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「僕は好きだけどな」
私の頭の中で、ロイの静かな声がいつまでも響いている。私は、その響きをいつまでも噛み締めた。
——初めて、私を見てくれる人がいた。
ロイに写真を見せて欲しいと言われた時、私はそう思った。
今まで、本当の私を見てくれる人なんていなかった。
私は、幼い頃から何でも器用にこなすことが出来る子供だった。教えられたことは一度で理解出来たし、一度覚えたことは忘れない。絵を描いたり、外を走り回ったりするのも人並み以上に上手く出来た。
周りの人からは「晴ちゃんは明るくて良い子ね」「晴ちゃんは、ちゃんと大人の言うことを聞けるしっかりした子ね」「晴ちゃんは礼儀正しいわ」そんなことを言われてきた。
両親は、そんな私のことを自慢に思っていたようだった。両親も、周りの大人も、何でも私が優秀な成績を修めれば修めるほど、私を可愛がった。私は、両親に褒められたくて、優等生でいようと頑張った。
だけど。
優等生、宮本晴。
それは、本当の私じゃない。本当の私は、自由になりたくてしょうがないのだ。周りから求められる私でいなければならない。そんな思い込みから逃れたかった。
そんな時に出会ったのが、写真だった。
私は、今まで何をやっても、「模範」ばかり作ってきた。自分が何をしたいのか。何を表現したくて、何をしたいのか。そういうことは一切考えたことがなかった。考える必要もなかった。何をすれば大人が喜ぶかなんて、簡単にわかったからだ。
だけど、カメラを持った瞬間、私には「撮りたい」と思う瞬間がたくさんあることに気が付いた。写真を撮れば撮るほど、何をどういう風に撮りたいのか、やってみたいことがどんどん浮かんできた。こんなに自然に、やってみたいことをやれたのは初めてだった。
これだ、と私の直感が告げていた。
まさか、活動日数が少ないという理由だけで入部した写真部で、こんなにわくわくするとは思わなかった。
その日から、私は写真ばかり撮るようになった。
——プロの写真家になりたい。
私は、いつしかそう思うようになっていった。プロの写真家になって、自分が思うままに、世界を切り取りながら生きていたいと。
だけど、私の夢は中々理解して貰えなかった。誰もが「どうせ無理だ」と言ったし、両親も本気で取り合ってはくれない。
「写真の勉強が出来る専門学校に行きたい」
私がそう言っても、両親は「馬鹿なこと言ってないで、勉強して大学に行きなさい」と言った。ショックだった。写真家になりたいのが、どうして「馬鹿なこと」なのだろう。両親にそう尋ねてみても、「晴は優秀なんだから大学に行け」の一点張りで、ちっとも納得出来る答えをくれることはなかった。
本当の私は認めてもらえない。
私は、そのことに気が付いた。両親が求めているのは、「優等生の私」なのだ。とにかく、自分たちの思い通りになる娘が欲しいのだ。そう思うと、ひんやりとしたものが心に広がっていく気がした。
神社でロイを見かけた時、なぜか、写真を撮りたいと強く思った。特に、ロイの目には引き込まれるような気がした。
私は、思わずカメラのシャッターを切っていた。普段だったら、許可もなく人の写真を撮るなんてことは絶対にしない。それなのに、私の「撮りたい」という気持ちは勝手に私を動かした。
今思えば、私はロイの持つ、どこか寂しそうな雰囲気に引き付けられたのだと思う。ロイの目には、重苦しい悲しみが沈んでいる気がした。
私たちは、何だか似ている。そう思った。
だから、私はロイにすぐに心を許した。ロイになら何でも話せる。そんな気がした。
それから、私たちは時々会うようになった。今では、あの神社でロイと過ごす時間が一番楽しい。
今日も、部活が終わったら神社に行こう。
私は、そう思いながら、部活に向かった。写真部は、文化祭で展示する作品を作っている。作品と言っても、写真部は緩い雰囲気の部活だから、文化祭のために、わざわざ写真を撮るのではなくて、今まで撮った写真の中から、好きなものを選んで使う。その選んだ写真を模造紙に貼って、一人一枚ポスターを作るのだ。
文化祭前だというのに、部室には、咲(さき)しかいなかった。私は、いくら緩い部活だからって、皆サボり過ぎでしょ、と少し苦笑いした。そして、部室にいたのが咲で良かったと思った。咲は私と同じ二年生だ。先輩や後輩と二人きりになるよりは気が楽だ。
私は写真を選ぶ作業を始めた。スマホに移してある写真のデータを、一つ一つ確認していく。すると、ロイの目が写った写真が出てきた。本当に綺麗な瑠璃色だ。それは深い海みたいな色で、見ていると落ち着いた。私はしばらく、ロイの目が写った写真を見つめていた。
「神社? 」
後ろから声が聞こえた。振り返ると、咲が私のスマホを覗き込んでいた。私は「うん」と答えた。
「晴って、神社とかお寺とか、そういう所好きだよね」
「なんか落ち着くんだ」
「晴、渋いねー」
咲は笑いながら言った。
「でも、この写真、どこにピント合わせてるの? 石段? 」
どう見ても、石段にはピントは合ってないでしょ。この綺麗な目に合わせてるんだよ。そう言おうと思ったけれど、私は言葉を飲み込んだ。石段?
この写真はどう見ても、ロイの目にピントが合っている。そもそも、咲はロイの目のことには一切触れてこない。この写真は、ロイの目をメインに写しているのに。変な胸騒ぎがした。
「咲。この目、どう思う? 」
私がそう言うと、咲は不思議そうな顔をした。そして、スマホの画面をじっと見つめている。
「目? 目なんて、どこに写ってるの? 」
そう言う咲は、嘘を付いているようには見えない。
「咲、見えないの? ここに、大きく写ってるじゃん! 」
私は、写真に写っているロイの目を指さしながら言った。咲は、驚いて私を見た。そして、何か思いついたような顔をすると、突然、くすりと笑った。
「もしかして晴、私にドッキリ仕掛けてる? あまりに迫真の演技だから、見えない私がおかしいのかと思っちゃったよ」
「そんなんじゃない! 」
私の声に、咲がビクッと身体を固くした。
「ごめん」
「晴、どうしたの? 何かあった? 」
咲が心配そうに私を見ている。私は咲の視線から逃げ出したくなった。咲の表情は、常識がある人間のものだ。常識的な人間に、私は心配されているのだ。
「ごめん。私、今日は帰る」
一刻も早く神社に行きたかった。私は、鞄をひったくるように掴むと、部室を飛び出した。
「晴」
咲の声が、後ろから聞こえてくる。私は振り返らずに、走った。初めて走る学校の廊下の床の感触は、思ったよりも、足にねっとりと絡みついてくるようで重かった。
あんなにはっきり写っているものを、見えないと言う咲がおかしいのか。それとも、おかしいのは、私なのか。私はわけが分からなかった。
早くロイに会いたい。そして、確かめたい。
一緒に神社で過ごしたあの時間は、確かにあったのだということを。
私は神社に向かって夢中で走った。
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