのか。  そんなことをブツブツ唱えながら竹串を改めていると、どうも鍋がおでんに見えてきた。中身が大根、里芋、ちくわ、板こんにゃく、殻付きゆで卵等々なのだ。なお、殻付きゆで卵は、ヒビを入れることにより竹串を通りやすくするという工夫が凝らされている。ネコ手では卵の殻を剥くのは難しいが、打撃を加えるのは容易である。 「メニョおでんか。」 「なふ」 「おいしそうだけど、なんでわざわざ串刺しにしてるんだ?」 「にゃいー」  そうか、なるほどなあ。と分かった振りをして分かっていない私を尻目に、メニョは鍋から一本串を引き上げた。ころころとした肉のような物が4つか5つ刺さっている。皮っぽい部分が見えるので、鶏肉のようだ。  肉に串を打つのは結構力がいる。串を掴むことのできないネコ手では不可能だ。おそらく、焼き鳥用として串に刺さった状態で売られている鶏肉を買ったのだろう。あるいは。 「焼き鳥を買ってきたのか?」 「にゃー」 なんてこったい。まさか、我が家の行きつけの美味しい焼き鳥屋さんの焼き鳥がこうして煮られているのか。煮ないでそのまま食べたいぞ、もったいない。と思ったが、よくよく串を見ると「もも」とか「かわ」とか文字が入っている。これはスーパーの総菜売り場のものだ。 「おでんじゃなくて、焼き鳥鍋じゃないか。」 「ぬー」 「おでんなのか。」 「にゃ」  そこは譲れないらしい。 「で、鶏肉に合わせて全部串に刺したということか?」 「にゃ」 「やっぱり、焼き鳥鍋じゃないか。」 「ぬううう」 どうしてもおでんだと言い張るご様子である。  まあ、おでんの正確な定義とは何ぞやと問われたら私にも答えられない。メニョがおでんだと言うのなら、これもまたおでんなのだろう。  私は純米酒をぬる燗にして、鍋をつついた。鶏肉にはたれの甘い味が微妙に残っていて、やっぱり焼き鳥鍋である。敢えて名づけるならおでん風焼き鳥鍋か。まんまやん。こうして今宵、また一つメニョ鍋の新しい境地が開けたのであった。
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