01 プロローグ

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01 プロローグ

 彼がこの世に生を受けて18年。親元から離れて3年経つが、今でも時々思い出す父の言葉がある。 「人間死んだら終わりだ。やり直せなくなるからな」 「卑怯な手を使ってもいい。生き延びる事を負けだと思うな。なぁに、世間の噂なんてすぐ消えてなくなるさ。だからー」  「惨めでいい、とにかく生きろ。か…」  静かに目を開ける。灰がかった薄緑の瞳に暗く狭い自室の天井が映る。彼の耳に静かに降る雨の音が届き、一層憂鬱な気分になる…今日は雨か。だるい体に鞭をうち、身体を起こして伸びをした。ええと、何日飯を食ってないんだっけか。そろそろ仕事しなきゃな。全く金がないわけじゃないが、あれは虎の子だ。本当に本当に困った時に手を付けると決めてるんだ。 (仕事…俺に何が出来るんだろう…)  なんとか寝床から抜け出して、比較的綺麗と呼べる服に手を伸ばす。白いシャツに紺の長衣。袖に通す腕はやせ細ってガリガリだ。元々肉体労働が得意なタイプじゃないが、彼自身酷い有様だと思った。ギリギリで食いつないで生きている今。こんな俺を両親が見たらなんて言うだろう。  一通り服を着て鏡を覗き込む。痩けた頬。顔色も良くない。それでも伸びた髪に櫛を通して、顔を洗う。少しでも見栄えが良くなるように。ため息が出そうになるけど我慢我慢。仕事が入ればまたしばらく食えるようになるさ。  トントン。  ふいに外から戸を叩く音がした。来客だ。…と言っても、多分仕事の客じゃない。正直溜めた支払いがありすぎて、どの取り立てかわからない。嫌な予感がしつつ扉を開ける。 「…はい…?」 「ちょっとサイモンさん、生きてる?最近出入りしてる気配がないから、もしかして死んでるんじゃないかってみんな噂してるのよ」 「いや…生きてます…」  扉を開けても人影がなく、視線を下に下ろす。そこに居たのは子供サイズの小さなヒト。しかし子供ではなく、完全におばさんの顔をしている。非人類の人類、亜人“ノーム”の大家だ。 「あらま、生きてた。良かった良かった。あらでも、あなた顔色が悪いわ?それに随分痩せてる。いつからご飯食べてないの」 「…そっスね…3日くらい…?」 「3日!3日も!!馬鹿じゃないの!!!」  ふわふわと長く伸ばされた大家…確かアメーリアさん。の髪が逆立つ。目も真ん丸だ。 「だって先月の家賃も払ってないし…」 「だからって!ご飯3日も食べてないの!そんなにお金ないの!?」 「お金あったらとっくに食べてるッス…」 「そう、そうね!そうよね!!仕方ない子!ちょっと待ってなさい!!」  そう言うと、短い足を必死に動かして去っていった。えーと、ここで待てばいいのか?しばし待ちぼうけを食らった後、アメーリアさんが必死な形相で戻ってきた。  両手には鍋が握られている。 「はい!うちの残りで悪いけどシチュー!食べなさい!!人間(ノーマン)は身体が大きいんだから、ちゃんと食べないと!好き嫌いないわよね?!」 「え、はい…」 「家賃の支払いなんてお金入ったらでいいから!とにかくちゃんと食べて生きて寝なさい!!親御さん泣いちゃうわよ!!」 「はい…」 「それじゃまたね!!!」  ガン!!!!大家は鍋を力一杯床に置くと、また忙しなく帰っていった。手ぬぐいで覆われた両手鍋からは、柔らかな湯気といい匂いが漂ってくる。…シチュー…美味そうだな…。ノームって確か菜食寄りの食事だっけ?でも肉も食べないわけじゃなかったはず…。恐る恐る蓋を開けると、肉だ。ちゃんと肉が入ってる。この匂いは鹿かな?あとは大根、玉ねぎ、にんじん、じゃがいも…根菜中心か。それらが牛乳たっぷりのスープで煮込まれていて、弱った身体に優しそうだ。た、たべたい。 (よし、今日はとりあえずこれを食べて…それから仕事の事を考えよう。それからでも遅くない、そうしよう、うん)  彼、サイモンは手ぬぐいで鍋を掴んで部屋に引っ込んだ。久しぶりの食事。ありがたく食べさせてもらおう。 「ゼウスの恵みと女王陛下に感謝。いただきます」  昨夜から降り続いた小雨はいつの間にか止んでいた。雲の切れ間から光が差し、少しずつ世界が明るくなってゆく。サイモンは日光を跳ね返し煌めくブロンドを靡かせて石造りの街を歩いた。  様々なヒトがいる。すぐそこの道端に座り込んでいるのは猿の獣人ショージョー。人間(ノーマン)よりいくらか小さい体をしており、眉毛がなくせりだした眉間。のっそりと長い手足。毛に覆われた身体。彼らは粗末な服を着て座りこみ、手には共通語で『ショージョーは“人間”です』『我らにもっと権利を』と書かれた木札を持って、厳めしい顔をしている。いやいや、お前らはどうせ猿だよ。人間にゃなれないって。飽きもせず何度も座り込み啓蒙活動をしている彼らに、サイモンはひっそりとため息をつく。  その横を狼の獣人、ワーウルフの男と牛の獣人、ミノタウロスの男が連れ立って歩いていく。彼らは冒険者でもやっているのだろうか、厳つい甲冑を身にまとい、重そうな長剣を腰から下げていた。得意げに持ち上げられた二人の尾が左右に揺れている。あの顔は一仕事終えて酒を飲みにでもいくのだろうか。  さらに視線を脇に逸らせば、酷く身長の低い女性が買い物袋を下げて小走りに去っていく。彼女は人間(ノーマン)の子供じゃない。あれで乳房も尻も膨らんでいる。「人間(ノーマン)の半分」という意味でハーフリングと名付けられた種族の成人女性だ。正確には半分よりはずっと大きいが、そう呼びたくなる気持ちもわかる。大きな丸い耳、くりくりとした瞳。おおよそ「成熟した大人の」といった雰囲気ではない。  ヒトであって人間(ノーマン)ではない種族たち。亜人、獣人と呼ばれる人種がこの街にはたくさん住んでいる。青い肌と鱗を纏った快活な魚人(アプカルル)。道行く人々の腰までしか背丈がなく、ガリガリの浅黒い身体に大きな禿げ頭が目立つのはゴブリン。どこかの召使いだろうな。すぐ前を半人半馬のケンタウロスが窮屈そうに歩いている。その横にはたっぷりしたヒゲをたくわえ、背は低いがムキムキの体を揺らすドワーフ…辺りを見回すだけで人外の人種はきりがない。  ただ、そんな中にも稀にきちんと「人間(ノーマン)」がいる。それは十中八九決まった職業だ。  ドンッ! 「いて、」 「まぁ、すみません…!」  なんとなく辺りを見ながら歩いていたら、知らない人間とぶつかってしまった。視線を向けるとそれは若い女だ。長く艷やかに伸ばされた銀糸の髪は丁寧に櫛を入れられ、綺麗に結い上げられている。大きな花飾り。足首まで贅沢に届くスカートのドレープが揺れている。その表面はしっとりして艷やかで。 (うわっ、全身シルク…!)  見るからに金持ちの女だ。その隣には、そうやっぱり。大事そうに長剣を下げた男が立っている。王国お抱え北方国境守護部隊の人間。つまり王国軍の兵士だ。 「…危ない。前をよく見ろ」 「すみません、人が多くて」  女が少しよろめいたように見えた。わざわざ歩きにくいハイヒールの履物でこの街を闊歩している。隣の武人の男は「こちらの身分」をよくわかっている。呆然とするサイモンを汚い物を見るような目で一瞥した。 (こ汚ぇ貧民が俺の女に触ってんじゃねぇよ。)  そう目で言われた気がしてむかっ腹が立った。 (うわぁあああ、国軍兵士!むかつく!儲かってますねええいいですねえええ!!!!)  仲睦まじく去っていく二人の指には揃いの指輪。恐らく夫婦だ。この街の住人の何割か、限られた数しかいない人間(ノーマン)。そのほとんどは彼らのような王室直属軍の遠方駐屯兵団所属兵士とその家族縁者だ。一方、サイモンのように軍人ではなくこの街にいる人間(ノーマン)は、ほぼ100%が他の街で仕事を見つけられず流れ着いた“負け犬”。オールシルクで贅沢に布を使ったドレスを妻に贈るような勝ち組人生を送る人種とは、天地の差があった。 (ああ、ああ、そうですよ!この年になっても妻どころか恋人もない!仕事もない!家もギリギリ!食事もギリギリ!!そんな、俺とお前らは違うんですよ!!!)  人間(ノーマン)の成人年齢は16歳。故郷の同年代の友人たちは既に伴侶を捕まえ、そろそろ子供を作ろうか育てようかというところ。 『誰かいい人いないの?』  お決まりの両親のせっつきももううんざりだった。元は王都の近くの生まれ、どちらかというとシティボーイのサイモンだったが、就職が上手くいかなかったのを機にここまで逃げてきた。 (…昔は良かったな、本読んで勉強するだけで周りから褒められたのに…)  今でもありありと思い出せる。一つ年上の幼馴染の男が同年代と外を駆け回るのを尻目に、サイモンはいつも本を読んでいた。  幼い彼が知る由もない、まだ見ぬ国々の文化。歴史。言語。最先端の天文学。占星術。数学。古の文学。神話。魔法学。薬学。植物学。戦術学。枚挙にいとまがない。あらゆる本を読み漁って楽しんだ。 『将来は学者さん?それとも官僚かしら』  時々近所の人が嬉しそうに頭を撫でてくれた。彼自身その言葉を疑ったことはない。いつか学者か官僚か…そのつもりでいたのに。いざ王都でそういう仕事を探しても、一向に就職出来なかった。 『すまないね、君レベルの人ならわりとたくさんいるんだよ…』  面接してくれた誰かのその言葉のあとを、彼はあまり覚えていない。半年ほど粘っただろうか。何度も何度も何度も何度もそれっぽい場所の扉を叩いたが、どこも彼を受け入れてくれなかった。 (………………)  ふと我に返る。視線を落とした先、水溜りに自分の姿が映っている。きちんと整えられいまま伸びた、埃っぽい金糸の髪。クマが出来て落ち窪んだ目元。薄緑の瞳は自信を失って茫洋としている。見栄を張ってなんとか長さこそ確保したものの、安布ゆえ却って貧相に感じさせる衣服。身長はあるが痩せた身体。千切れて穴が空きそうな革のブーツ。  何もかも。惨めだった。  ああ、もう全部捨てて消えてしまいたい。  空腹を満たしてなんとか奮い立たせた気持ちが、どうにか今日を生き抜こうという気持ちが、もう萎んでしまいそうだった。あんなに美しいドレスを着て明日の憂いもなく生きていく軍人夫人は、どれだけ幸せだろう。満ち足りているんだろう。俺も、俺もああなりたかった。  這い上がりたい。 「クソ、クソクソクソッ…!!」  顔を上げる。今日の仕事を探そう。どこかで何かさせてもらえないか声をかけて回ろう。自分にはこれしかない。悔しくても、みっともなくても、這いつくばって泥水をすするような生活を送るしかないんだ。 (よし、まずはあそこだ…!)  馴染みの獣人がいる酒場を目指す。 「あら〜、サイモンさん!お仕事探しに来たの??」 「そー。なんかない?モモ」 「そぉね〜」  カーリーな長い髪が美しく艶めいている。頭に白く長い耳。前からでは見えないが、尻にも短いがふわふわとした尾。赤く大きな瞳がサイモンの姿を映し瞬く。大きく谷間の開いたミニ丈のドレスを着た目の前の女性は、兎の獣人アルミラージの混血だ。  本来獣人と言えば、頭から爪先、骨格に至るまでほとんど動物のそれなのだが、アルミラージのモモはそれらと大分異なった。獣毛のない滑らかな肌、人の身体に人の頭、人の顔が乗っている。有り体に言って、「ケモミミと尻尾」がついている以外はほぼ人間(ノーマン)の女性の見た目だった。人間との混血が進めばこういう見た目の獣人もいなくはないが、こうも美しく完成した個体はそうはいない。モモは夜の街の売れっ子看板娘だ。  開店前の午前の酒場。裏路地の石畳を進んだ先、奥まった場所にあるその店の前。モモは掃き掃除をしていた。日が暮れれば忙しくなる。雑用を済ませるならこの時間というわけだ。 「うーん、少し前に取れかけた看板直してもらっちゃったしな」 「うんうん」 「あとなんだっけ?買い出しとかって頼んでいいのかな?」 「いや、それはさすがに店の男連中に頼んだら…?」 「えー、せっかく気を利かせて用事をひねり出してあげてるのに…」 「……そりゃどうも………」  サイモンは今、万屋(よろずや)を名乗って仕事を探している。結局はあらゆる他人の雑用係だが…頭脳が取り柄の彼にも、何かしらはさせてもらえると思ったのだ。ところがどっこい、荒事NG頭脳労働中心、と掲げるとなんの仕事も来なかった。それもそうだ。世はモンスターと戦が蔓延る16世紀末。ガリガリひょろひょろの男に回ってくる高額労働など存在しなかった。 「うーーーーん………あっ!そういやそこの角の精肉店が間違えて羊肉たくさん買っちゃったから、売り子を探してるって言ってたよ。どうかな?」 「ああ、いいかも」 「サイモンさん力仕事いける?」 「…………いや、多分無理」  せっかく舞い込みそうだったそれなりの仕事。真剣に考えると即無理そうで、項垂れるサイモンを見てモモがからからと笑った。 「…おい…!」 「アーハハハ!いやーー、ホンット男っぽいことなんにも出来ない人だね〜!」 「うるせぇ、人には得意不得意があるんです。あと、男っぽいことなんにも出来ないと言ったな?昔お前を『買ってやった』恩を忘れたとは言わせないんだけど??」 「あっはいはい、その節はどーもで〜す」 「軽い!軽いな!?」 「ふふふwww」  モモは2年前、この街にふらっとやってきた流れ者だった。まぁ亜人獣人はほとんどがそういうタイプだが…当時、職も何もない彼女と偶然出会い、「一晩分の仕事」を頼んで少しの金銭を恵んだのは、誰であろう成人したての頃のサイモンだった。彼は彼でこの街に来て少し経ったくらいの時期だったので、どうにもほっとけなかったというのが本当のところだが。彼女とはそれ以来の縁だ。 「やー、でも力仕事NGとなるとやっぱ何もないよ?うち従業員は可愛い女の子か腕っぷしの強い男しかダメだし…」 「別に飲み屋で働きたいわけじゃない…」 「あらそう?じゃあ今日はお仕事ないみたい。ごめんね」  モモが申し訳無さそうに眉尻を下げる。 「いや、いい。また来る」  別に期待してたわけじゃないし、お前が悪いわけでもない。サイモンはそう言って薄く笑った。モモが手を振るので、こちらも振り返す。さて、ではあとはどこへ行こう。 「うーん、悪いね、今日は特にないかな」 「そうね〜…また今度お願いしようかしら」 「そっか、兄ちゃんゴミの仕分けするかい?」 「じゃあこの本片付けてもらえるかしら」  本当に、本当に雑用しかしていない。顔馴染みの所をぐるり一周して、一応「金を払う」と言われた仕事は全部やってきた。それでも当然小鳥の涙ほどしか稼げない。いやまぁ、無一文で腹を空かせるよりはいいんだけど。 「はぁ…歩き回ってなんか疲れた…」  思わず独り言が漏れる。これでパン一斤とクズ野菜くらいなら買えるだろうか。パン一斤…何日食いつなげるだろう…。いや、半斤とチーズと野菜にした方が腹持ちと健康にいいだろうか…。しばし飯について思案していると、ついつい腹の虫もぐうと鳴いた。 (あー、そろそろ昼か…?)  頭上を見上げると、太陽がだいぶ真上に近い場所にあった。煤けた石造りの建物たち、その隙間から現在の時刻を推測する。いい加減一旦休憩した方が良さそうだ。 「めし…………」  道端に座り込み、腹の虫と静かに対話する。朝シチューをたっぷり食べたのだから、せめて今日はもう少し静かにしていてくれないと困る。だが、まぁ、場所が悪かった。 (めっちゃいい匂いする…………!!!!)  何やら上部の開け放った窓から肉の焼けるい〜い匂いがする。ここはなんだっけ?えーと、あ、確かオークが店主をやってるグリルパルツァー亭だったような。野蛮で知能が低いと有名なオークが飲食店やってるなんて驚きだよな。繁盛してるみたいだし、さぞや出来た店主なんだろう。  考え込んでいると、頭上から肉の匂いが止めどなく降ってくる。なんなら焼けるジュージューという音まで聞こえてきそうだ。 (確かこの店の名物はステーキだったな…すげーいい肉の…。あー、いっぺんでいいから食べてみたい。分厚い肉…噛みごたえのある肉!!って感じのめちゃくちゃ美味い肉…)  世は大航海時代。高級品ながらようやく胡椒という存在が世に出回り始めた頃だ。これまで畜肉など、すぐ腐り管理なんてしようがない困りものだった。が、胡椒があれば美味しく長く保存出来る。畜産に関わっていたり、牛や鶏や羊を自宅で飼ったりしなくても、庶民が気軽に肉料理を食べられる時代がもうすぐそこまで来てるのだ。 (はぁ…肉…食いてぇ…)  俺もいつか金持ちになってたらふく肉を食う。よし決めた。絶対達成する。絶対だ。肉の焼けるいい匂いを嗅いで、これからの抱負を新たにする。さーて腹は減ったが元気は出たぞ。未来のステーキ待ってろよ…。サイモンがよっこらせと立ち上がると。  みしっ 「??」  何やら頭上から鈍い音がした。すると突然、 「くぉらああああ!!!!ふざけんなこの泥棒猫!!!!!」  先程のグリルパルツァー亭からドスの効いた怒声が降ってくる。 「!!???」  驚いたのもつかの間、次の瞬間  ガシャン!!!!!!メキメキバキ!!! 「うわ危なッ!!??」  頭上の窓が弾けた。パラパラとガラスが降り注ぐ。そして  ドズン!!!  サイモンの頭上、少し上にある看板に何かが落ち、  バキバキバキ!!!  その看板と「何か」も地面に落ちた。一瞬の出来事。サイモンは必死に自分を守ろうと、ファイティングポーズに似た防御の姿勢をとるので精一杯だった。な、なんだこの騒ぎは??? 「✕✕✕✕✕!!!✕✕✕✕!!!!!」  何かが何かを叫んでいる。目の前の、今落ちてきた何か。それは… (えっ、スカート履いてない??!)  まず真っ先に目に入ってきたのは、血色の良い桃がかった白肌。一見細いがほどよく筋肉のついた、メリハリある長い脚。太もも。えっ、太もも!???  つるりとしたその脚を見て、咄嗟にこれは若い女なんだと思った。次に、あまりに脚が剥き出しだからスカートを履いていないのかと思った。違う。 「✕✕✕✕✕✕✕!!!!✕✕!!✕✕✕✕!!!」  それは、獣人の女だった。肩くらいまで伸ばされたぼさぼさの黒い髪。顔の向かって左半分が前髪で覆われてわからない。もう半分にはギラギラと光る金の目がついている。猫の耳。長い黒い尻尾。そして、両腕を出した身体のラインが露わになる衣服と、あまりにも短いズボン。 (わぁあああああこいつ脚が剥き出しだああああああー!!!!!!)  この時代、谷間を放り出す女はいても脚を丸々出す女はいない。とはいえサイモンとて女を知らないわけでもない。だが、あまりに大っぴらに出されたその長い脚を見て、サイモンは思わず思いっきり赤面してしまった。 「わ、わぁ、すみません…!」  するとその猫獣人女は、何やらわめきながら手に持った袋を突き出してきた。えっと、何?そもそもこの言語はなんだ?共通語ではない。ドワーフ語やハーフリング語、ましてやエルフ語とかでもない。その辺ならサイモンにも軽々訳すことが出来る。違う、もっとマイナーな種族の言語だ。 (あっ…!) 「✕✕✕✕✕バアチャンガ✕✕✕✕!!金✕✕✕!!!✕✕✕!!!」 (これ、ケットシー語だ…!!)  ケットシー。男女共に100センチにも満たない猫の獣人の名前。見た目は二足歩行の猫だが非常に知能が高く、稀に商人や医療関係という職で人の国に出てくることがある。 「…おい兄ちゃん!そいつ捕まえててくれ!!食い逃げしやがったんだ、コンチクショウ!」  そうこうしていると、路地に人がやってきた。怒り心頭といった表情の飲食店従業員(白い服を着てるから多分そうだろう)。…えーと、食い逃げ?こいつが?それで窓をぶち破って上から降ってきた??? 「コレ!バアチャンガ!✕✕✕金!!!」  猫女は何度も同じ言葉を叫んでいる。どうやら、袋の中に彼女にとっての金が入っているらしい。 「あの、なんか、この人お金持ってるみたいですよ…?」 「ハァ〜?!なんかそれ見せられたけど、金貨でも銀貨でもねーのが入ってたよ!!」  従業員に言われて猫女から袋をもらう。フンスフンスと鼻息荒い彼女だが、…ああ。中身はたくさんの綺麗な貝殻だった。 「こんなんでうちの飯が食えるかよ?!どうしてくれんだよ兄ちゃん、アアン??!」 「え、えっと…っ」 「子供の玩具渡されても困るんだよォ!!」  怒鳴り散らす剣幕に押されて肩がすくむ。猫女はサイモンのことをすっかり味方だと思ったのか、彼の後ろにサッ!と隠れてしまった。 「あの、すみません、お代っ…いくらですか!」 「はぁ〜?金貨10枚!」 「えっ!!!」 「うちはいい肉使ってんの。それをさ、こいつバクバク何枚も食いやがって…!!」  この猫女、サイモンが先程夢見ていた分厚いステーキをしこたま食べていたらしい。金貨10枚の重みにくらくらする。なお簡単に説明すると、この国におけるお金は銅貨が庶民の使うお金、銀貨が納税などまとまった支払いに使うお金、金貨と言えば、貯蓄か贈答用にしか使われないとてもとても高額のお金だ。サイモンは生まれてこの方金貨など見たこともない。  ちなみに、先程サイモンが悩んでいたパン一斤は銅貨3枚で買える。 「金貨…10枚っ…!!!」 「おう兄ちゃん、その猫を庇うんならきっちり全額耳揃えて払ってくんな」  唇を歪ませ、こちらを睨みつけて凄んでくる店員。サイモンは震える声で次の言葉を絞り出した。 「すみませんっ、無理です…!!」 「ハァ!!??」 「その代わり!この俺のなけなしの全財産!受け取って下さい!!!」 「えっ、え!!?」  慌ててポケットをひっくり返し、先程必死に稼いだ銅貨数枚を店員に突きだす。驚いた店員は手の中の銅貨を見、サイモンを見、後ろの猫女を見てまた手の中を見た。 「えっ、これっぽっちが全財産…!!?」 「はい、全てです!!」 「え、これだけ??これだけしかないけど!??」 「今朝まで3日絶食でした!知人になんとかご飯わけてもらって、今日必死に仕事して、稼いでこれが全てです!!!」 「は、はぁ………………!!!!???」  店員はまた手の中を見た。『これが全財産』というワードにしこたま驚いたらしい。わなわなと手を震わせ、やがてぎゅっと大事そうに両手を握りしめた。 「…兄ちゃん…よく見たらめちゃくちゃガリガリだな…」 「はい、食べたり食べなかったりなんで…」 「マジかよ……」 「はい………………」  しばらく開いた口が塞がらなかった店員、やがて目を潤ませずずっと鼻をすすると、静かに項垂れた。 「…わかった。兄ちゃんの男気に免じてそいつのことは不問にする。でも、一つ約束してくれ」 「はい…」 「いつかちゃんと稼げる日が来たらよ、そん時ちょっとずつでいいから払ってくれよ。そんでうちの料理も食べてくれ。ちゃーんと稼げるようになったらでいいから」 「……!はい…!!!」  いつか払ってくれ、と言われたけど。「ちゃんと稼げる様になったら」でいいということは、貧乏なうちは不問ということだ。そりゃあバリバリ稼げる様になったら払いにくる。というか、この猫女にもちゃんと働かせなくては。 「すみません、ありがとうございます。…ほら、お前も礼を言えよ!」  話がまとまったので後ろを振り返ったら、猫女はきょとんと瞳を丸くしていた。…あっ、話通じてない。 「えーとえーと…『金、オレ払ッタ。コノ人許ス。感謝』」  片言のケットシー語で通訳し、頭を下げるよう促すと、ハッと驚いた猫女はサイモンに頭を下げ、ついで店員にも頭を下げた。そうだな、お前は俺に感謝すべき。 「うんじゃあ、頑張れよ兄ちゃん。困ったらその猫女売りとばしちまえ。結構可愛いぞ」  和やかに笑う一同。その最中、店員に軽口を叩かれてぎょっと振り返る。猫女は…そう、そうか。こいつけっこう美人なんだ。女性らしい柔らかさがあるタイプじゃないが、長い手足にすっとつり上がったアーモンド型の瞳。気にいる男はけっこういるかもしれない。  …が。 「あっいや…さすがにそれは可哀想なんで…一緒に仕事探します。いやまぁホントは俺のを探したいんですけどね、ハハハ…!」 「ははは!!」  誰かに売るなんてとんでもない。こいつもこいつなりの事情があって、共通語も話せないのにここまで来たんだ。せめて仕事が見つかるまでは面倒見てやりたい。店員に手を振って別れを告げる。猫女。まずは自己紹介だ。 「…ええと。『オレさいもん。オマエ名前?』」  昔ちらっと父に習った以来だ。酷い発音なんだろうなと不安になりつつ、名前を尋ねる。猫女はしばし不思議そうな顔をしていたが、すっと唇を開く。 『私✕✕✕名前✕✕ビッグケット』 「ビッグケット…?」 『大きい猫。ばあちゃん✕✕✕✕✕』 (ばあちゃんがつけてくれた、かな…?)  変わった名前だ。そのまんま「でかい猫」だなんて。でもそういえば、ケットシーと呼ぶにはめちゃくちゃでかい。猫女もといビッグケットにちょっと立って、とジェスチャーで示すと、どうも170前後ありそうだ。というか、ビッグケットもモモと同じ。獣人なのに耳と尻尾、鋭い牙に虹彩の細い瞳以外はすべからく人間(ノーマン)と同じに見えた。 『…バアチャン、ドコ?』  祖母という存在が、彼女の言葉の中で繰り返される。祖母は人型だったのか、猫型のケットシーだったのか。 『ばあちゃん✕…死んだ』 「えっ、死んだ?」  祖母はどうして孫娘をこの街に送り出すことになったのか…と思ったら、どうやらこの世からいなくなってしまったようだ。 『私、ばあちゃん✕✕二人✕✕✕…ばあちゃん死んだ✕✕✕、この街✕✕✕✕来た』  なるほど、この子は祖母と二人暮らしだったのか。唯一の肉親が死んで生活が成り立たなくなったから街に…街に? 『今マデ、ドコ暮ラシ?』 『北。北の✕✕✕、✕✕✕小さい家✕いた』  北…?  そこに風がひゅるりと吹く。足元に一枚の紙が纏わりつく。何気なく手に取ると、それは“危険”と書かれた注意喚起の(元)張り紙だった。 “危険…オーガ痕跡情報…  一昨日シャングリラ北東部白山にて、野生動物数頭惨殺の跡。若い個体か。早々に捕獲、駆除に向かう予定。一般市民は駆除成功の報があるまで北部に出歩かないこと” 『………。北、おーが出ル』 『えっ、うん』 『君、大丈夫?ダッタ?』 『……………。うん』  オーガ。亜人最大の種族。ゆうに2メートルを超える体躯を持ち、非常に怪力で獰猛。知能は低く、対話するのが困難。視界に入った生き物を即八つ裂きにし、あるいは生きたまま食する野蛮な生物。学者の中では早々にモンスター扱いし、全滅させるべきとの声も上がっているが、一方で丁寧にコミュニケーションを試みた結果、一定の返答が見られたという報告もあり、この世の全人類が存在を持て余す超危険生物。  現在サイモンが暮らす亜人獣人の楽園、シャングリラと呼ばれるこの街は、元々計画軍事都市だった。北部には先述の恐ろしいオーガが出る。そこから人類と国境を守るため、対オーガ専用部隊を常駐させたのが始まりだ。  元はとても小さい村だったが、開発が進むと同時に元いた住民は皆逃げ出してしまった。代わりにこれ幸いとなだれ込んだのが、他都市で比較的下層扱いをされる亜人獣人たちだ。彼らは集団で移住することにより、半ばむりやり自治権を獲得。王国トップである女王が目を光らせてはいるものの、無法地帯化が進み今に至る。  治安は悪い。マトモな人間(ノーマン)も逃げ出した。残った人間は、そう。元の計画の渦中にいた「王室直属国境防衛部隊」である。  こうして人間少し、その他大勢のこの街が出来上がった。 『北カラ来タ?ドウヤッテ?おーがハ?』 『✕✕✕…オーガ、✕✕✕怖くない…。ばあちゃん✕言ってた』  なんだか薄ら寒くなって追求すると、ビッグケットは少し寂しそうな顔で俯いた。まさかこいつ、オーガと関わったことがあるのか?それともばあちゃんが??いや。いや。猫のばあちゃんと猫の女に何が出来る。野蛮で獰猛でコミュニケーション不可って言われてるんだぞ。まともに考えて、過去出会ってたらまとめて食われてるだろ。姿は見たことある…でもめっちゃ遠く…とかそんな感じで微妙な距離で暮らしてたのかもしれない。改めてビッグケットの顔を見ても、何かを隠しているようには彼には見えない。多分大丈夫だ。 『…あ。サッキノ金。モウ一回見セテ』 『はい』  ふと思い出して、さっきの貝殻を見せてもらう。「子供の玩具」と店員は切り捨てたけど、そう呼ぶには… 「…きれいだ」  取り出した貝殻は、丁寧に洗われて縁を加工されていた。何かの染料だろうか?白で精緻な模様が描かれている。もしかしてこれは… 『コレ、ケットシー、金?』 『そうだよ。✕✕✕✕✕✕ばあちゃん✕✕✕✕✕くれた』  これは、もしかして、ケットシー族の通貨なんじゃないか?思わず口が緩み、ビッグケットの手を握る。 『ビッグケット。来テ』 『どこに?』 「俺の知り合いの店。」  未だに美味そうな匂いを漂わせるグリルパルツァー亭から離れ、しばらく歩く。亜人獣人たちのメインストリートを横切り、人間(ノーマン)の居住エリア(治安維持のためなんとなく住み分けている)から反対となる場所まで辿り着く。そんなに大きな街ではない。徒歩でなんとか行ける。  トントン。 「ジルベール〜いるか〜」  漆喰で出来た、小さな小屋に似たとある店。数段の小さな階段を登り、ドアのノッカーを鳴らす。やがて、はいは〜い!と気の抜けたような声が返ってきた。軋んだ音を立てて扉が開く。 「はい、はい!あっ、サイモン君?久しぶり!」 「ああ、ちょっといいか」  ドアから顔を出したのは、ゆるくウェーブがかった亜麻色の髪を長く伸ばし、一つに束ねた頼りなさそうな優男。長い耳に存在感の薄い眼鏡。この街には珍しい、純血のエルフだ。 「これ、見てもらえるか?多分ケットシーの通貨だと思うんだけど」 「えっ!ケットシーの通貨!?すごい!見たい見たい!!!」  ビッグケットと中に入り、扉を閉める。ジルベールは奥にすっ飛んでいき、またこちらに戻ってくる時には小さなルーペを持っていた。 「えーーー、ケットシーの通貨なんてどうしたの!うわーっ多い!!」  中央にある机の上に袋の中身を出す。ザラザラと音を立てて滑り落ちた貝は、10や20よりずっと多かった。 「いやー、今日たまたま新顔のケットシーと出会ってさ。共通語もわからないのに店で飲み食いして、金払おうとしたら金貨じゃないから揉めたみたいで。通りがかったら空から人間が降ってきてびっくりしたよ」 「えー、へー、そうこの子が!ふーん!!」  ジルベールはちらりとビッグケットを一瞥した後、またさっさと貝を見る作業に戻った。話のわからないビッグケットがそわそわしている。 『こいつ誰✕✕✕?』 『アア、コイツ…』  拙いながら紹介しようとすると、 『僕は古物商をしているジルベールだよ。よろしくね』  突然流暢なケットシー語が耳に飛び込んできた。こいつ、こんなマイナーな言語話せたのか!ビッグケットもサイモン以上にマトモに話の通じる人間と出会えて嬉しそうだ。 『古物商ってなんだ?』 『僕はアンティーク…古い品物を集めるのが趣味でね。それが高じて店まで作っちゃったんだ。まぁ遊びというか、あんま儲かってない所だけど』 『へぇ〜』  突然会話のスピードと語彙が増加し、今度はサイモンがついていけなくなる番だった。何やら二人がワイワイ話している。内容の多くは想像するしか出来ない。 『名前はなんていうの?』 『ビッグケット』 『わぁ、大きな猫!そのまんま〜w』 『いいんだ、ばあちゃんがつけてくれたから』  またばあちゃん。その単語が聞こえた気がした。朗らかに微笑むその表情を見て確信する。ビッグケットのばあちゃん、こんなにべったり慕ってたのに亡くなってしまったんだな。 『おばあちゃんは…置いてきた?まさかね』 『死んだ。だからこの街に来たんだ』 『おばあちゃんおいくつ?』 『40は過ぎてた。もう寿命だよ』 「てことは、成人してすぐこのお金を持ち出したんだな」  突然会話の内容がダイレクトに伝わってきた。ジルベールが笑顔でこちらを見やる。 「サイモン君、すごいよこれ〜!金貨20枚は下らない価値がある!」 「えっ?」 「これ、買い取っていい?僕のところに売りに来たんでしょう?いつも貧乏な君が自慢しにきただけーなんてことないよねぇ?」 「…!!」  は?金貨、20枚、以上???する???この貝殻たちが???えっ???事態が飲み込めなさすぎて、貝殻の散らばった机を穴が開くほど見つめる。ジルベールは変わらずにこにこしていた。 「だから、これ、僕に売ってよ。金貨20枚…いや、25枚!あげるから!!」 「はぁあああああ!!!????」  思わず大声が出て、ビッグケットがびくりと肩を震わせる。金貨25枚!!やばい金持ち!!!!! 「これは30年以上前に流通してたケットシー固有の通貨だね。この端の白い模様、絵の具みたいにちゃちく見えるけど真珠の粉だよ。砕いて溶かして貝を縁取ってる。すごい技術だ。人魚だってこんな精緻な物作らないんじゃない?いや〜、すごい物見ちゃったな〜」 「え、そんな、えっ、すごいな?えっ?」 「ふふふ、売ってくれるよね」 「も、もちろん!!」  終始瞳を弧にするジルベールに、サイモンは慌てて頷いた。それを確認したジルベールが奥に行き、しばらくしてまた戻ってくる。握られた革袋からは重い金属音、金属が擦れる音がした。 「はい、数えて。金貨25枚まいどあり。」 「えっ、えーー!!!わーーーーーー!!!!!」  サイモンが震える手で革袋を開けると、両手から溢れるほどたくさんの眩い金貨たちがジャラジャラとひしめきあっていた。一枚一枚そっと数える。いち、に、さん、し、…にじゅうさん、にじゅうし、にじゅう、ごまい。ある。全額ある。ていうか、金貨25枚ぽんと出せるこの店一体どうなってるんだ。やっば。 『素敵な品物をありがとう。君のおばあちゃんの大事な遺産、全部金貨に変えさせてもらったから。これでしばらく生活に困らないはずだよ』 『…!そうか!この国の、街の、通貨にしてくれたんだな!』 『とりあえずこの国の王都が発行した一番権威ある奴ね。あとは街ごとの通貨もあったりするから、都度両替して』 『わかった』  サイモンが震えている間、(恐らく)ジルベールとビッグケットの間でそれっぽい会話がなされていた。単語とか並びとかで多分、そういう。 「ジルベール!ありがとう!恩に着る!!」 「うんこちらこそ。でも…」  「わかってる!!!」  やっと放心状態から脱出したサイモン。くるりとビッグケットに向き直ると、ガバッ!と床に身体を伏せた。滅多に見ることなどない、つまり土下座の姿勢だ。 『びっぐけっと!頼ム!!オレト一緒ニ暮ラシテクレ!!!』 『はっ???』 『俺出来ルコト、全部スル!欲シイ?言葉教エル!!全部スル!!!』  顔をあげないサイモンに、ビッグケットが困ったようにジルベールを見やる。ジルベールは静かに微笑んでいた。 「偉い。そうだね、これはどんなに高額でもビッグケットちゃんのお金。君の物じゃない。勝手に使えるわけもない。なんならこのままさよならでも良かった。でも…」 『ビッグケットちゃん、サイモン君がこのお金を一緒に使わせて欲しい、だから一緒に暮らさないかって。必要なら共通語も教える、なんでもするからって』 『ああ、そういう意味…』  サイモンはまだ顔をあげない。床に擦らんばかりに頭を下げる。やっと舞い込んだ逆転劇の糸口、離すものか…!それを見たビッグケットは目を丸くしたのち、ふふ、と吐息を漏らした。 『わかった。いいよ』 「「!!」」 『私達はこれから一生を共にするパートナーだ』  無言で近づき、静かにしゃがむ。サイモンの視界に入るよう片手を出すと、驚いたサイモンが顔を上げる。 「…え?こいつ、一生のパートナーって言った?」  徐々に朱に染まる頬。ジルベールも目を瞬かせる。 「あ、うん、言ったね…」 「それは…まさか…」  け?っこん??えっ? 『だってとりあえず別れる理由はないし。何かあれば解散するけど、それまでは一緒だろ?』  …あっ、そっちでしたかーーーー。なんとなく、察した。あまりにも平然と言ってのけるから。サイモンは盛大にため息をつく。 「やめろ…びっくりさせないでくれ…。最近あんまり女と関わってないんだからさ〜」 「おや、サイモン君ご無沙汰?」 「その言い方はヤメロ。」 「ええ〜、せっかくだから公私ともに結ばれなよ❤僕必要なら仲人するよ!」 「要らない!!!」  わーわーギャーギャー。ビッグケットには彼らが何を話しているかわからない。が、なんとなく下らない事話してるんだろーなーなんて思って、小さく笑った。 『で、サイモン、握手は』 「あーはい!」  呼ばれてサイモンが手を出す。細いがしっかりと肉の詰まった指に触れ、ぎゅっと握り返す。 「これから、よろしくな。  って手ェ熱!!」 『?』  慌てて引っ込められた手を見て、ビッグケットの片猫耳が倒れる。 『手アツイ!!体、温度高イ!!』 『ああ悪い。昔からなんだ。まぁそんな迷惑はかけないと思うから』  不思議そうな顔で手を握ったり開いたりするビッグケット。おおよそ「人間(ノーマン)」の手の温度ではなかった。 (なんなんだこいつ…!!)  美少女で、猫で、人で、変に金を持ってて、ろくに共通語も話せない人生のパートナーが。本日誕生しました。
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