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オリオンのベルト
さてそろそろ寝ようかと思ったのは午前0時5分だった。昼間のバイト先でのモヤモヤがまだ胃袋に残っていて、このままベッドに入っても寝付けないなと思い、ふらりと外に出てみた。
この辺りは静かな住宅街で、LEDの街灯の眩し過ぎる光が妙に浮いて見えた。視線をさらに上にずらすとオリオン座。じっと見上げていると昼間のモヤモヤが胃袋から体の奥深くに沈んでいくような感覚になった。
でもモヤモヤの姿形はそのままで沈んでいくものなんだなと納得していると、オリオンのベルトと呼ばれる三つ星がだんだん大きくなってくる。どうやらこっちに向かっているようだ。ゆっくりと確実に下りているなと思ったら加速がついて、あっという間に目の前に。地球にぶつかったら人類は終わりだ。
だけど三つ星の左右の星はいつの間にか視界から消えて真ん中の星だけが目の前に、そしてその星は片手で握れるほどの大きさだ。その星はすっと頭の中に入った。
その現実より、左右にあった星はどこに行ったのかが気になる。もしも誰かの頭に入ったのなら、左、中、右の三人は運命を共にする人なのでは?と思った時には僕はもう寝床についていた。
夢かな。夢ならどこからなのかと思っている今も夢かな、と思った時にはもう朝になっていた。
体調も心の方も変化は全くなかったので、あれは夢だったんだと納得しようとしたけど、それで終わりにはしたくない。終わりにしたくなかったのは消化試合みたいな惰性の日々をなんとかしたかったからだろう。
次の日から人捜しを始めた。ネットでオリオン座の話が出てくるブログを片っ端から読んだ。もしかしたら僕ら三人は選ばれた三人で、人類を救うような事を成すのでは。そこまで話が大きくならなくてもワクワクするようなことが起きるに違いないと思うと、毎日起きるバイト先でのモヤモヤが全く気にならなくなった。上司のナカタさんのねちっこい嫌味が気にならない。
想像力は育てればいくらでもレベルアップして、カンストすることはないと思う。自己満足して誰かに自慢することもないから、ひとり悦に入って酔うこともない。みっともない自分に気付いた時の恥ずかしさはもう味わいたくない。想像力はヒトに与えられた最高のプレゼントだと思う。贈り主は誰だか分からないけど。
ネットで延べ10時間以上調べて、日にして4日目にしてやっと、あの日の出来事を自分がブログにアップしたら、左か右の星が頭に入った人が見つけてくれるのでは、と気付いた。
見つけられないときは見つけてもらおう。
うん、これを座右の銘にしてもいいなと思ったけど、ブログにアップして5日経っても誰も反応してくれない。
ああ、そうだった。ブログは今まで週に1回程度の更新で、しかも内容は、恐ろしく食べすぎたお菓子がいかに美味しかったかという内容で、ビューはいつも10前後。元々誰にも知られてないブログだから、見つけようとしてくれる人がいたとしても宝くじ並の確率だった。
方向転換。そう、僕の良いところ、ストロングポイントは切り替えが早いところだ。柔軟な考え方が出来ると言った方がカッコイイかな。やっぱりオリオン座について書いているブログを探しつつ、自分のブログのタイトルを「お菓子可笑しい美味しい」から「オリオンのベルトが眩しい」にした。ちょっとボンヤリした表現にしたのは、もしかしたら反対勢力が血眼になって僕らを探してるかもしれないと思ったから。そっち系のアニメでよくある設定だし。
ブログのタイトルを替えてから二日後に、チョコ味の羊羹が微妙な味だったけど一本丸々完食したのはチャレンジという名の無謀で気持ち悪くなったという記事にアミさんという人からコメントが来た。
「残念でしたね。
でも昨日のオリオンのベルトが
とても綺麗で見惚れていました。」
「コメントありがとうございます。
僕はオリオンのベルトの真ん中の星が
特に眩しく見えてます。」
あの日あの星は確かに僕の頭の中に入ったのに、あの星は夜空で変わらず輝いていたのだった。コメント返しをしてしばらくすると、アミさんからメッセージが来た。
「こんにちは。
ハルカゼさんの前の記事も読ませて頂きました。実は私も10日ほど前にオリオン座を見ているとオリオンのベルトが降りてきて、右の星が胸に
入ったんです。同じような体験した人がいないかとブログで捜してました。」
見つけた!
いや、見つけてもらった!
全身の血が逆流する。高速エレベーターで何百階も何千階も上がってるような感覚になって、指先は小刻みに震えている。それを抑えようと掴んだもう片方の手も震えている。深呼吸だ。とにかく深呼吸を何度も何度も繰り返してやっと何処かの階に着いた。ここはきっと最初にいた階だけど景色が違っている。 僕は急ぐことも焦ることもないのに胸がドキドキしたまま返事を書いた。
「こんばんは。ハルカゼです。
メッセージありがとうございます。
アミさんに出会えて大感激です。
あの出来事には何か意味があるのでしょうか。
アミさんには何か変化がありましか?」
「こんばんは。
ハルカゼさんに出会えて私もすごく嬉しいです。変化と言っていいのか分からないけど、あれ以来ずっと浮遊感があります。それと匂いに敏感になりました。あと、左の星の持ち主が気になってます。一緒に捜してくれませんか?」
「おはようございます。ハルカゼです。
浮遊感と匂い、僕には何の変化も来てません。
左の星の持ち主、是非一緒に捜しましょう!」
一緒にとは言っても、お互い今までの捜し方を継続するということだった。だけど一ヶ月過ぎても左の星の持ち主は見つからなかった。ところがある晩、いつもの様にオリオン座を眺めているとオリオンのベルトに吸い込まれそうな感覚になって、知らない場所に意識が行ってしまった。
地球を見下ろしていた。だから宇宙なんだろう。ゆっくりと回っている地球はこの世で一番綺麗な宝石だ。誰が見ても同じことを思うだろう。
(寂しそう)
誰かの声が聞こえて、さっきのは思い違いだったと知らされる。
(綺麗だけど寂しそうよ)
いつの間にか隣にいたのはアミさんだった。名乗らなくても、確かめなくてもアミさんだと分かる。だけど隣を見ても誰も居ない。居ないけど気配を感じて、声は耳にというより頭の中に入ってきている。きっと今この瞬間にアミさんはオリオン座を見上げ、意識はオリオン座を見下ろしている。
話したい。話したいけど話さなくてももう自分の一部みたいで共有出来てる。なので聞くことも聞かれることも必要ない。僕らは一緒にオリオン座を見上げ、見下ろしていた。時間の感覚がマヒしていたようで、1時間経ったと思ったら5分しか経っていなかった。急いでメッセージを送ろうとするとアミさんからメッセージが届いた。
「一緒に見たね!」
すぐに返事を送った。
「一緒に見ましたね」
すぐにメッセージが来た。
「いいこと思いついたよ。毎晩同じ時間に見上げれば、ヒダリー(左の星の持ち主改め)を見つけられるんじゃないかなって」
「いいですね!(ヒダリーって名前も)時間は何時にします?」
「11時30分はどうかな?終了時間はお任せで。雨や雲で見えない時は中止。用事がある時もやっぱり中止だけど」
「オールオッケーです。明日から楽しみです」
「私も楽しみ〜。オヤスミ〜」
「おやすみなさい」
そして次の日からほぼ毎日二人で見上げて見下ろしたけど、ヒダリーには会えなかった。
寝待月が東の空にあって、ひとつも雲がない綺麗な夜空の日だった。
(私、結婚してるんだ。もう一緒に住んでないけど)
アミさんの声が突然入ってきた。そういえばアミさんの年齢も知らなかった。聞かれてないから僕も自分のことは何も言っていない。そこはこのヒダリー捜索プロジェクトには必要ないと思っていたから。その辺りはお互い暗黙の了解だと思っていた。だから突然のその発言に驚いて、そして少しモヤッとした気分になった。
(どうして一緒に住んでいないのですか?)
(嫌いになった訳じゃないんだけど、なんだか価値観が違うなって気付いて。それなら結婚する前に気付けよって話だよね。私がのめり込むタイプで、底が見えちゃうと冷めてしまうの)
(付き合う分にはいいけど、結婚にはキビシイっていう性格なんですね)
(そうなの。一緒に暮らすと全てが見えてしまって)
(旦那さんにとっては、なんで?って感じなんじゃないですか?)
(うん、でもね、彼は自分を責めるタイプだったので、私が出て行くって言ったら、俺のせいだから俺が出て行くよって言って、あっさりと出て行っちゃった)
(でも籍は残しているんですね)
(彼はずっと待ってるって言ってくれてるから。私のせいなので私から離婚してとは言えないの)
(お互いに自分のせいだと思ってるんですね。勿体ないですね)
(勿体ない?そっか、勿体ないんだ。私どうしたらいいのかな)
(何も考えずに離婚してって言えばいいと思いますよ。気持ちの整理は二年ほど後にすることにして)
(ニ年たったら私、納得出来るかな)
(もしも納得出来なかったら僕が説得してあげます)
(ハルカゼくんって優しいんだね。それなら納得出来そう)
だけど僕はアミさんが離婚を切り出せるとは思ってなかった。その時の会話で盛り上がると、えいってなっちゃうけど、一晩寝ればそんな思いは夢だったと忘れてしまう。そんな人を何人も見てきたから、そんなものだと思っていた。
それからは、お互いその話題には触れず、晩ごはんは何を食べたかとか、どうでもいい話しばっかりで、 相変わらずヒダリーには出会えなかった。
(一度会ってみる?)
夜空は雲まみれで星はひとつも出てなかったからヒダリー捜索会は中止のはずだった。
なのに僕は午後11時30分に夜空を見上げていて、アミさんも見上げていた。アミさんにそう言われて凄く迷った。というよりは考えることが出来ず、なので答えも出せず、小さく(あ〜)と声を吐いていたと思う。
(会おうよ)
アミさんの声が僕の(あ〜)に重なって(あ〜)は(会いましょうか)に変わった。
そしてなんと同じ市に住んでると知ってお互い大興奮した。こんな偶然ってある?同じ日本人というだけでも驚きなのに、同じ県の同じ市。それなら会うのは簡単だった。次の日の午後7時30分に誰もが知ってるショッピングモール内のカフェで落ち合うことにした。
お互い見れば分かる気がしてたので服装とか目印になるようなものは知らせないことにした。そのほうがスリルがあって面白いし。僕の方が先に着いてたと思う。コーヒーを持って二人掛けのテーブルに座ると同時に身覚えのある姿が目に入った。バイト先の同僚のタカギさんだった。今日も一緒にバイトをして、ついさっきお疲れ様と言い合ってバイトを終えていた。
タカギさんとは気が合う。バイト先の嫌味な上司のナカタさんの悪口を休憩時間に言い合うことでお互いにバイトを辞めずに続ける事が出来ていた。タカギさんも僕に気付いて驚いた顔をして「ヒラノくん、何してるの?」と言う。
「待ち合わせです」
「彼女?」
「いや、ちょっと」
「怪しいなぁ」
「タカギさんは?」
「私も待ち合わせ。彼氏とね」
確かタカギさんは結婚していると聞いている。
「旦那さん?」
「そんな訳ないやん」
そう言って僕の向かいに座る。手に持っているのはココアだろう。コーヒーは飲めないって聞いた事がある。
「どっちか先に来るまでね」
「あ〜、まぁいいですけど」
「え?オ・リ・オ・ン?」
「ええっ?アミさん」
「えーーー!」声が揃った。
「どうして分かったのですか?」
「あ〜、って言うのがハルカゼくんと一緒だった」
なんということだろう。
僕らは昼間は一緒にバイトをして、夜に一緒に空を見上げて、一緒にヒダリーを捜していた。思考回路がショートするってこんな状態を言うのだろう。心拍数が爆上がりで、コーヒーを飲み込むと、熱くて舌を火傷した。
「アミさん」と呼ぶと「はい」と返事した。タカギさんなのに。だから可笑しくて笑っていると、アミさんは「ヒラノくんだけどハルカゼくんでいいよね」と言った。
「ハルカゼくん、11時30分までは結構時間あるね」
「そうですね。時間がありますね」
「家に来る?簡単なものならササッと作れるよ。お腹空いてない?」
「あ〜」
どっちを答えていいのか分からない時は誰だって「あ〜」か「ん〜」になると思う。
「おいでよ、一緒にオリオンを見よ」
アミさんはバイトの時のタカギさんみたいな言い方をした。
LDKは夫婦二人暮しを絵に描いたような雰囲気で、旦那さんがいつ戻って来てもなんの違和感もなく生活が始められそうで、僕にとっては居心地がいいとは感じられなかった。
部屋着に着替えたアミさんはキッチンで手早く体を動かし「あ〜ん、まあいいか」なんてつぶやきながら、ぼんやりテレビを観ている僕に顔を向けた。
「もしヒダリーが誰だったら一番驚く?」
「ナカタさん」
「それだったら私、捜すのやめるわ」
「僕もやめます。旦那さんだったら?」
言った後でしまったと思ったけどもう遅い。
「ん〜」
アミさんは手を止めて上目遣いで天井を見つめてさらに「ん〜」と言った。幾つか答えが浮かんでいるようだ。
「真ん中の星がヒラノくんだと知る前は、ヒダリーがうちの人だったりして、なんて思ったりしてたの。でも今はもし、ヒダリーがうちの人だったら、捜すのやめる。ハルくんはどうする?」
「あ〜、オリオン座を見るのをやめてプレアデス星団を見ることにします」
「なにそれプレアです?」
「昴です。後で一緒に見ましょう」
「そうね、万が一ってことがあるかも知れないから、今日もう万が一があったから億が一かな、それがあったら困るから、そのスバルデアス星人を一緒に見ようか」
「プレアデス星団ですって」
ナカタはずっと星空を見上げていた。
「確かにあの星が喉仏に入ったんだよな。なんていう星なのかな」
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