祈りのように

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- 5 -          「入国審査(Immigration)」  成田空港から、アメリカの首都ワシントンD.C.への直行便に乗り、14時間余りの空の旅を終え、ダレス国際空港に着いた。ほとんど日本人しかいなかった機内から降りて空港内に入ると、まさに外国だった。日本語以外の言葉が聞こえる。飛び交っているのは英語だけではない。様々な人種。様々な衣装。様々な皮膚の色。いちばん印象に残ったのは髪の色。当時の日本人の髪の色は基本ほとんど黒だった。でもここでは黒い髪の人など、ほとんどいなかった。外国人って本当にいるんだと僕は感じた。この時点で僕はカルチャーショックに襲われてはじめていた。  航空機から降りて、みんなが進む方へとりあえず一緒に歩いてゆくと、入国審査のブースにたどり着いた。"Immigration"という掲示。たくさんの人が複数の入国審査のブースに並んでいる。僕は、並んでいる間、入国審査官とのやり取りを頭の中でシミュレーションした。  留学ガイドブックの説明では、入国目的を聞かれることになっていた。旅行で来ている人は「旅行・sightseeing」。僕は留学なので「勉強・study」と言えばいい。それだけでいいはずだった。難しいことは何もない。僕は自分にそう言い聞かせた。 "What’s the purpose of your visit?" 「入国目的は何ですか?」 と聞かれれることになっていたので、僕は "To study." と答えればいい。それだけだった。その、実に単純な内容を何度も頭に思い浮かべた。そして僕の番が来た。  入国審査官にパスポートを渡すと、黒人の女性の入国審査官が、学生ビザの査証が押してあるページを開いて聞いてきた。しかし、予想外の事態が起きた。彼女は僕が想定していた英文とは違う英文を話した。僕が対応できる英文は先ほどの一文しかない。 "xxx you xxxxx xx xxxxx xx xxx United States?" ( x は僕が聞き取れなかった単語)  すかさず僕は伝家の宝刀を抜いた。これは皆さんにもおなじみのフレーズだ。 "Please speak more slowly." 「ゆっくりと話してください」  聞き取れなかったら使え、という定番のアイテム。しかし、抜いた宝刀で敵を倒すことは出来なかった。 "xxx you xxxxx xx xxxxx xx xxx United States?"  もともとゆっくりとしゃべってくれていたのだろう。同じようなスピードで彼女は同じ英文を話した。これで万策尽きた。  聞き取れなかった。これ以上ゆっくりと話してはくれないということだろう。僕は固まってしまい、黙りこんでしまった。入国審査官が肩をすくめた。これはまずい。入国手続き失敗!? 僕は目の前が真っ暗になった。いや、それで良かったのかもしれない。  窮地に追い込まれた人間の自己防衛本能か。僕の脳の一部が活性化するのを感じた。僕には最初からアメリカ留学なんて無理だった。ネガティブなポジティブ思考が頭に浮かんだ。僕は日本に帰ることができる・・・。  そして、すっかり固まってしまっている僕に入国審査官が信じられない言葉を放った。      
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