祈りのように

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               -15-        「初めての買い物」  僕はおじさんに言われて、サイフを買うことになっていた。僕が日本から持ってきた財布は長財布で、ポケットに入れた時にはみ出すのがいけないから、おりたたみのサイフにした方がいいとのこと。アメリカではスリが多く、ポケットからはみ出す財布はNGなのだそうだ。  バッグや財布コーナー(庶民向けの)に行き、僕は店内を見渡した。日本のデパートの売り場も広いがあるが、アメリカの売り場も無駄に広い。  たくさんの客が店内を物色している。白人が多い。続いてアジア系の人たち。黒人は少なくて、彼らは店内では浮いて見えた。全体的に太っている人が多い。一方で、ようやく映画俳優並にスリムでスタイルがよく、スーパーモデルのような人たちも見かけるようになった。僕はようやくアメリカに来ている気分になってきた。    おじさんたちは、僕をこの場に残して別の売り場に行った。僕は初めてアメリカで一人きりになった。もちろん携帯電話なんか当時はあるわけもなく、僕は命綱なしで宇宙空間に放り出されたような気分になった。  お目当ての財布はすぐに見つかった。問題はそれからだった。誰も並んでいないレジの周囲を僕はうろついた。僕は誰か会計するの待っていた。そう、僕はどのような手順で会計が行われるのかを確認したかったのだ。                  「クレジットカードでの買い物」   現金主義の親が、僕が渡米するにあたりクレジットカードを契約して、僕に家族カードを持たせてくれた。当時、僕も両親も、そして世間一般でも、アメリカは「カード社会」と認識していた。車と一緒で、カードがなければ生活ができないと思っていた。後にその認識が幾分ずれたものであることを思い知らされることになるのだが、とにかく僕もこの時点ではカードがあれば何でもできると思っていた。  親が選んだのはアメリカン・エキスプレスカード。通称アメックス。アメリカのカード会社なので、それがあればアメリカでは万全だと父さんは思ったのだろう。当時、僕もクレジットカードのことなどは何も知らなかった。実はアメックスは、現地では富裕層のみが使うカードで、いろいろないわくつきのカードであることを、僕は後になってから知った。  アジア系の男性がレジに会計に来た。太った黒人のレジのおばさんが、男性に何か言った。 "xxxx xx xxxxxx?" "xxxx."  早口で何も聞き取れない。驚いたのはそのあとだった。その男性は、なんと現金で支払ったのだ。えっ? 現金!? 僕の方程式が崩れた。僕はレジに並んでしまっていたので、仕方なく会計に進んだ。 "Cash or xxxxxx?"  キャッシュは聞き取れた。でも後半が聞き取れなかった。現金で払えということ!? 現金は持っていない。僕はちょっと固まってしまった。すると店員のおばさんがもう一度同じことを聞いてきた。 "Cash or xxxxxx?"  僕は、こんな時に使えそうな英文を思い出して言ってみた。 "Can I pay by credit card?(カードで払ってもいいですか)"  僕の発音が悪くて、店員がきょとんとしているのか分かった。僕はカードを取り出して見せた。 "Sure.(もちろん)"    店員がにこっとした。僕はほっとした。やはりカードでも支払いが出来るらしい。  店員は僕からカードを受け取ると、カードをインプリンタと言う機械の上に載せ、その上に複写式のゆうパックの伝票みたいのを載せ、レバーを動かしてカード番号を複写した。それから僕にカードを返し、伝票を会計テーブルの上に置いた。 "Sign here."  僕がサインをして会計が終わった。約5ドルの買い物。(当時、円は1ドル約80円だったので、日本円で約400円)。  あの時、黒人の店員のおばさんが僕に言った言葉は、 "Cash or charge?(現金ですか、カードですか)"  だったに違いない。
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