祈りのように

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-12-  異国の地アメリカでの初日。高級そうな寿司屋のカウンターで、いきなり寿司を限界まで食べることとなった。疲れと胃の限界感で意識がもうろうとしてきたころ、おじさんが会計をした。(きっと高額の会計だったに違いない)  店を出ておじさんの車に乗り、僕たちは家に帰った。かつて経験したことのない胃の限界感のまま僕は二階に上がった。部屋に入り、部屋の隣にあるユニットバスに行って歯磨きをし再び部屋に戻った。集中暖房が効いた部屋は僕には暑くて、僕は服を脱ぐいでシャツとトランクス姿のままベッドにもぐりこんだ。慣れない肌触りの掛け布団と、柔らかいマットレスに挟まれ、これでは眠れないのではないかと思ってからすぐ意識が無くなった。  翌日、目を覚ますと昼になっていた。僕はいくぶん慌てて服を着て一階へ降りた。するとジャンパー姿のおじさんたちが外出するところだった。 「疲れてると思って声はかけなかったんだけど。ご飯は作ってあるわ」  おばさんが言った。 「タケちゃんも、ショッピングモールに行ってみるかい?」  おじさんが言った。  僕は時差ぼけの上に寝起きで頭の冴えない中、行きますと言った。一人で、この家に残されても、どうしていいか分からない。おじさんたちはジャンパーを脱いだ。  僕は、目玉焼きと、ごはん(日本の白米と同じレベル)を食べた。それに日本のものと同じ味の味噌汁を。おばさんがそれらを親切に用意してくれた。腹の調子は収まっていて、普通にご飯は食べられた。おじさんは、テーブルの傍らの席で英字新聞を読み始めた。 「タケちゃんは、醤油をあまり使わないのね」  目玉焼きに、ごく小量の醤油をかけて食べ始めた僕の様子を見て、おばさんが言った。 「そういえば昨日の寿司屋でも、あまり醤油を使っていなかったよね」  おじさんが言った。本当に観察力がするどい。 「塩分は控えた方がいいと思って」  僕は咄嗟に答えた。真実は違う。僕は、黒っぽい液体が苦手だった。それは高校に入ったころから。醤油やブラックコーヒー、それに醤油ラーメンのスープ等。かといって、完全に避けていたわけではない。醤油は極力少量を使い、コーヒーはミルクを入れて、醤油ラーメンはスープは一切口にしないようにした。一種の摂食障害? そのことは誰にも言わなかった。親さえ知らないはずのことが、わずか一日足らずで、おじさんたちに気が付かれてしまった。 「若いんだし、塩分なんか気にすることないよ。おいしいものはおいしく食べればいい」  おじさんが言った。僕はおじさんたちには隠し事が出来ないと思った。
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