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【1】遺恨の地より
沖縄県糸満市。
那覇市の南、沖縄最南端の糸満市には、第二次世界大戦末期の傷跡が、数多く刻まれている。
市の中央に位置する三和高等学校。
数奇な運命を持って生まれた、2人がいた。
比嘉晋也の父親は東京に住み、有名なバンドのギタリスト。
その影響で晋也も小さい頃からギターに触れて育ち、かなりの腕前である。
幼なじみの新垣多香子は、そんな彼のギターに合わせて、適当な歌詞を作り、歌って遊ぶ毎日を過ごして来た。
龍神祭りの夜。
2人は同じ病院で、同じ時間に生まれた。
祭りはお決まりの様にいつも雷雨となり、それでも沖縄独特の音楽と踊りは、明け方まで止むことはない。
まるで、祭りのリズムに誘発されたかの様に陣痛が始まり、病院へ運び込まれた2人の母。
庭の大木に大きな雷が落ち、一帯が停電した瞬間、晋也と多香子は生まれたのである。
日曜日。
2人はサイクリングを兼ねて、慰霊碑を巡るのが、お決まりのコースであった。
「晋ちゃん、男子なのにここが好きだよね」
高校の近くに、ひめゆりの塔があった。
その前に立ち、しみじみと眺めて手を合わす。
「多香子は、なぜ『ひめゆり』って名前が付いたか知ってる?」
「えっ?…そう言えば、なぜなんだろ?」
地元の者は得手して、ご当地のことを知らないものである。
「あのな、大戦末期の1945年。沖縄に米軍が上陸し、当時沖縄にあった21の男女中等学校から生徒たちが動員され、女子学徒は15歳から19歳で、主に陸軍病院等で看護活動に当たったんだ」
「そうそう、ひめゆりの塔は映画で見たけど、信じられなくて。涙出まくりだった。あれから、主題歌を歌ってるさださんのファンにもなったし」
幸せですか…♪と、良く口ずさんでいる多香子。
「そんな中、県立第一高等女学校と沖縄師範学校女子部には校友会誌ってのがあって、一高は「乙姫」、師範は「白百合」と呼ばれてた。両校が併置された際、校友会誌も一つになり、両方の名前を合わせて「姫百合」となったんだ」
「なるほど…うちの婆ちゃんも、晋ちゃんの婆ちゃんも、ひめゆり学徒隊の生存者だったよね。もっと色々聞いとけば良かったわ」
「当時の真和志村安里、現在の那覇市安里にあった両校からは、生徒222名と教師18名が南風原の沖縄陸軍病院に動員され、そのうち136名が命を落とした…」
「この辺は、沖縄戦の最後の激戦区だったって聞いたわ。私達の様な学生達が、大人達が始めた争いの犠牲なって死んだのよね。お国のためと言っても、本土から遠く離れたこんな島で、国内唯一と言っていい陸上戦が行われたなんて…やっぱり戦争って許せない。狂ってる!」
いつの間にか2人の頬を涙が流れていた。
いつものことで、珍しいことではない。
まるで全てを知っているかの様に話す晋也。
彼の心に蟠る想いを、多香子は痛いほど理解していた。
「沖縄戦の激戦地であった糸満市には慰霊塔が多く存在し、その中で戦後初めて建てられたのが、ひめゆりの塔なんだ」
「そうなんだぁ…でも嬉しいことでは無いわね」
「そうだね。慰霊碑のほとんどは、近隣の住民らが、一帯に散乱していた遺骨を収拾して造られたものだからね」
その尊い行いに、ただの優しさだけではなく、悔しさや憎しみをも感じる2人であった。
それ故に、本土の人には分からない、戦争とアメリカに対する根強い反魂の思いが、沖縄の人々には今も残っているのである。
「こうしてると、その人達の痛みや苦しみが、痛いくらい分かるんだ」
「確かに晋ちゃんは優しいから、みんな相談に行くよね。私も何度も励まされたし」
凹んでいると、いつも比嘉がそれを察して、的確な言葉をかけてくれていた。
「多香子だって同じくらい、皆んなから頼られてるじゃないか。僕も何度もそのアドバイスに助けられてるし」
こうして支え合って来た2人である。
「さあ、そろそろ次へ行きましょ!」
新垣の声に笑顔を見せ、ひめゆりの塔を後にした。
校章の白梅から「白梅学徒隊」と呼ばれた、県立第二高等女学校の野戦病院衛生看護教育隊。
その犠牲者を偲んで建てられた白梅之塔。
終戦後、真栄里地区の住民が、田畑や道端、丘などに散らばる遺骨を集めて建てた、栄里之塔。
次々とある慰霊塔や慰霊碑を、順番に悼みながら巡る2人であった。
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