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気が付いたら、通ったことがない道を歩いていた。昔のことを思い出しながら歩いていたせいで、周りを全く見ていなかったのだ。とりあえず辺りを見回すと、急な坂道に沿って、昔ながらの瓦屋根の一軒家が並んでいた。何だか古風な雰囲気のある通りだ。そして、長い石段。  神社だ。  僕は神社に入ったことがなかった。何となく近寄りづらい雰囲気があるし、気味が悪いからだ。  僕は、神社を素通りして小学校に帰ろうと思ったけれど、帰れないことに気が付いた。僕は今、道に迷っている。そう自覚すると、じんわりと心に不安が広がっていく。自分がどこにいるのかわからない。その事実が心細かった。  どうにかしないと、と思った時、ふと神社の石段が目に入った。神社は丘のような周りに比べて高い場所にある。上まで上れば、結構な高さになるのではないか。高い所から町を見下ろせば、自分のいる位置がわかるかもしれない。  そうなれば、とにかく石段を上りきるしかない。神社は気味が悪いけれど、鳥居を潜らなければ良いのだと僕は自分に言い聞かせた。 石段を上りきると、目の前に鳥居が迫ってきた。鳥居の奥は外の世界とは隔離されたような静けさがある。じっと鳥居の向こう側を見つめていると、どこか別の世界に吸い込まれてしまいそうな気がして、僕は鳥居に背を向けた。  僕は、町をよく見ようと背筋を伸ばした。  カシャ。  突然、顔の近くで音が鳴った。僕は、驚いて音がした方を見た。 「え……? 」  そこには、カメラのレンズがあった。カメラを持っているのは、制服を着た少女だ。雰囲気から中学生ではなく、高校生だと僕は判断した。 「あ、ごめん」  その女子高生は、にっこりと笑いながら言った。雲一つなく晴れ渡った青空が似合うような、きらきらとした笑顔だった。思わず、その笑顔をじっと見てしまった後で、僕は周りを見た。  境内からは人間の気配は全く感じられなかった。ただ、シンと静まり返った独特の空気を醸し出している。 僕たち以外に誰もいない。 それがわかった時、僕は叫びだしそうになった。だけど、僕の勘違いかもしれない。とにかく落ち着かなければ。そう自分に言い聞かせて、僕は女子高生に声をかけた。 「……僕に言ってる? 」  答えが返ってくるわけがない。幸食鬼の姿は人間には見えないのだから。 「他に誰がいるの? 」  女子高生は真っ直ぐに僕を見ていた。  ——見えている。 「……君、人間、だよね? 」 「なんじゃそりゃ。私が人間以外に見える? 」  会話が成立している。僕は確信した。これは、確実に見えている。僕は、驚きのあまり思考が停止してしまった。こういう時、どうすれば正解なのか誰かに教えて貰いたい。  幸食鬼の見た目は、人間とそっくりだ。取りあえず、僕は人間のふりをしておくことにした。  カシャ。  また、シャッターを切る音がした。 「あ、また。ごめん。思考停止中ですっていう顔してたから、面白くて撮っちゃった」  女子高生の表情に反省の色が全くないのが多少不愉快だけれど、彼女の無邪気な表情を見ていると、何だか憎めない。いや、そんなことを気にしている場合ではない。それ以上に、気になることがある。 「僕、ちゃんと写ってるの? 」  幸食鬼は写真に写るのか。そんなことを気にしている幸食鬼は世界に僕しかいない自信がある。 「綺麗に写ってるよ。全くブレないで撮れた。じゃーん! 」  女子高生は、カメラの画面を僕に見せた。まず、最初に見せられたのが、僕の目がアップで写っている写真だ。確かに、ブレないで写っている。だけど僕は思った。……なんで目なんだ? 「私、こんなに綺麗な瑠璃色の目、初めて見たから、思わず撮っちゃった。私、小さい頃から青い目に憧れてるんだ。いいなぁ、羨ましい」  僕は、自分の目の色を褒められたのは初めてだったから、何だか照れ臭くなった。 「……じゃあ、次は……」 そう言って、カメラの画面を見つめる女子高生の黒い目は綺麗だった。僕は「君の目も綺麗だよ」と言いたかったけれど、そんなこと恥ずかしすぎて言えるわけがない。僕は、ただ黙って彼女の目を見つめていた。 「この顔、何回見ても笑っちゃう」  カメラの画面には、間抜けな顔をした僕が写っていた。思考停止中に撮られた写真だ。「君の目も(以下省略)」なんて言わなくて良かった。もし言っていたら、消すことの出来ない黒歴史を創造していたところだった。 「私、ハル。晴れるって字で晴」  僕が恥ずかしさに飲み込まれていると、女子高生が言った。 晴。それが彼女の名前らしい。彼女にぴったりの名前だな、と思った。 女子高生——晴は、僕のことをじっと見つめている。その目は、「あんたも名乗りなさいよ」と言っている気がした。 「ロイ」  晴の視線に従って、僕は名乗った。何だか不思議な気持ちだ。本来なら言葉を交わすことがない人間と、自己紹介をし合っている。誰も開けなかった扉を開けてしまった時のような、高揚感と罪悪感が入り混じった感情が沸き上がってくる。 「他にどんな写真撮ってるの? 」  僕は、思わずそう言ってしまった。自分の中に、晴のことをもっと知りたいという気持ちがあることに、僕は戸惑った。僕は幸食鬼だ。人間の幸せを奪う存在である僕が、人間と距離を縮めて良いのか。まだ、何も答えが出せていないのに、言葉だけが先に出てしまう。 「嫌じゃなかったら、見せてほしいな」  僕の言葉に、晴は驚いたような顔をした。 「……見てくれるの? 私の写真を? 」  僕が「うん」と言った瞬間に、晴は僕の手を握った。僕は、その勢いに驚いてしまった。 「私の写真を見たいって言ってくれる人、あまりいないんだ。だから、すごく嬉しい。好きなだけ見てよ」  晴はそう言って、僕の手を引っ張って鳥居を潜った。あれだけ怖いと思っていたのに、あっけなく潜れてしまった。  僕たちは、写真を見ながら、拝殿の階段に座ってたくさん話した。この町の高校の二年生で、写真部にはいっていること。将来はプロの写真家になりたいけれど、写真はあまり周りから評価されていないこと。晴は、そんなことを話してくれた。 「部活の皆はね、私が撮るものは面白くないって言うの」  晴はそう言っているけれど、晴の写真は独特の面白さがあった。名前もよくわからないような雑草。机の上に散らばった消しゴムのカス。コップに入った水。晴はそんな、特別ではないけれど親しみの持てる物を撮るのが好きらしい。 「がっかりした? 」  晴が笑いながら言った。 「どうして」 「だって、私の写真、地味じゃん。綺麗な風景とかじゃないし」  がっかりなんてしていなかった。むしろ、晴の写真には、ほっこりとする気持ちになるものが多い。日常から、ちょっと和やかな気持ちになれる瞬間を切り取った感じで、綺麗な風景を撮った写真とは、また別のジャンルを確立しているように感じる。 「僕は好きだけどな」  僕がそう言うと、晴は驚いた顔をして僕を見た。 「特別なものとか、綺麗なものだけじゃなくて、ありふれたものが輝いてる瞬間に目を向けてるところが良いと思う」  僕は本当にそう思っていた。 「ありがとう。そんなこと言われたの初めて」  晴は嬉しそうに言った。 「私は、しあわせを写真で残したいんだ」  晴はそう言って、制服のポケットからスマートフォンを取り出した。そして、僕に画面を見せた。そこには〈幸せ〉という字が書かれている。 「私のしあわせはこの字じゃなくて、平仮名なんだ」  晴はまたスマートフォンに文字を打ち込んだ。今度は、〈仕合せ〉と書かれている。 「この字もしあわせって読むの。この字だと、めぐり合わせって意味になるんだ。人生って、めぐり合わせの連続じゃん。だけど、めぐり合わせは良いものだけじゃなくて、悪いものもある。それでも私は、全部のめぐり合わせを大切にしたい。良いめぐり合わせはもちろんだけど、悪いめぐり合わせだって、きっと楽しいこととか嬉しいことに繋げられるんだ。意味のないめぐり合わせなんて無いんだよ。良い〈仕合せ〉から得られる〈幸せ〉。悪い〈仕合せ〉を乗り越えることで感じられる〈幸せ〉。どっちも大事にして、写真で残していきたい。だから、私は〈仕合せ〉と〈幸せ〉の両方の意味を込めて、〈しあわせ〉って書くことにしてるんだ」  晴の言葉を聞いて、僕はぞっとした。  僕は、人間の幸福感を奪っただけではないのかもしれない。  もっと大切なものも一緒に奪ってしまったのではないか。 「ロイ君? 」  晴がどうしたの、という風に僕を見ていた。その目はやっぱり、曇りが無くて、晴れやかで綺麗だった。  僕は人間じゃない。人のしあわせを奪う怪物なんだ。  きっと、そう言って晴との関わりをここで絶ってしまうのが正解なのだ。  でも、言えなかった。 「また話そうよ。私、ここの神社が好きなんだ。なんか落ち着いて。学校が無い時間は大体ここで過ごしてるから」  帰り際に晴にそう言われて、嬉しいとも思ってしまった。  晴と一緒に下りる石段は、登った時よりもなぜか短く感じた。 「またね」  軽く手を振る晴に曖昧に頷いて、僕は晴に背を向けて歩き始めた。しばらく歩いてから、僕は気が付いた。結局、帰り道がわかっていない。まだ晴がいたらどうしようと思いながら、僕は神社に引き返した。幸いにも、晴はもういなかった。  もう一度石段を一人で上って、町を見渡した。見覚えのある建物を見つけて、それを目印にしながら小学校に帰る。行きと比べて、足取りが軽いのが自分でもわかった。帰りながら、神社までの道のりを覚えようとしている自分がいることに気が付いて、僕は一人苦笑いしながら歩いた。
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