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 見れば徐孝緒は二竜の壁画に向かってぬかづいている。やがて、二匹の画竜はゆっくりとその足で一歩また一歩と、壁の内より外に歩み出た。そうして尻尾の先まで現すと、百年の白竜二匹は徐孝緒に向かって低頭した。静かであった。房玄齢以下重臣らは一斉に二竜に向かって深く拝した。胡床に座る太宗は、このとき浮かしそうになる腰を辛うじて抑えたという。  孝緒に向かって白竜は言った。我等、睛を得たり。徐師、我等に睛を与えたり。張師の描いた体に徐師の描いた睛は即してまさに(たが)いなし。我等、(こうべ)を垂れて夫子に拝謝せん。  両白竜の謝意の姿勢に、徐孝緒は叩頭(こうとう)して落涙すること止めどなかった。二竜はそろりそろりと廃寺の門より外界に出ると、力強く空に舞った。なんと勇ましく雅びな姿だろう。二匹の白竜は百有余年にして初めて、その睛に世界を映したのである。人々の耳に、両白竜の天に遊ぶ歌が降ってきた。  ――画竜ついに点睛。我等、壁中に棲むこと百有余年。時の流れは無限にも感じられたが、ついに壁より出でてみれば、いよいよ天は広く大地はどこまでも続いている。また天の青と洋の青はそれぞれ異なり、山には幾種類もの緑があふれている。我、今、体躯を得て四肢を伸ばせば四海を覆えんが如し。今、睛を得て天地を眺めれば、この世は()くも美しい。  天に昇る二匹の白竜の姿は勇壮でありながら慎みを備えていた。その慎みは、すなわち百年の月日の為せる品であろうか。  太宗は、見事の言葉を徐孝緒に与えた。孝緒は揖し、「恐れながら」と申した。「あと一筆」と申すのである。そうして、彼は三年前に自らが描いた壁画の前に立った。  孝緒は己が画竜を見て、「剛毅剛毅」と莞爾(かんじ)して後、言った。睛欠きし画竜の悲しき物語は、この徐孝緒の白竜を以て仕舞いにせん。描かんかな、睛。我が画竜にも、この壮麗なる天地を見せてやらん。  そうしてこの画聖は自身が画竜の目に、そよ風の如く筆を走らせたのである。
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