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ユタが『核』を食べ終わると、僕たちは親子が住む一軒家から立ち去った。
そして、この町の幸食鬼たちが住処にしている、廃校になった小学校へと帰った。
校門を潜ると、なじみ深い空気が僕を包んだ。僕はあの親子のことを忘れようと軽く頭を振った。
「まぁ、これでも食って元気出しなって」
小学校の屋上で、ユタが弁当箱を差し出して言った。そこには、少し形が崩れた卵焼きが入っている。
「これもユタが作ったの? 」
僕の質問に、ユタは誇らしげな顔をして答えた。
「まあね」
ユタは、結構な頻度で料理をする。幸食鬼は『核』を食べて存在を保っている。人間の食べものを食べる必要はない。それなのに、日々メニューのレパートリーを増やすことに全力を注いでいる。そして、何故か作った料理は自分が食べずに、僕に食べさせる。そして、僕に味の感想を求めるのだ。
「今日は、ちょっといい卵を“分けてもらった”んだ」
ユタは全く罪悪感など抱く様子もなく言う。
幸食鬼の姿は人間には見えない。だけど、物には触れることが出来る。その特性を利用して、人間から物を“分けてもらう”のは、幸食鬼の世界ではよくあることだ。反対に、僕たちは壁をすり抜けるなんてことも出来る。幸食鬼は人間の恨みや憎しみなどの負の感情が集まって生まれた、概念に意思が芽生えたような存在だ。自らの存在感を強めたり弱めたりすることで(たぶん、人間にはどうしたって理解出来ない感覚だと思う)そこにある物に干渉するかどうかを決めている。
いつもより質の良い卵を“分けてもらった”らしいユタだけど、実はあまり料理が上手くない。かと言って、食べられないほど不味いものは作らないので、味の感想を言うのが結構難しい。
「ほら」
ユタは期待を込めた目で僕を見つめている。こんな目をされたら、いらないなんて言えるわけがない。僕は差し出された弁当箱から卵焼きを一切れ取り出して、それを一口食べた。
「どう? 」
卵焼きは不味くはなかった。甘さの中にも、しっかりと出汁の風味があってバランスの良い味付けだ。だけど、何か硬いものが紛れ込んでいる。正直、それが卵焼きの食感を損ねているように感じた。
「味は不味くはないけど……なんかジャリジャリする」
ユタも卵焼きを一口食べた。
「あ、卵の殻、入っちゃってたみたい」
ユタはヘラヘラと笑いながら言った。僕もつられて笑った。ユタが作る料理はいつもジャリジャリしている。今回は卵の殻。しじみの味噌汁を作った時は砂が入っていたっけ。
「学ばないなぁ」
僕はそう言いながらも、残りの卵焼きに手を伸ばした。食べ物を無駄にしようとは思わない。
「……明日も一緒に来ないか」
ユタの言葉に、僕の笑顔はしぼんでいった。
「明日は行かない」
僕は、はっきりと答える。口の中にわずかに残った卵の殻がやけに気になった。
「幸せって何だと思う? 」
ユタがぼんやりと空を見つめながら言った。僕もつられて空を見た。空はさっきよりも明るく淡い色になっていたけれど、結局、この色を何色というのか僕にはわからない。
「わからない」
僕は率直に答えた。
「俺もわからない。幸せとは何かと聞かれてまともに答えられるヤツがいたら会ってみたい」
ユタはそう言って、僕の目を覗き込んだ。ユタの目の色と、今の空の色はそっくりだと僕は思った。
「幸せっていうのは、はっきりしないものなんだ」
ユタは、一体何を言い出すのだろう。僕は、胸の奥がさざめき立っていくのを感じた。
「人によって捉え方も違う。そんな曖昧なものだからこそ、きちんと向き合わないといけない」
ユタは僕にどんな表情を向けるべきか迷っているような様子だ。それでも、僕から目を逸らさずに言った。
「向き合うことと、逃げることは違う」
ユタの目を見ていられなくて、僕は空を見上げた。
逃げている。
その言葉が、耳から離れない。
僕は、逃げている?
僕はただ、人の幸せを奪いたくないだけだ。
こんなに苦しいのに。
「僕は……」
僕は逃げてなんていない。どうしてわかってくれないんだ。
その言葉が、喉に引っかかっている。
「何してるの? 私も混ぜてよ」
後ろから聞こえてきた声に、救われたと僕は思った。
声の主 ——ミサは、ユタが持っている弁当箱を目ざとく見つけると、卵焼きを一切れ指で摘まんだ。
「貰っていい? 」
ミサは、僕たちに言った。
「別にいいけど」
ユタは、苦笑いしながら答える。手に取ってから貰っていいか聞かれても、と僕も笑った。二人の間にある空気がふっと軽くなっていくのが、僕にはわかった。
「じゃあ、いただきまーす!」
ミサは、卵焼きを口に入れた。それも一口で。気持ちのいい食べ方だった。
「……ん? 」
卵焼きを口に含んだまま、ミサは首を傾げた。モグモグと口を動かしながら不思議そうな顔をしている。
「卵の殻が入っちゃったんだ」
ユタはミサに言った。ミサは卵焼きを飲み込んで言った。
「45点」
「うわ、微妙」
ユタがわざと悲しそうな声を出す。ミサはにやりと楽しそうに笑う。そんな二人の様子を見ていると、心なしか気持ちが軽くなっていく。
「もう一切れ頂戴」
ミサが卵焼きをもう一切れ手に取った。
「45点付けといてもう一切れ食うなんてなぁ」
ユタが僕に向かって言う。
「卵焼きに罪はないもん。赤点じゃなきゃ食べるよ」
ミサの明るい声が屋上に響いた。
僕たちは、夜が明けきるまで屋上にいた。こんな時間が永遠に続けばいいのに、と僕は思った。
朝日に染まった町はとても綺麗だ。白い光に包まれて、とても清々しく見える。朝の空気を胸いっぱいに吸い込むと、何だか爽やかな香りがした。
夜に同じ町を見た時は、暗くて寂しい町だと思ったのに不思議だ。
僕はしばらく町を眺めていた。
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