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僕はユタとミサのもとに、ゆっくりと歩いて行った。後ろから、夕日が僕の背中を押している。 「ありがとう」  僕は二人に言った。僕たちの間を優しい風が通り過ぎて行った。 「幸せとは何か。きっと、ロイならわかる」  ユタがそう言った。 「私たちは、これからも繋がってる」  ミサの言葉に僕は頷いた。  僕は二人に背を向けて坂を上っていった。その間にも、三人で過ごした思い出は、僕の中に流れている。  何だか、もう二度と会うことがないというのが信じられなかった。  僕はこれから人間になる。そして、自分の目で確かめるのだ。人間のしあわせとは何なのか。  僕は、後ろを振り返らなかった。そして、もう一度心の中で二人に「ありがとう」と言った。  晴は、僕たちをそっと見守ってくれていた。 「行こう」  晴は僕に言った。僕たちは、石段を上り始めた。鳥居は沈みかかった夕日に照らされて、僕たちを待っている。晴の手が僕の掌に滑り込んできた。僕はその温もりをそっと握り返した。 鳥居を潜ると、晴が言った。 「ロイ君、さっき話してくれたでしょ。ロイ君が『核』を食べられなくなった理由」 晴は真剣な目をしている。 「あの女の子の『核』を私に見せてくれないかな? 」  僕は、あの夜に奪ってしまった『核』を取り出した。『核』の美しさは全く褪せていない。それが切なかった。晴が「綺麗」と呟くのが聞こえた。 「ロイ君。私の『核』をあげる代わりに、この『核』を私に譲ってほしい」  今までにない緊張が全身を走るのを感じた。 「私があの女の子の代わりに、この『核』でしあわせになりたい」  晴の「考え」はこれだったのか、と思った。 「でも、大丈夫かな」  僕は不安だった。他人の『核』で晴がしあわせを感じられるかどうか、僕にはわからないからだ。もし失敗したら。そう考えるとやっぱり怖い。 「大丈夫だよ」  晴は静かに言った。晴の黒い瞳は、全てを包み込んでくれるような優しい光を湛えている。大丈夫。僕は、晴のその言葉を信じてみようと思えた。 「じゃあ……いくよ」  僕がそう言うと、晴は頷いた。  僕は晴の『核』を見た。それは、空を連想させるような透き通った水色をしている。僕は、晴の『核』にそっと触った。これを食べれば、僕は人間になる。僕は気持ちが昂っていくのを感じた。僕は、そのまま晴の『核』を取り出す。『核』は心の中から、するりと出てきた。それは、久しぶりの感覚だった。晴は一瞬、魂が抜けたような顔をした。僕はすぐに、あの少女の『核』を晴の心に入れた。『核』はじんわりと晴の心に馴染んでいく。そして、元から晴の『核』であったかのように、橙色に輝き始めた。 「大丈夫? 」  僕は恐る恐る訊いた。 「大丈夫。……ロイ君、その『核』を食べて」  そう答えた晴は、普段と全く変わらない様子だ。僕は、ほっと胸を撫で下した。 「晴。ありがとう」  僕がそういうと、晴は笑顔で頷いた。  僕は、晴の『核』を口に入れた。噛んだ瞬間、ガリっという感触がした。その感触が妙に懐かしく思えて、僕は一噛み一噛みを大切にする。『核』を噛み砕く度に、エネルギーが溢れ出してきて、僕の身体の中に滑り落ちていく。その感覚をじっくり堪能してから、最後の一欠片を飲み込んだ。  『核』を飲み込んですぐは、特に僕に変化は起きなかった。まだ、晴の心の中で橙色に輝いている『核』を見ることも出来る。水色の『核』を食べれば人間になる、というのは嘘だったのだろうか、と思い始めた時だった。晴の心にある『核』の輪郭がぼやけだした。そして、段々、薄っすらとしか見えなくなってきた。  ——もうすぐ人間になるんだ。  感覚でそれがわかった。僕はその感覚に身を委ねる。人間になったら、まず、何をしよう。僕の心は、希望で満たされていった。    それなのに。  もう、大丈夫。そう思った矢先に、それは起きた。   「え? 」  思わず僕は声に出して言っていた。 突然、晴の『核』に小さなひびが入ったのだ。そのひびは『核』全体に広がって、『核』は砕けてバラバラになっていく。  それが、僕の幸食鬼としての最後の景色だった。  僕がどんなに目を凝らしても、もう『核』を見ることは出来なかった。 「晴! 」  僕は、慌てて晴を見た。そこには、いつもの晴はいなかった。今の晴には、全く表情がない。まるで心が無いような表情をしていた。 「……誰? 」  晴の言葉を聞いて、僕は凍り付いた。誰? その言葉は誰に向かって言っている? 僕は、懸命にその答えを考えないようにする。だけど、僕の努力は空しく崩れ落ちた。 「……どうして、私の名前を知ってるの? 」  晴は不安そうに言った。  夜に近づいて薄暗くなった境内に、強い風が吹き込んできた。その風は木々をざわざわと揺らしている。木の葉が擦れ合う音は、寒々しかった。 ——僕はまた、とんでもないことをしてしまった。  僕はその絶望の中で、呆然と晴を見つめていることしか出来なかった。
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