1/1
前へ
/16ページ
次へ

あの頃、僕とユタは、よく勝負をした。ちょっとしたゲームから、足の速さまで、色々なことを競っていた。特に理由があったわけではない。ただのちょっとしたじゃれ合いのようなものだ。  何をやっても、僕はユタに負けていた。ユタは本気じゃなかったと思う。だけど、どんくさい僕は何をやっても駄目だった。身体の動きも、頭の回転もユタと比べると、全てがとろいのだ。でも、僕は別に気にしていなかった。ユタとの勝負に負けたところで、僕は何も失わない。それに、しっかり者のユタに、ぼんやりしている僕が付いていくという関係性は妙に落ち着いた。基本的に、僕は向上心というものがないのだ。  あの夜、僕は『核』を食べたいだけ食べて帰ろうとしていた。満たされた気分で歩いていると、明かりが漏れている窓が目に入った。普段なら、深夜なのにまだ起きているのか、と思いながら素通りしていたはずだ。  だけど、その日は違った。光る窓の向こう側で、どんな人間が何をしているのかが気になって仕方がなくなったのだ。理由はわからない。夜の闇の中に輝く白い光が、僕を誘っているように感じた。  ちょっと覗いてみるか。 僕は、好奇心に負けてその家の中に入った。だけど僕は、その日はもう『核』を食べるつもりはなかった。既にその日は充分に食べていたし、ほんの少しだけ、まだ起きている人間の様子を見られればそれで良かったのだ。僕は、真っ直ぐに明かりが付いている部屋を目指した。  その部屋の主は、少女だった。  中学生くらいだろうか。少女は、何やら忙しそうに無機質に光る板を指で叩いていた。確か、スマートフォンという名前のその板には、絶えず言葉が飛び交っていた。  きっと友達と話をしているのだろう。楽しそうな言葉や絵が画面を流れていった。少女は、眠そうに欠伸をした。だけど、友達との会話は終わらないようで、いつまで経っても少女の指は動いている。 夜遅くまで何をやっているのかと、気になってこの部屋まで来てみたけれど、部屋の主は友達とスマートフォンで話しているだけだったから、僕は拍子抜けした。相変わらず、少女は眠そうだ。そんなに眠いなら、寝ればいいのに。次の日に学校で会って話せば良いじゃないか、と僕は思った。  僕は、キリがなさそうだから、部屋から立ち去ろうとした。その時、僕はふと思いついて少女の『核』を見てみることにした。見てみるだけ。そう思って、僕は少女の背中を見つめた。ほんの暇つぶしのつもりだった。  だけど、『核』が目に入った僕は息を呑んだ。  そこには、太陽があった。少女の心の中で、熱を持った輝きがめらめらと大きな波を作っていた。それは、あまりに不安定で、ちょっとでもバランスを崩せば壊れてしまうような美しいエネルギーが、どうすれば良いのかわからない様子で溢れていた。  今まで、『核』を、見てこんなに惹きつけられたことはあっただろうか。  —–欲しい。この『核』を、自分のものにしたい。 僕は、その『核』を見て、そう強く思った。その「欲しい」は、その『核』が持つ儚い美しさに惹かれたというだけではなかった。ユタは、こんなに美しい『核』を見たことがないはずだ。もし、この『核』をユタに見せたら、ユタはどう思うだろう。きっと、自分のものにしたいと思うはずだ。だとしたら、僕にもユタが欲しいと思うものを手に入れられたということになる。  —–ユタに勝てるかもしれない。  勝ち負けなんてどうでも良い。僕は、基本的には向上心がない。しっかり者のユタに、ぼんやりしている僕が付いていく。それが、心地良い関係。  そう思っていたはずなのに、僕は気づけば、少女の『核』を手にしていた。掌の中で、燃えるように輝いている橙色の『核』を見つめながら、僕は、いつもの僕を失っていた。  僕は、興奮に包まれたまま小学校へ帰った。  その『核』を見た、ユタは驚いた様子だった。 「すげぇな。こんなに大きくて、こんなに質が良い『核』は初めて見た」  食い入るように『核』を見つめているユタを見て、僕はすごく愉快だった。ユタが『核』を褒めれば褒めるほど、僕は自分の価値が上がるような錯覚を覚えた。 「で、なんで食わずに持って帰ってきたんだ? 」  ユタが、不思議そうに言った。 「こんなの初めて見たし。ユタにも見せようと思って」  僕がそう言うと、ユタは屈託のない笑みを浮かべて言った。 「そっか。ありがと。良いもん見たわ。こんなの滅多にお目にかかれないんだから、大事に食えよ」 その言葉を聞いた瞬間、僕の心に衝撃が走り、信じられない、という思いが僕の心を満たしていった。ユタは、ちっとも『核』を欲しそうな素振りを見せなかったのだ。どうして、そんなに平然としていられるのか、僕にはわからなかった。 「僕が食べちゃっていいわけ? ユタはこの『核』食べたくないの? 」  僕はそう言わずにはいられなかった。 「そりゃ、食ってはみたいけどさ。ロイが見つけたんだから、ロイが食えよ。俺は欲しいものは自分で手に入れるから」  ユタのその言葉を聞いて、僕は『核』をそっと服のポケットにしまった。いや、しまう以外のことが出来なかったのだ。ユタは良かったな、という風に微笑んでいる。それを見て、僕は何とも言えない虚しさを感じた。  『核』は、いつまで経ってもポケットに入ったままだった。あれだけ欲しいと思ったのに、そんなに魅力を感じなくなってしまったのだ。さっさと食べてしまえば良いのかもしれないけれど、何となくそんな気分にならなかった。  そうしてしばらくするうちに、僕は『核』のことを忘れていった。    ポケットの中に『核』があるということ以外、特に変わったこともなく日々は過ぎていった。ユタとは相変わらず勝負はしていたけれど、やっぱり僕が全部負けていた。僕も、あれからユタに勝ちたいと思うことはなかった。  ユタやミサとくだらないことで笑う日々。それこそが、僕の日常だった。  だけど。 ガチャン、と何かが割れる音と悲鳴のような声によって、僕の日常は僕の中で崩れていった。  その音と悲鳴が聞こえた時、僕はユタとミサと一緒に町を歩いていた。なぜ町を歩いていたのかは、もう忘れてしまった。それぐらい、その音と悲鳴は夕飯時の町には似合わない不穏な空気を感じさせた。  僕は、胸騒ぎがした。悲鳴が聞こえてきたのは——ポケットにある、『核』の持ち主の少女の家だった。  僕は、走り出していた。言いようのない不安が広がっていった。 「ねえ、どうしたの? 」 「おい、どうしたんだよ」  ミサとユタの声が後ろから聞こえた。だけど、僕はそれには答えずに少女の家の中に入った。騒ぎはリビングで起こっていた。そこには、あの少女とその両親がいて、少女と母親の間には、割れた皿の破片が散らばっている。それが、その場の異常さを物語っていた。 「なんてことをするんだ! 」  父親が、少女を怒鳴った。母親は、「そんなに怒鳴らないで」と言いながら、父親に縋りついている。母親はすでに泣きだしているのに、当の少女は冷ややかな目で父親を睨みつけていた。 父親は母親と少女を見て、髪を掻きむしった。それを見て母親は、今度は少女に向かって言った。 「レイ。どうして、マホちゃんにあんなに酷いことをしたの? ……友達だったんでしょう? 」  少女は、母親の問いかけを無視した。母親がもう一度問いかけると、少女は、ぼそりと呟いた。 「うるさい」  その言葉に、場が凍り付いた。僕は、どうすることも出来ずにただ立ち尽くしていた。この場を離れるなら、今だ。僕の直感がそう告げていた。だけど、僕の足は動かなかった。不吉な予感だけが僕の頭を駆け巡っていた。 「お前は、自分がしたことをわかっているのか? 」  父親が少女に言った。少女は、自分の足元を見て黙っていたけれど、諦めたように顔を上げた。 「……そんなに聞きたいなら教えてあげる。私がマホをいじめたのは……いじめたって言われるのも納得いかないけど。マホをいじめたのは、マホが私を馬鹿にしたから」  少女の話し方は段々勢いのあるものになっていった。 「マホは、おっちょこちょいで何をやってもダメなくせに、いつも楽しそうだった。成績だって、私よりずっと悪いのに、呑気に笑ってるの。それで私に言うの。「そんなに落ち込まなくていいじゃん。レイは私よりずっと良い点数取ってるんだから」って。なんで私がマホなんかに慰められなきゃいけないの? 部活だってそう。私が必死になってコンクールで優秀賞を目指してたのを知ってて、「佳作でもすごいよ。私なんて、参加賞しか貰えなかったよ」とか言うんだよ。しかも、へらへら笑って。マホはいつも笑ってた。何がそんなに面白いわけ? 私が失敗したと思って落ち込んでるのに、どうして笑うの? 馬鹿にしてるとしか思えない。それに、ちょっと部活で嫌がらせされたからって勝手に死ぬとか迷惑なんだけど。あーあ、私の人生、何も良いことないじゃん。何やっても楽しくないし。もう終わったんだけど」  少女は、そう言って、リビングを出ていった。階段を上る足音に続いて、ドアが閉まる音がリビングに響いた。少女がいなくなったリビングは、緊張感の代わりに虚しさが漂っていた。少女の両親からは「どうして」「どうしたら……」という言葉が聞こえてきた。 ——何やっても楽しくないし。もう終わったんだけど  その言葉を聞いた時、僕は大変なことをしてしまったと思った。  もし、『核』を取られたことで幸せを感じられなくなってしまったのだとしたら。  それが原因で幸せそうな人間を傷つけたのだとしたら。  僕は二人の人間の人生を奪ってしまったことになる。  しかも、ユタに勝ちたいという身勝手な理由で。 「ロイ……」  誰かに名前を呼ばれた気がして後ろを見ると、ユタとミサが立っていた。 「ロイは悪くない」  ユタとミサはそう言って、僕のそばにいてくれた。二人は、この場の雰囲気から何が起こったのかを察したようだった。でも、二人は何も知らない。だから、僕に優しい言葉をかけてくれるのだろう。  僕は、優越感に浸るためだけに取った『核』がポケットに入っていることを二人に言うことは出来なかった。 それから、僕は『核』を食べられなくなった。
/16ページ

最初のコメントを投稿しよう!

16人が本棚に入れています
本棚に追加