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最近、ロイは一人でどこかに行くことが多い。何をしているのだろうと思いつつ、誰にでも一人になりたい時はあるし、敢えて詮索しないようにしている。  今日もロイは一人で出かけて行った。俺はその後ろ姿を、ミサと廊下の窓から眺めていた。 「ロイ、最近出かける時、楽しそうだよね」  ミサは、ロイが歩く姿を見て、そう言った。「そうかな? 」と俺は答えた。ロイの様子は普段と変わらないように見える。 「ユタには楽しそうに見えないんだ」  ミサはそう言って首を傾げた。ミサは鋭い。どんな些細な変化も見逃さない。俺はそう思っている。ミサが楽しそうだと言うのなら、ロイは外出を楽しんでいるのだろう。 「あの様子じゃあ、そろそろかもな」  突然ソムの声が後ろから聞こえてきた。こっちにくる気配は一切感じなかったから、少しびっくりしてしまった。ミサも、「急に話しかけないでよ」と呟いていた。 気を取り直して、俺は「そろそろって何が? 」とソムに問いかけた。 「あいつが人間になる時だよ」  ソムはロイを見て言った。俺はミサと顔を見合わせた。ロイがもうすぐ人間になる。何を根拠にそんなこと言っているのだろう。ソムの何でも見透かしているような目付きに、妙に腹が立った。 「なんでそう思うのよ? 」  そう言うミサの声にも、どこか棘があるように感じる。ソムはそれを気にする様子も見せずに微笑んだ。 「村にいた頃、あいつ——ロイに似たヤツがいたんだ。顔が似てるっていうわけじゃない。考え方とか、雰囲気がそっくりだった。……そいつは、人間になったんだ」  ソムは、その時のことを詳しく話し始めた。幸食鬼が人間になるためには、水色の『核』を食べなければならないこと。水色の『核』は、普通の『核』と違って、滅多に持っている人間がいないこと。水色の『核』を持った人間は幸食鬼と話せること。ソムの話には、知らなかったことが溢れていた。 「ロイは水色の『核』を持っている人間を見つけてるだろうな。それだけじゃなくて、仲良くなってるかもしれない」  まさか、と思った。ロイが、人間になりたがっているかもしれないということはわかっている。でも、実際にロイが、もうすぐ人間になるかもしれないなんて考えたくもなかった。いや、そもそも、ロイが既に水色の『核』を持った人間を見つけたというのは、ただのソムの推測だ。水色の『核』を持っている人間は滅多にいないのだ。そんな簡単に見つかるわけがない。  それに、本当にそんな人間はいるのだろうか。幸食鬼の姿を見ることが出来る人間がいるなんて、やっぱりちょっと信じられない。 「そんなわけないって思ってるだろ。ロイが水色の『核』を持った人間を見つけてるわけないって。そもそも、そんな人間がいるわけない、とも思ってるんだろ」  ソムは俺の頭の中を覗いているかのように言った。 「まあ……そうだな」  俺はそう答えた。ミサも頷いている。 「そりゃ、普通はそう思うよな」  ソムがそう言うと、ミサが「じゃあ、どうしてソムは、ロイが水色の『核』を見つけたと思うわけ? 」と言った。 「似てるんだ。あいつとロイは。そっくりなんだ。……あいつも、急に外出が増えたんだよ。ある日俺は、あいつがどこで何をしてるのか気になって、あいつの後を付いて行ったんだ。そしたら、あいつは人間と楽しそうに話してた。俺たちといる時よりも、自然な笑顔だった。あいつの外出は更に増えていって、時間も長くなっていった。そして、ついにあいつは出かけたまま、帰ってこなくなったんだ」  ソムの瞳が悲しみに飲み込まれて、光を失った気がした。 「最初は、しばらくしたら帰ってくると思ってたんだ。だけど、どんなに待ってもあいつは帰ってこなかった。そのうち、村では、あいつが人間になったっていう噂が流れるようになった」  ソムがそう言うと、ミサが「二人は楽しそうに話してたんだよね。『核』を食べられたら、『核』の持ち主は、幸せを感じられなくなっちゃうじゃない。いくら人間になりたかったからって、友達になった人の『核』って食べられるものなのかな」と言った。 「それは、俺もよくわからない。たぶん二人の間には、二人にしかわからないことがあったんだろう」  ソムはそう言って、寂しそうな目をした。  りりり、という虫の声が、廊下に僅かに残っていたソムの声の余韻をかき消した。ふと窓の外を見ると、空は抜けるような青の中に、淡い赤を溶かしている。束の間、静寂が訪れた。 「俺は、一度だけ人間になったあいつを見かけたことがある」  ソムのその言葉が、静寂を破った。 「俺は、思わずあいつに声をかけたよ。だけど、あいつは俺の方をちっとも見ない。その時、俺は思い出したんだ。あぁ、人間に幸食鬼の姿は見えないんだったって。もう、話せないんだって思った。こんなことになるんだったら、もっとあいつと本音で話しておけば良かったって思った。だけど、もう遅かったんだ」  その人間になった幸食鬼とソムは、友達だったのではないか、とソムの話を聞いて、俺は思った。それと同時に、こんな景色が浮かんできた。俺は、少し先を歩くロイに声をかける。でも、ロイは全く反応しない。俺は諦めずに声をかけ続ける。すると、ロイは俺の方を振り返って笑うのだ。そして、お互いに駆け寄っていく。もう少しでロイに手が届く、と思ったところで、ロイは俺の横を通り過ぎて行ってしまう。そして、ロイが笑顔を向ける先には、人間がいる——。  そんなの、耐えられないと思った。ずっと一緒にいた友達が、違う世界に行ってしまうなんて、あんまりだ。ソムは、どんなに悲しかっただろう。 「あいつとロイは本当に似てるんだ。だから、俺はロイもあいつと同じ道を辿る気がしてならないんだ」  ソムが、俺の目をじっと見て言った。 「引き留めるなら、今が最後だと思う」  ——ロイと話さないと。  俺はソムの言葉を聞いてそう思った。 もうすぐロイが人間になってしまうなんて、俺たちの取り越し苦労かもしれない。でも、それならそれで良い。後悔だけはしたくない。 「ユタ、行こう」  ミサの言葉に、俺は頷いた。
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