祈りのように

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-6-  入国審査官の彼女が放った言葉に僕は耳を疑った。 "O.K." "O.K.?"  僕は思わず聞き返した。彼女はあきれた様子ながらも、"Aha"と言って、入国審査が完了したことを促した。 「サンキュー」  もろに日本語の発音でそう言って、僕は入国審査ブースを抜けた。僕は流れ作業のように、入国審査を通ってしまった。  このあと、Baggage Claimで荷物を受け取り、依然として素直に喜べない状況の中で、次に待ち受けていたのは、Customs (税関)だった。もちろんここでも、英語で質問され英語で答えることになっている。緊張は続いた。 "Do you have something to declare?" (何か申告すべきものはありますか?) と聞かれることになっていた。  これも僕は念入りにシミュレーションしていた。たった一つの申告すべき物のために。 "Japanese cake." (日本のお菓子です)  これからお世話になる親戚へのお土産の菓子折り。これさえなければ、入国時に申告するものは何もなかった。  僕は、税関のブースに並んだ。僕の番が来て、先ほどより若い黒人の女性職員に申告用紙を渡すと、間髪入れずに僕に聞いてきた。 "Do you have something to declare?"  これは素直に心の中でガッツポーズ。シミュレーションのままの英文だった。 "Japanese Cake."  僕は税関を抜け、そして、とうとうアメリカへ入国した。  ボロボロの入国審査ではあったが、一つだけ自分を褒められることがあった。それは、日本語を一言も発しなかったこと。異国の地では、多くの人は困ったときに母国語が出てしまう。僕にはそれがなかった。何も言えなかっただけと言われればそれまでだが、この「母国語を口に出さないこと」は、外国語だけで物事を考えることにつながり、そしてそれは、のちに実際に僕の英語力の向上に大いに貢献することになるのだった。  ちなみに僕があの時、聞き取れなかった英文。 "Are you going to study in the United States?" (あなたはアメリカ合衆国で勉強をするのですか)  きっとそうだったに違いない。
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