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「こんな仕事、やってられるか!」
スマホの地図アプリを頼りに指定された場所に着いたが、直後にその洋館──三階建ての古いレンガ造りだ──から悪態をつく男性が出てきた。帰っていくその男性は、何故か体中鳥の羽まみれだった。
僕は不安になりつつも、戸を叩く。中は外観に合わせ、洋風のアンティーク調の家具で揃えられていたが、事務所のようになっていた。僕は近くにいた人に求人情報を見て、来たことを告げる。
すると四〇歳程の「田中」と名乗る男に案内され、本で埋め尽くされた書庫とも呼べる部屋に通された。
「チラシを見てご存じだと思いますが、仕事内容は本を読むことです」
「え? 面接も無しに、もう採用ですか?」
「いえ、試験と言いますか……あ、そんなに固く身構えなくて大丈夫ですよ。本日はお試しという感じです。この仕事は簡単なようで出来る人は中々いないので」
「なら先程、ここを出て行った男性は……?」
「ご覧になりましたか。えぇ、彼は不採用です。彼自身、この仕事には向いておりませんでしたし、不満を感じたようなので致し方ありません」
──本を読むだけの仕事が、そんなに難しいのか?
何か騙されているんじゃないかと、僕の不安感がさらに増した。
「仕事をするなら、互いに楽しくやりたいでしょう? 平井さんを採用するかは、今日一日体験していただいてから決めようと思います」
「……はぁ」
「終業時間になりましたらお呼びしますので、心行くまでお読みください」
と、説明すると田中さんは部屋から出て行った。
早速本棚にギュウギュウに詰められた本の背表紙を眺めていくうちに、先ほどまで心の中にあった不安は霧散するように消えた。
なんせ多くの本を読んでいると自負していた自分でも、読むどころか見たこともない本たちが僕を待ち構えていたのだから。
僕は、「何から読もうかな?」と、目を輝かせながら物色した。
「あ、『アノニマス社』の本もある」
「アノニマス社」は僕が最近好きな出版社で、特にペンネーム「稲井模令駄」という作家がいい本を書くのだ。
既存の要素を取り入れつつ、今までにない展開を魅せてくれる。しかも恋愛から、サスペンスに時代劇と幅広いジャンルを書く素晴らしい小説家だ。
僕は数冊手に取ると部屋の中に在った革張りのソファーに座り、夢中になって読み始めた。
「──さん。平井さん。平井さんってば!」
体を大きく揺さぶられ、僕は本の世界から現実に帰る。そんな僕を見て、田中さんは嬉しそうに言った。
「素晴らしい本の虫ですね! 採用です!」
「本当ですか? ありがとうございます!」
元気よく返事した僕は、ある異変に気付く。なんといつの間にか部屋の中が、様々な鳥で埋め尽くされていたのだ。
「は!? 何これ!」
「気づかなかったんですか? ますます良いですね! 採用された平井さんには、特別にお教えしましょう」
田中さんは僕の頭に乗っていた鳩ぐらいの大きさで墨のように真っ黒な鳥を抱え、言った。
「これは『インク鳥』と言います。特別な鳥で餌は平井さんのような──『本の虫』なんです」
「え!? 僕、食べられてたんですか?」
「語弊がありましたね。食べるのは本の虫である平井さんがため込んだ本の記憶です。食べる際には頭を突かれるので、集中力の切れない並外れた本好き……もとい本の虫を探してたんです」
──僕は頭を突かれていることにも気づかなかったのか。
「本の虫」としては誉め言葉なのだろうが、人としての危機管理能力はどうなんだ。そんな僕を放置して、田中は真っ黒なインク鳥の前に白紙の原稿用紙の束を置くと、「行け!」とインク鳥を放す。
すると、飛び立った鳥は原稿用紙に飛び込み、溶け込む。だが、よく見ると代わりに原稿用紙に文章がびっしり現われていた。
読んでみると、それは異世界を舞台にした冒険ファンタジーものの小説だった。
「インク鳥は最初、真っ白な鳥です。けれど、本の虫の様々な記憶を食べ、蓄えた記憶から新たな物語を作り出す。真っ黒になるのは、体内にお話が出来た証──そして彼らが紡いだ物語を私たちは、出版しているのです」
田中さんは私が読んでいた「稲井模令駄」の本を指し、「それがその本です」と言った。
「え、作者の正体は鳥だったんですか!?」
「作者の名前、逆さに読んでみてください」
「え、『いないもれいだ』……『だいれもいない』……誰もいない!」
「インク鳥、本の虫と編集者の皆で物語を作っているので、特定の作家は『誰もいない』のです」
先程から現実とは思えないことばかりで、まるで狐につつまれたような気持ちだ。現実では僕は、狐ではなく相変わらず鳥に囲まれ突かれているのだが。
そんな僕を見つつ、田中さんは契約書を片手に告げる。
「ようこそ、アノニマス社へ。明日からもお願いしますね。平井さん」
給料も良く特に不満もないので、僕は契約書──インク鳥や「稲井模令駄」の正体について口外しないこと──にサインし、正式に採用となった。
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