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 張僧繇の壁画の横に自身の竜を描くことになった徐孝緒は、その気勢の盛んなること(はなは)だしかった。徐孝緒は貧家の出である。貧しい中、自身に十分な画の修業の機会を与えた父母に対して彼の報恩謝徳の意志は固く、この偉業を何としてでも成し遂げて身を立てんと望んでいた。  しかしその意気込みとは裏腹に、彼は壁を前にしていつまでも筆を取ることができなかった。視界の端に張僧繇の見事な画竜がちらつくのである。見まいとすればするほど、徐孝緒は一介の画家として画聖の壁画を無視することができず、どうしても気になって仕方がないのである。  孝緒は観念して、僧繇が画竜を見た。画聖僧繇の描いた二匹の白竜は、見る者にその体躯(たいく)が壁より盛り上がって迫るが如き立体の錯覚を与え、寄って見ればその彩色(さいしき)巧みで深く、例えば黒色は深井戸の奥に広がるそれのようであり、転じて二、三歩後ずさって眺めれば、その画は平面の壁の中に底知れぬ空間が広がっているのではないかと疑わせもした。なおかつ百年の月日がこの画の墨と顔料をいい塩梅に枯れさせ、その(さび)の気配はいよいよ玄妙、画の見せる美の極致を醸すに及んでいた。  このように大家が描き、年月の風情すら加わった画を前にして、徐孝緒はただ立ち尽くしていたが、やがて彼は己が担当する壁の前に片膝をついた。時が経つほどに僧繇と自身との差を痛感し、その明かな差から、自身が歩んできた画家としてのこれまでの道が正しかったのかどうか疑問を持つに至り、とても立っていられなくなったのである。そこへ、それまで口をつぐんでいた画竜が初めて彼に声を発した。 「なぜ描かぬのか」 「ただ張大家の表された夫子(ふうし)の御姿を見るにつけ、描けぬのでございます」 「怖いのか。張師と比べられ、その足元にも及ばぬと評されるかもしれぬことが」 「仰せの通りでございます。どうしても視界の端に見事な両夫子を捉えて、張画聖の画を模倣してしまうように思われてなりませぬ」 「描く怖さを知ることこそ画の道の深淵の入り口に立った証である。画の道は技多くして技に頼って味わいなく、色巧み細やかにして色を振るえば基調なし。若人(わこうど)、今は悩むがいい。その後は(なんじ)次第である」  そう言うと、画竜はもはや口を開くことはなかった。
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