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「わたしにしかできないこと」
それは仕事だ。この仕事はわたしにしかできない。他の人では絶対にこの仕事はできない。
そう思っていた。
ところが、蓋を開けてみればそんなことはなかった。
わたしは入院をしなくてはならない病気に罹り、ひと月程、仕事ができない状態になってしまった。
わたしは入社してから十数年というもの、連続で休みを取ったことはなかった。休んでも、風邪を引いたりした一日だけ、といった感じだ。
だから、ひと月もの間、仕事をしなかったのは社会人になって初めてのことだった。
わたしは会社の人たちに申し訳ない気持ちを持ちながら、でも、心のどこかでわたしのありがたみを感じてくれたらいいと思っていた。
「やっぱりこの仕事は佐藤さんしかできませんね」
そう言って欲しかった。
しかし、現実は違った。
わたしがいなくても、仕事は滞りなく進んでいた。
もちろん、わたし一人欠けてしまった分、他の人たちの仕事の量は増えた。残業も少し増えたらしい。
「佐藤さんが戻ってきてくれて、良かったですよ。本当に大変でしたよ」
そう、部下は言ってくれた。
だけど、わたしはその言葉を快く受け入れることができなかった。
わたしは、わたしの仕事は、わたしでなければできないと思っていた。それなのに、わたしがいなくても、仕事は回っていた。わたしがいなくても、会社には大きな影響はなかった。
わたしの仕事は、わたしにしかできないことではなかった。
自動販売機で缶コーヒーを買って、それを時間をかけてちびちびと飲む。
わたしは、わたしの存在理由の全てを仕事に押し込んでいた。だから、わたしがいなくても仕事が回るという現実に、自分の存在理由がわからなくなってしまった。
わたしは会社にとって必要不可欠な存在ではない。わたしの代わりはいくらでもいる。
入院前は大好きなタマゴサンドを片手に仕事に没頭していた。だが、今はそんな考えが病巣のように脳裏に住み着いてしまい、集中できなくなっていた。
そのせいでミスが増え、思考は負のスパイラルへと陥っていく。
次第に、わたしは会社にとって、いや社会にとって、不要な存在なのではないだろうか、と思うようになっていた。
「佐藤さんはまだ本調子じゃないから。ゆっくりでいいよ」
上司が優しく言葉をかけてくれる。でも、ミスが病気のせいでないことは自分がよくわかっていた。
わたしにしかできないことって、何かあるだろうか。
そう考えてみても、わたしには何もなかった。
結婚もしていない。友人もいない。趣味もない。ないない尽くしだ。
もっとも、何かあったとしても、わたしにしかできないことなんて、きっとないだろう。
わたしが欲しいのは、わたしにしかできないことだ。
わたしは空っぽになった缶をゴミ箱に捨てた。でも、仕事に戻る気にならず、そのままトイレにしばらく籠った。
気が付けば、会社を辞めていた。
次の就職先が決まっていたわけではない。寿退社でもない。病気が再発したわけでもない。
会社にわたしにしかできることはない。だから、わたしは必要ない。
周囲は引き止めてくれた。わたしがいないと困る、と割と真剣に引き止めてくれた。それは素直にうれしかった。でも、そうするのは、自分の仕事が増えるのが嫌なのであって、別にわたしでなければいけないわけではない。
会社を辞めた翌日。わたしは昼まで寝ていた。でも、もっと寝ていたかった。何なら、目が覚めなくたって構わなかった。
ベッドから起き上がる気にもならず、日がな一日、ベッドで過ごした。
大好きなタマゴサンドすら食べる気にならず、飲み物さえ口にすることなく、一日が終わってしまった。
そんな日々を二日ほど続けたが、さすがに何かを食べないとまずいなと思い、冷蔵庫を開けた。
そこには何もなかった。食べ物はおろか、調味料も、飲み物もない。まるでわたしみたいだと思った。稼働はしているけれど、中身は何もない。
思わず声を上げて笑ってしまった。
本当にわたしには何もない。ないない尽くしの、ないない祭りだ。わっしょーい。
ひとしきり笑った後で、泣いていることに気が付いた。笑い過ぎたせいじゃない。あまりにも情けなくて泣けてしまった。
それでもお腹は空くらしい。ぐーというお腹の音が鳴った。
とりあえず、何か食べよう。あまり食べる気にはならないけれど、タマゴサンドなら、胃に押し込める気がする。
着替えをすることもなく、化粧もせず、髪が四方八方に跳ねたまま、わたしは財布だけを持ち、サンダルを履き、コンビニへと向かった。
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