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 さて、張僧繇が四匹の白竜を描いて百有余年。この廃寺を見物した客の中に、残された二匹の画竜の声を聞いたという者が続出した。その噂は人を経て、ついに太宗の耳に届くところとなった。太宗は先年、北荻(ほくてき)突厥(とっけつ)を屈服させて華夏(かか)四方に威武を示し、国を治めては鼓腹撃壌尭舜(ぎょうしゅん)に劣るところなし。我が経世の間に壁中の神獣が何事か声を発したのも偶然ではあるまい。これ、すなわち吉事である。しかるに相手が壁に描かれた画とあっては此方(こなた)へ参上させるわけにも参らぬ。どれ、(ちん)が足労してやろうかと、(かしこ)くも自らこの廃寺まで行幸し、二匹の画竜と対面された。すると、確かに壁の竜から声がするではないか。 「張師が我らを描いて百年。睛を描かれた朋輩は飛び立ち、残された我らは未だ目も見えず四肢を伸ばせもしない。ついては今、師はご健勝かね」  太宗は張僧繇がすでに没していることを画竜に向かって語って聞かせた。すると画竜は黙し、しばらくして吟じた。  ――張大家すでに亡く、我らは睛を欠いたままこの壁に囚われている。我が身の境遇を嘆いても、睛がないので涙も出ない。例え涙が出ても、この腕は壁に張り付いてそれを(ぬぐ)うこともできない。  太宗は二匹の画竜の嘆じるを聴いて、それは憐れに思った。同時に、この画竜が壁より出でて天に昇る様を見てみたいとも思い、早速、尚書僕射(しょうしょぼくや)房玄齢(ぼうげんれい)に策を問うた。  四海の人を知るにその右に出る者なしといわれた玄齢(いわ)く、呉に人有り。姓を(じょ)、名を孝緒(こうしょ)といい、人となりは謹厳実直、まだ若いが曹不興(そうふこう)顧愷之(こがいし)に傾倒し、その壁画の技法は同郷の張僧繇に通ずるものありと。  太宗は玄齢の推挙に耳を疑った。それと言うのも数多(あまた)いる臣下の中で、その画才最も良しと誉れの高い閻立本(えんりっぽん)の名が出るものとばかり思っていたからである。それが、なんと野の画書きの名が挙がろうとは。しかし賢臣房玄齢の申すこととて、すぐに徐孝緒なる者を召し出した。  徐孝緒は長身痩躯で顔色悪く、はたしてこの青箪(あおたん)の如き若者が大家張僧繇の画竜に睛を点ずる大儀をやってのけられる人物なのか、太宗は判然としなかった。そこで僧繇が壁画の隣の壁を新たにし、試験と称して徐孝緒に、その壁に竜を描かせることを命じた。
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