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 昔、唐は太宗の()。江南、白下(はくか)県の廃寺に二匹の白竜を描いた壁画があった。この白竜はさらに(さかのぼ)ること百年、(りょう)の武帝の頃に張僧繇(ちょうそうよう)の描いたものである。  画竜は元、四匹であった。当時、僧繇は四匹の白竜の姿を描き上げながら、その目に(ひとみ)を入れずしてこの壁画の筆を収めた。寺が壁画を公開すると、これを見た人々は竜の目に睛のないことを当然の不服として指摘した。その声に僧繇は言った。我が竜に睛を点ずれば、たちどころに壁より出でて天に昇っていくだろう。(ゆえ)にそのままにしてあるのだと。  人々はこの言を荒唐無稽なものとして受け取りこそすれども得心する者はおらず、やがて指摘は糾弾に変わり、その口々から僧繇を虚言者として(おとし)める言葉が出るに至り、如何(いか)な画聖張僧繇といえども画竜の目に睛を入れなければ、どうにも収まりのつかぬ趨勢(すうせい)となった。  しかし僧繇はこの会心の白竜を手放すことを惜しんだ。そこで画竜四匹のうち二匹にだけ睛を描けば、二竜たちまち咆哮(ほうこう)を上げて雷雲を呼び、壁から抜け出て寺の天井に風穴を開け、稲光と共に遥か飛び去った。あとには睛のない二匹の白竜の画が残った。武帝は壊れた寺を修理させ、その後梁が滅び去っても、時の天下を治めし者はそれぞれこの壁画の竜の見事なことに感嘆し、この寺を打ち壊さずにおいたのである。
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