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「井上一尉、客室に指示しました。それでフォーワードスリップって何ですか? えっ?」
裕人がウィンドシールドの外を見ると、今まで真正面に見えていた滑走路が左横に見えていて、機体が左側に大きく傾いている。まるで飛行機が斜めにスリップしながら滑走路に向かっている様に見える。
「こうやってバンクと反対方向にラダー操作を行うと、機体が滑走路に対し斜めに進む様になって、高度を処理しながら、前面投影面積の増大させて空気抵抗を大きくして、速度を抑制できるの」
そう言いながら井上一尉は操縦桿を細かく操作し、機体をスリップさせながらも、滑走路中心線延長線上をキープしようとしていた。
「凄い……。こんな操縦を……」
裕人が斜めになった機体を操る井上一尉に感嘆の声を上げる。
「私も大型旅客機でやるのは初めて。この前に乗っていたF15戦闘機では良くやってたけど。よし、何とかグライドパスに乗ったわ」
『One Thousand(1000)』
機体の自動音声が対地高度を告げた。地上まで千フィート、つまり高度三百メートルを切ったということだ。
「まだ速度が二百ノット出ているわ。少なくとも百八十ノットに落とさないと」
井上一尉はまだフォーワードスリップを続けている。
「ギアダウン、フルフラップ!」
機体が一気に着陸姿勢に変化していく。
『Five Hundreds(500)』
速度が百九十ノットを切った。井上一尉は機体をフォーワードスリップから通常姿勢に戻して行く。
『Hundred(100)』
再び、井上一尉がセンターコンソールのスイッチを切り替えた。
「田所先生、客室へブレースポジションを指示して!」
『Fifty(50)』
「はい。客室へ! 着陸します。ブレースポジション、安全姿勢を!」
『Thirty(30)』
目の前に滑走路が迫って来た。
「ダメ! 速度が速くて着陸帯を超えちゃう! 先生、捕まって!」
『Twenty(20)』
『Ten(10)』
政府専用機は滑走路に激しく主輪を接地させ、もう一度、十メートルほど浮かび上がり、大きな衝撃を伴って再び滑走路に接地した。接地速度は百八十ノット(三百三十キロ)。接地位置は着陸帯を大きく超え、滑走路の端から千二百メートル進んだ位置だった。滑走路の残りはあと千八百メートルしかない。
自動的にエアスポイラーが立ち上がったが両翼エンジンの逆噴射は使えない。井上一尉は両足のラダーペダルの上を思いきり踏み込み、十二本の主輪に最大制動力を掛ける。
「まだ百五十ノット、減速Gが出ない!」
通常の着陸速度をやっと下回ったが、機体は既に滑走路を半分以上使ってしまっている。物凄い勢いで滑走路の末端が近づいて来る。激しいブレーキに主輪の二本のタイヤがバーストし、EICASに再び赤い警告表示が現れた。
「お願い! 止まって!」
彼女の悲痛な叫びも虚しく、機体は滑走路末端を越えて過走帯を走りきると、七十ノット(百三十キロ)でRESAに突入した。RESAの末端にはローカライザーの赤いアンテナが設置されている。井上一尉は左のラダーを押して、機体をアンテナからの衝突から逃れるように左に回頭させた。機体が不整地に侵入し激しく揺れる。
そして不整地を三十メートル程走った政府専用機は、激しい土煙を上げながら停止した。
「やりましたね。井上一尉」
未だ呆然としている彼女に裕人が声を掛けた。ハッとした彼女が裕人を振り返った。
「はい、田所先生、サポートありがとうございます」
『着陸成功、おめでとうございます。緊急車両が直ぐに参りますのでお待ちください』
無線の声に続いて、サイレンを鳴らしながら機体の周りに空港の消防車が集まって来た。その車両をコックピットの窓から見下ろしながら、二人は安堵の溜息を洩らした。
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